星野道夫が追いかたけ自然/アウトドアのスタイル考

 たいてい、仕事をしながら動画を流しています。〈アウトドア〉とか〈車中泊〉というキーワードで検索して連続再生するのですけど、キャンプ用品のあれがいいこれがダメ、電源はこれが長持ちだという様なグッズ・製品の紹介や、観光地で食事とか料理とビールとかおいしい食べ物にかなりの尺を使っているので、さながら〈テレビショッピング〉や〈グルメ番組・料理番組〉の様です。

 アウトドア動画の作成が自分の暮らし方の〈ステータスシンボル〉として、あるいは〈おしゃれ的、流行的なもの〉として位置している人が多いのかもしれません。
 とはいえ、そういう動画がたくさんの視聴者を集めていますから、私のような根っからのアウトドア派の方が少数なのは間違いないでしょう。
 これは好みの問題でもあって、どちらがよい悪いということでもありません。

 海外のアウトドア派たちは日本の様子とは違っている様です。

 気に入りの「私は森に住んでいるhttps://www.youtube.com/watch?v=o3Dpthn3eqU」 は、オーストラリアのアウトドア派が、自然の音が響き渡る中、アリとたわむれたり、火を起こしたり、ウッドクラフトしたりするシーンが満載です。

 フィールドノートを開いて、押し花(押し葉)する様子を見せてくれる場面もあって、一時停止して何というメモ書きなんだろうと読んだりしています。

 動画は何種類か出ていて、当然、食事の場面も出てくるのですけど、日本の動画と違って、自然の素材を集めてきて食べたり、炭火に直接〈ぶあつい肉〉を置いて調理したりと、アウトドア感たっぷりです。外国の人たちのアウトドアの志向は日本とは違うのでしょう。以前みたカナダの人が「日本のアウトドアは豪華で、他の国々とは違う」と語っていました、本当かもしれません。

 それにしてもいつから日本人は食事中心のアウトドアになってしまったんだろう・・・
 不思議です。

 少なくとも私が敬愛する星野道夫(1952年9月27日~1996年8月8日)が生きた頃は、そうではなかった。

 彼は自然そのものが好きで、アラスカに渡って暮らし、いくつもの写真集やエッセイ集を残してくれました。

 食べ物というと、大自然の中のベリーの話とかを思い出すのだけど、アウトドア用品の紹介とか、料理とかグルメという話はほとんど記憶にありません。

 気になって、近くにある一冊「アラスカ 風のような物語」を開いてみました。

 

 目次をみてみましょう。


「木の実みの頃」くらいしか、食べ物とつながるものはみつかりませんね。「シシュマレフ村」の項などに、男たちがとってきたクジラを女性たちがさばいているシーンが出てくるのですけど、グルメ的な要素はありません。

 星野道夫は大自然そのものが好きで、生き物が好きで、人間が好きで、それを追いかけ、写真や言葉で残すことに生涯をかけた人でした。

 たのしい教育研究所は〈環境問題〉にも関わっています。本質的に環境を守り育てようという子どもたちは、「本当に自然が好きだ」とか「風が木々を渡る時の音がたまらない」「あ、今年はじめてセミの声を聞いた」と感動する様な子ども達でしょう。

 たの研の仕事がひと段落ついたら、私もテントを乗せて車で旅に出たいと思います。

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〈たのしい学力向上〉と〈家庭学習〉/読者の方からの質問に答えて①

 読者(沖縄県の小学校の先生)の方からこういう質問が来ました。「自分が子どもの頃は家庭学習を自分で決めてすすめていたのですけど、今、学校では〈今日の家庭学習はこれこれ〉という様に指定するのが普通になっています。いつからそうなったのですか?」という内容です。
 学校の学力向上推進の話合いの中で「先生が家庭学習の内容をちゃんと指示してくれなかったので、家庭学習をやってきませんでした」という子がいて、それが一人二人ではないということがわかったのだそうです。

「家庭学習というのは自分の力を高めるためにとりくむものであって、ここをやるようにと言われたらやる、そうでなければやらないというものでよいのか?」それが、質問してくれた先生の問題意識のようです。

 みなさんはどう考えますか?

