花の名前=「わすれな草」に覚えた違和感が数十年を経て解決/牧野富太郎『草木とともに』KADOKAWA

 この花は、あまりみたことがないかもしれません。とても詩的な文学的な名前なので、いろいろな唄にも登場するのですけど、こうやってしっかり見たのは、私もおそらく数回くらいです。

wikipediaに感謝して

 「ワスレナグサ=わすれな草=勿忘草」 ※勿(~してはいけない)

 

 分類や和名・英名はこうなっています、〈ムラサキ科〉という科名があったのか

分類APG III
: 植物界 Plantae
階級なし : 被子植物 angiosperms
階級なし : 真正双子葉類 eudicots
階級なし : キク類 asterids
: シソ目 Lamiales
: ムラサキ科 Boraginaceae
: ワスレナグサ属 Myosotis
学名
Myosotis L. [1]
和名
ワスレナグサ(勿忘草、忘れな草)
英名
Forget-me-not
scorpion grass

〈Forget-me-not:フォーゲット ミー ナット〉という花の名前は、さだまさしの唄で耳にしていて、しばらくしてからそれが「ワスレナグサ」というのを知りました、上のwikipediaの解説にも出ています。

 ところで〈 Forget me not 〉は「私を忘れないで」という意味です、とすると〈わすれな草〉はおかしいなぁ、〈忘れないで〉を「わすれな」とは表現しないはずだから、とずっと思っていました。

「忘れ名 草」とは読めるけど、それは〈忘れないで〉ではありません。きっと「わすれるな」を「わすれな」と短縮したのでしょうね。

 今ためしに古語辞典を開いても「わすれな」や「勿忘」の単独の使い方は載っていません、オンライン辞書(Weblio古語辞典)で調べても、やはりそうです。

古語辞典で「わすれな」に一致する見出し語は見つかりませんでした。

 

古語辞典で「勿忘」に一致する見出し語は見つかりませんでした。

 直接web検索したり〈ChatGPT〉で確認しても、やはり「わすれな」という表現は確認できませんでした、これは「ワスレナグサ」の花でのみ成立しているようです。その後そこから派生してミュージシャンのグループ名や商店街の名前になっている例はあります、けれどそれは今回の語源の話とは別です。

 牧野富太郎のことは学生時代から知っていたのですけど、うちの研究所を強く応援してくれた故 伊波善勇先生と交流する様になってから、著書や図鑑を手にするようになりました。

 最近、牧野富太郎の著書「草木とともに 牧野富太郎自伝」の朗読を聞いている時に、ワスレナグサの花の名前にまつわる胸のつかえが下りました。

「ワスレナグサは洋名 forget me not の直訳名であるが、この草はもとより日本に産しない草であるから、従って〈和名〉というものはない」

「そのワスレナグサというのは川上瀧彌(かわかみ たきや)が名付けたものであること」を前置きして、こう書いています。

ワスレナグサというとあまりに俗に流されすぎてよくないので〈ワスルナグサ〉とした方がよいと思う。

「与(私)を忘るな」といわねばならぬのではないか。

〈忘るな草〉→「ワスルナグサ」なら forget me not. の訳として何の違和感も感じません。

 私は牧野訳に一票です。

 すでに「ワスレナグサ」という名前が広まって、辞書にも採用されていますし、〈ワスルナ〉より〈ワスレナ〉が新しい感じがしますから、牧野さんや私に賛成してくれる人は少ないでしょう。

 とはいえ、私が子ども達に伝えるとしたら

「先生が好きな牧野富太郎という植物学者は『この花を〈忘るな草〉と呼んだ方がいい』って言ったんだよ。意味的にもスッキリするから、先生もその方がよかったとおもう」

 というでしょう。

 わすれな草(「忘るな草」牧野訳)と書くのもよいと思います。

 こういう話は、テスト勉強には一切役立ちません、採点する先生すら知らない話でしょうから、テストに「ワスルナグサ」と書いたら✖️をもらってしまいます。

 けれど人間の知的興味関心は、こういうところからスイッチが入ることも多いのです。そうやって調べているうちに、ムラサキ科のわすれな草(忘るな草)にさくら色の花もあることに気づきました。

理科教材データベースより(感謝)http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/html/kyo/index.html

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ブラックホールとかダークマターといった紛らわしいネーミング:本質のことを知ろうとするスタイルは騙されない人になる一歩でもある(特殊詐欺)

 科学上の概念、名前には直感的なイメージからかけ離れたものがいくつもあります。

 以前「〈ブラックホール〉は穴ではない」という話を書いて、いろいろな方たちからお便りをいただきました。

たのしい宇宙科学〈ブラック(黒い)ホール(穴)〉は穴ではないという話

 ブラックホールは「穴」ではなく『重力が極めて強い天体』であるということが正確な表現です。

 私は子どもたちに《超高密度天体》と説明しています、地球くらいの天体が2cmくらいのビー玉くらいに押し縮めたくらいの密度です。
 その強烈な重力によって、周囲の物質や〈光さえも〉逃れることができない天体です。
 つまり星の一つ、特殊な星なのです。

 宇宙系には「ダークマター」とか「ダークエネルギー」という様にまだ解明されていない上に〈ダーク:闇⇨邪悪な〉というイメージがのっているネーミングもあります。爆発が起こったわけでもないのに「ビッグバン」と名付けられている現象もあります。

 やはり名前は、人間の思考イメージを形作るものとしてとても重要です。

 先日、知人と語らっている時、何のきっかけだったかブラックホールの話になりました。
 知人も「光さえ呑み込んでしまう〈穴〉」だと思っている一人でした。

 一度広まった名前を変えることは大変でも、これから100年200年と続く世の中で、どんどん誤解をうみ続ける名前を続けるのはおかしい、最近紹介した様に、遺伝学上のとても有名なネーミング「優性形質・劣性形質」が教科書で「顕生形質・潜性形質」に変わったわけですから。

