たのしい教育と読書/驚異的な小説〈三体〉:中国の現代文化おそるべし

 私が〈活字中毒〉で、小説類から評論、古典、歴史書などジャンルも国も限定せず、本に浸っていた頃、それぞれが読んでいた本作品について情報交換していたAさんという人物がいます。
 私がブログに書いた書評にAさんが目に留めてくれたことで始まったやり取りで、地理的にかなり離れていたので直接顔を合わせて語らう事はありませんでした。
 なぜかお互い仕事の話はしなかったのですけど、Aさんはおそらくバリバリ働くビジネスマンだったと思います。旅行が趣味らしく、たまにその様子を送ってくれることがあって、Aさんの顔は知っているのですけど、それ以上にAさんの人生観や人間観など、普通の友人以上に深い部分を知ることができました。本を読んで語らうというのは、そういうことだと思います。
 そのAさんに、たの研を初める頃こういう便りを送りました。いくつか記憶に残っているキーワードを紡ぐと、おおよそこういう話を書いたと思います。
 Aさんへ
 私はそろそろ〈決まり〉〈べき論〉にしばられた公務員の暮らしを卒業してフリーになろうと考えています。今までは娯楽でどんどん本を読んで、Aさんともたくさん語り合ってきたのですけど、起業するわけですからそういう時間がなくなります。
 かつての日本では、本を読む様な奴は怠け者で、やることをやらない腑抜けの様にいわれたり、戦争が始まる頃は危険視されたり、学校で先生のいうことだけを聞いていればよくて、娯楽の様に本を読むものは不良だといわれたりetc.
それでも本の魅力にとりつかれた人たちは、それらを全て受け入れる度量もまた手にしたと思います。私たちの頃は、不思議なことに「読め読め」と言われる様になったのですけど、それはお節介なことで、形・かっこうを整えたら本の魅力がわかるかというと、それは文字通り格好付けで、長続きするものではないでしょう。
 Aさんや私は幸いそういう格好付けで終わらず、かつて〈不良だ〉と言われた頃の先人たちと同じ位置に立てているのではないでしょうか。
  さて、起業に伴って、これからしばらく読書に熱中することを離れます。
 それでも間違いなく、またいつか戻ってきます。
 その時にまた語りあえると嬉しいです。

 去年久しぶりに届いたAさんの便りには、中国の小説家が書いた「三体」についてつづられていました。

 年が明けて最近、三体(三部作)の一作目を読みました。

 また〈不良〉に戻って浸ってしまいました。

 愕然とするレベルのSFです、中国文化おそるべし。

 メルマガの「映画の章プラス」に久々に小説を紹介しようと思います。

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寒さに負けるなというけれど・・・

 私いっきゅうは、子どもの頃からずっと寒さに弱くて、今日の様な寒さにはほとほとまいってしまいます。

 厚手の靴下を三枚重ねて、上着はタフなやつ、ネックウォーマー二枚重ね etc. 
 それに熱い珈琲も離せません。

 その上で「これは人間が生きていられる気温ではないな」とか呟いているのですから、周りの人に笑われてしまいます。

 ところで、寒いところで過ごすエスキモー、イヌイットの人たちはかなり寒さに強いのでしょう。
 人間はいったいどのくらいの寒さに耐えられるのかと気になって「人間はどこまで耐えられるのか」フランセス・アッシュクロフト(河出書房新社)を開いてみました、この本はかなり面白いですよ。

 さて高度や深さなどの記録ははっきり記されているのですけど、そこには
「どのくらいの寒さに耐えられるかは、寒さにさらされる時間と程度によるので、寒さの限界を明確に定義するのは難しい」182p
 と書かれていて、「何度まで耐えられる」のかよくわかりません。それで一度読んだのに私の頭に残っていなかったのでしょう。ただし〈わからないこと〉を「わからない」とかけるというのは信頼できる本の条件の一つです