 私は大学を卒業して1984年から小学校の教師をしてきましたから、今の若手中堅の先生たちより、学校の教育に長く関わってきています。私が大学で学んでいた頃、沖縄県の教育委員長をしていた大浜法栄(おおはま ほうえい)氏が著した「教師は学力低下の最大責任者」という本が話題になっていました、1979年の出版です。

 大浜方榮は沖縄県医師会の会長をしていたのですけど、教育に関わるようになり、教育委員長の位置につき、のちに自民党参議院議員となり、農林水産政務次官をつとめています。※写真は著書(上記)から


 教師に最大の責任があるのか、行政に責任があるのか、社会環境にあるのかなど、最大の原因を誰にもっていくのかは別にして、次第に沖縄県のこども達の学力の低さは教育界の大きなテーマとなり、1988年には沖縄県教育委員会の取り組みとして正式に「学力向上対策」がスタートすることになりました。それは現在も続いていて、数えると34年目に入ったことになります。
 学力テストの得点を〈学力の数値〉だといってよいのかどうかは別な議論として考えておく必要があるのですけど、小学校では全国学力テストの得点で全国平均を上回る位置にいます。中学校は次第に全国との差を縮めてきています。

 

 沖縄県教育委員会のデータからhttps://www.pref.okinawa.jp/edu/

 実は家庭学習の出し方についてもこの学力向上の取り組みとかかわりがあります。

 沖縄県の学力向上対策の中で「家庭学習を授業と結びつけていこう」という指導が行われ、次第に、こどもたちそれぞれの問題意識による家庭学習ではなく、学校の授業の補完という位置付けになっていきました。これも私が教師を初めて数年後のことだったと記憶しています。

 学習が進んだ子ども達はどんどん先の内容を家庭で学習したり、算数が苦手だという子が前の学年の内容に戻って家庭学習していくスタイルはなくなっていき、「国語教科書の◯ページから◯ページまで写本」とか「算数の◯ページの問題」など、教師が指定するスタイルになっていったわけです。

 質問してきてくれた先生は、これで「なるほど」と納得したわけではありません。はじめに書いたような問題意識がひかえていたからです。

「はたして、こういうやらされ型でいいのか?」
「家庭での学習が〈学校の7校時目〉として位置付けられるようなものになっていないか・・・」それを一人の教師として問いかけているのです。

 たのしい教育側の答えを書くのは簡単ですけど、読者の皆さんの意見も聞いてみたいのでワンクッションおかせてください。

 先生中心の指示・指定型の家庭学習のままでいいのか?

 みなさんはどう考えますか。意見を聞かせていただけたら幸いです。

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たのしい読書案内「怪人二十面相」/好きな世界を増やすことが本物の学力

 もの心つくころから書棚にたくさんの本が並んでいたのは、とても幸いなことでした。親にとても感謝していることの一つです。本に対する親しみと同時に、自然にそれを手に取る様になっていったからです。

 私は周りの友人たちと違って小学校一年生にあがるまで五十音を勉強していなかったのですけど、勉強をはじめると、身近にあるたくさんの本が読めることが嬉しくてどんどん言葉を学んでいったのを覚えています。小学校12年で江戸川乱歩の〈怪人二十面相〉シリーズを読み始めていたのですけど、おそらくみんな読み仮名がついていたのでしょう。わからないところは辞書を引いたり家族に聞いたりしていたに違いありません。それにしても、読書人生の始まりの頃に、あれだけドキドキする様な体験をしたことも幸いでした。ある先生の残念な指導でその後数年、本から遠ざかるのですけど、本そのものを嫌になったことはありません。人生全体として、本から得た感動は数えられないほどです。

 さて、私の読書生活の本格的なスタートの頃に出会って、その後の読書人生を大きく決定づけた江戸川乱歩の「怪人二十面相」は〈青空文庫〉で全文読むことができます。私もまた読み返しています。
 変装の名人の怪人二十面相と探偵明智小五郎、その右腕の小林少年の活躍に没頭したあの日々が思い起こされます。

  読書生活のスタートの頃の小説の中身を覚えているのか?
 それも興味深いことです。

 青空文庫という〈社会運動〉に敬意を評して、はじまりのところを少し紹介します。気に入ったらぜひ青空文庫を開いてみてください。男性でも女性でも、小学生でも大人でもたのしめると思います。

 