 そこで当面「ブラックホール(超高密度天体)」と並記することを提唱します、これは私たち個人でできることです。

 そのうち◯十年くらいして、その表記が普通になっていったら「超高密度天体」のみにする。

〈ダークマター〉はまだその存在が証明されたわけではなく、間接的にその存在が推測されている物質です。

 これは「ダークマター(不可視物質)」と並記する。

 賛同する方は一緒にやりましょう。

 以前も書いたのですけど、そういった本質を知ろうとするスタイルは、騙されない人間になっていくスタイルでもあります。

 私は文章を書く人間ですから、騙さない様に、誤解を生まない様に努力する。その一つがブラックホールやダークマターの話でもあります。

 地道なことですけど、効果があがるのはこういう地味なことの積み重ねでもあると思います。

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板倉聖宣『道徳教育を語る』-たのしい教育メールマガジンから

 読者の方からの要望に応えて久しぶりに板倉聖宣の発想法を紹介させていただきます。初期の頃の「たのしい教育メールマガジン」から切り取ってみましょう。

板倉聖宣 沖縄にて きゆな写

生きる知恵としての道徳

板倉聖宣

 道徳教育については問題整理が必要になります。
〈道徳〉というのは生きる上で一番役立つものなのです。
あいまいなイメージのまま議論をしていると問題がどんどんややこしくなる。
 古いタイプの人たちには〈道徳〉の中に 〈徳目〉を習慣化しよう、という考えがある。
自分で考えて正しいと思って行動する人間を育てるのでなく、それをするのが当たり前であるようにしたいのでしょう。
だから〈道徳〉という言葉のイメージは〈修身〉とおなじでおしつけ的な感じがある。

その点からみると〈道徳〉という言葉が適切なのかどうかわからないし、もっと他にふさわしい言い方があるのかもしれない。
要するにボクは〈生きる知恵〉を子ども達にプレゼントしたい。
〈みんなと共に生きる知者〉ととらえ直して
〈他人と一緒に生きる知恵〉を学ぶようにしたいのです。

〈生きる知恵〉ならば、長生きをしている人に知恵があるのは確かだろうし、そういう知恵が正しいのかどうかを若い人だって議論できる。
 つまり〈知恵〉という言葉からは
〈過度の摩擦を起こさずに皆が生きていける方法〉
しかも
〈社会の発展が保証できる〉というカンジがつかめるのです。
 そういう教育を行なう時、
〈集団をあまり重要視しないこと〉と
〈個人を極端に重要視しないこと〉とのバランスを取るのがすごく難しい。
相互に干渉をしないように、どこらへんで切るかを探るには〈仮説・実験〉で限界を探っていくしかないね。

 道徳というのは生きる知恵である、と考えていくと、道徳は押し付けではなく、いろいろなアイディア、見方・考え方が出てくると思います。

 その意味でモラルジレンマ 方式もとても有効なものとなるでしょう、いろいろな見方・考え方があるということを知ることができて、多様な立場の人たちの間で摩擦をなるべく減らすようにしたいという考えも出てくるでしょう。

 おつけにならない道徳、家庭でも学校でも考えてみませんか。

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優等・劣等と分けたのはメンデルさんか? たのしい教育メールマガジンから

 メルマガに「言葉のもとの意味を調べる意義」として書いたところ、いろいろな反応がきて喜んでいます。

 私がメルマガに血液型の例を出して「〈優性遺伝〉〈劣性遺伝〉という様に、人間に直接優性・劣性とラベリングするのはなかなかないと思う」と書いたところ
「いっきゅう先生、以前は〈優等生〉〈劣等生〉という言葉がありましたよね」というメールがとどきました。

 たしかに!

 遺伝や進化の研究は〈優等〉〈劣等〉という酷い差別を生み出したともいえます。

 今回のメルマガの発想法の章の最後にこう書きました。

心やさしき研究者メンデル

「おだやかで寛大で心優しい、花を愛した人でした」と評されたメンデルは、植物たちの遺伝の形質に「優れている・劣っている」と表現した人物ではありませんでした。
 ここで私の長年の謎は解け、その肖像をみる時にも、おだやかな気持ちで向き合うことができる様になりました。

 そしてさらに気になっていた「ダーウィンはどうしてメンデルさんの研究に目をつけなかったのか」というテーマにすすんでいます。

 実は、ダーウィンとメンデルの関係と同じくらい

では、誰が遺伝形質を優性・劣性という価値観で分けたのか」「優等な形質をもった人間を残そう、という恐ろしい発想を広めたのは誰なのか?

という強い問題意識があります。

 そういう〈優生学〉はナチス・ドイツはとんでもない蛮行にも繋がっていきました。

 人間を〈優等〉〈劣等〉に分けるのはとんでもないことだということに賛同する人は多いでしょう。

 でも私たちは〈優等劣等〉言葉はつかわなくても、たとえば植物についてはごく普通に〈美味しいもの・美味しくないもの〉〈甘いもの・甘くないもの〉〈大きいもの・小さいもの〉〈花がたくさんつくもの・少ないもの〉〈長く咲き続けるもの・すぐ咲き終わるもの〉という様に優劣をつけてとらえています。

 動物たちについてもそういうところがあります。

 それを私たち人間は解決できるのでしょうか。
 解決する必要はないのでしょうか。

 そういうとても大きな問題とつながります。

 いつか〈たのしい教育メールマガジン〉で私の考えをまとめてみたいとおもっているところです。

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