 雑誌「子供の科学」のサイトには人間の生きられる気温の幅は-50~+50℃と書いてあります。

 「ただし、衣服、食料、水分、塩分が豊富に利用できる環境が必要です」とあるのですけど、それはたとえば「2mの厚さのワタでできた服に包まるとか、暑さ過酷な温度に耐えられる宇宙服を着ていっぱい食べる、あるいは〈生命維持装置〉の中にいれば生きていられます」という様なこととも考えられるので、「マイナス50度の世界で生きていられる」と言ってよいのか疑問が残ります。

 さてさて、私が凍える様に耐えている今の〈沖縄〉の気温を調べてみたら16℃、これは情けないかな、すみません ・ω・)

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太郎こおろぎ その後/小学校の国語の教科書もおもしろい

 数回前、私がはじめて小学校の先生として子ども達の前に立った年、三年生の国語の教科書に載っていた「太郎こおろぎ」の話を書きました。いくつかたよりを頂いた他に、A先生が「読んだことがなかったのでアマゾンで注文しました」と国語の教科書作品を収録した〈光村ライブラリー〉を持って来てくれました。
 光村図書出版社、なかなか嬉しい仕事をしてくれています。懐かしく手にする人たちがたくさんいるでしょう、感謝。

 さて私も一冊欲しいなとamazonを検索していたら〈太郎こおろぎ〉の絵本がピンポイントで出て来ました、なんと・・・ 古本で約3万円。

 なるほどそれで〈せどり〉という転売ビジネスが成立するわけですね。
 こうやってバブルの様に高値にしていくことって、早く無くなって欲しいものです。

 閑話休題

 便りの中に、私が記事の中で

最後の「太郎は◯◯になって、学校に立派な、◯◯◯◯」という終わり方は、半分好きで、半分は「もったいないことをしたな」と感じたことも覚えています。

と書いたことにふれた方がいました。

 どこが半分好きで、どこがもったいないのか?

 あの太郎がみんなから信頼されて村長になったということが好きなエピソードです。そして〈コンクリート〉の校舎を作ったという〈古いものを新しくすることが素晴らしい〉と考えていた高度成長期の価値観そのものに残念な思いがするのです。どういう時代の流れ、価値観の変遷を経てもゆるがない作品というのはほとんどないでしょうから、それをもって「太郎こおろぎ」の価値を低く見る必要はないでしょう。

 みなさんの好きな、教科書の中に出てきた物語を教えてくれたら幸いです。

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ミヒャエル・エンデ「モモ」 その深さとたのしい教育との関わり

 夭折した文学者 中島敦の作品に〈名人伝〉という秀作があります。

当代1の弓の名人になりたくて修行を積んでいった若者が、それを追求し完遂した後、弓そのものさえ、それが何なのかわからなくなったという話。

 その結末に驚いてしまいました。

 2/11の記事でモモをお勧めした日、何十年かぶりに読み、驚きました。

 私の中に染み入っていたものの見方考え方の重要な一つが、エンデからもらったものだったことを発見したからです。

 身体は摂取した食べ物から作られるのは間違いないのに、どの食べ物から腕の筋肉ができたかわからない様に、エンデの思想が私の中に自然に入り込んでいるのでしょう。

 たとえば「〈これとそれはどっちが儲かるか〉という様なことは重視しない」という価値観など、たのしい教育研究所の運営に強く影響していることは間違いありません。

 私やたの研の価値観は別にしても、エンデの「モモ」は、効率や利益を主に生きている人(いやものしかするとほとんどの人たちがそうなのかもしれません)、そういう人たちや社会に警笛を鳴らし、人間の豊かな暮らしを失わない様に提唱した重要な本です。

 人と人とがのんびり会話を交わしつつ、お互い補い合いながらたのしく過ごしていく。そして自分の能力をフルに稼働して周りの人たちの笑顔に結びつくものに懸ける。ミヒャエル・エンデは「モモ」を通してそういう価値観を世界のいろいろなところで広げてくれた大切な人物です。

 65歳というまだまだこれからという時に命を閉じました。エンデさんの誕生日は11月12日です、本屋さん図書館でエンデ展を開いてくれるといいなぁ。

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