 
 そのころ、東京中の町という町、家という家では、ふたり以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、怪人「二十面相」のうわさをしていました。
「二十面相」というのは、毎日毎日、新聞記事をにぎわしている、ふしぎな盗賊とうぞくのあだ名です。その賊は二十のまったくちがった顔を持っているといわれていました。つまり、変装へんそうがとびきりじょうずなのです。
 どんなに明るい場所で、どんなに近よってながめても、少しも変装とはわからない、まるでちがった人に見えるのだそうです。老人にも若者にも、富豪ふごうにも乞食こじきにも、学者にも無頼漢ぶらいかんにも、いや、女にさえも、まったくその人になりきってしまうことができるといいます。
 では、その賊のほんとうの年はいくつで、どんな顔をしているのかというと、それは、だれひとり見たことがありません。二十種もの顔を持っているけれど、そのうちの、どれがほんとうの顔なのだか、だれも知らない。いや、賊自身でも、ほんとうの顔をわすれてしまっているのかもしれません。それほど、たえずちがった顔、ちがった姿で、人の前にあらわれるのです。
 そういう変装の天才みたいな賊だものですから、警察でもこまってしまいました。いったい、どの顔を目あてに捜索したらいいのか、まるで見当がつかないからです。
 ただ、せめてものしあわせは、この盗賊は、宝石だとか、美術品だとか、美しくてめずらしくて、ひじょうに高価な品物をぬすむばかりで、現金にはあまり興味を持たないようですし、それに、人を傷つけたり殺したりする、ざんこくなふるまいは、一度もしたことがありません。血がきらいなのです。
 しかし、いくら血がきらいだからといって、悪いことをするやつのことですから、自分の身があぶないとなれば、それをのがれるためには、何をするかわかったものではありません。東京中の人が「二十面相」のうわさばかりしているというのも、じつは、こわくてしかたがないからです。
 ことに、日本にいくつという貴重な品物を持っている富豪などは、ふるえあがってこわがっていました。今までのようすで見ますと、いくら警察へたのんでも、ふせぎようのない、おそろしい賊なのですから。
 この「二十面相」には、一つのみょうなくせがありました。何かこれという貴重な品物をねらいますと、かならず前もって、いついく日にはそれをちょうだいに参上するという、予告状を送ることです。賊ながらも、不公平なたたかいはしたくないと心がけているのかもしれません。それともまた、いくら用心しても、ちゃんと取ってみせるぞ、おれの腕まえは、こんなものだと、ほこりたいのかもしれません。いずれにしても、大胆不敵だいたんふてき傍若無人ぼうじゃくぶじん怪盗かいとうといわねばなりません。
 このお話は、そういう出没自在しゅつぼつじざい神変しんぺんふかしぎの怪賊と、日本一の名探偵めいたんてい明智小五郎あけちこごろうとの、力と力、知恵と知恵、火花をちらす、一うちの大闘争だいとうそうの物語です。
 大探偵明智小五郎には、小林芳雄こばやしよしおという少年助手があります。このかわいらしい小探偵の、リスのようにびんしょうな活動も、なかなかの見ものでありましょう。
 さて、前おきはこのくらいにして、いよいよ物語にうつることにします。

鉄のわな

 麻布あざぶの、とあるやしき町に、百メートル四方もあるような大邸宅があります。
 四メートルぐらいもありそうな、高い高いコンクリートべいが、ズーッと、目もはるかにつづいています。いかめしい鉄のとびらの門をはいると、大きなソテツが、ドッカリとわっていて、そのしげった葉の向こうに、りっぱな玄関が見えています。
 いくともしれぬ、広い日本建てと、黄色い化粧れんがをはりつめた、二階建ての大きな洋館とが、かぎの手にならんでいて、その裏には、公園のように、広くて美しいお庭があるのです。
 これは、実業界の大立者おおだてもの羽柴壮太郎はしばそうたろう氏の邸宅です。
 羽柴家には、今、ひじょうな喜びと、ひじょうな恐怖とが、織りまざるようにして、おそいかかっていました。
 喜びというのは、今から十年以前に家出をした、長男の壮一そういち君が、南洋ボルネオ島から、おとうさんにおわびをするために、日本へ帰ってくることでした。
 壮一君は生来せいらいの冒険児で、中学校を卒業すると、学友とふたりで、南洋の新天地に渡航し、何か壮快な事業をおこしたいと願ったのですが、父の壮太郎氏は、がんとしてそれをゆるさなかったので、とうとう、むだんで家をとびだし、小さな帆船はんせんに便乗して、南洋にわたったのでした。
 それから十年間、壮一君からはまったくなんのたよりもなく、ゆくえさえわからなかったのですが、つい三ヵ月ほどまえ、とつぜん、ボルネオ島のサンダカンから手紙をよこして、やっと一人まえの男になったから、おとうさまにおわびに帰りたい、といってきたのです。
 壮一君は現在では、サンダカン付近に大きなゴム植林をいとなんでいて、手紙には、そのゴム林の写真と、壮一君の最近の写真とが、同封してありました。もう三十歳です。鼻下びかにきどったひげをはやして、りっぱな大人になっていました。
 おとうさまも、おかあさまも、妹の早苗さなえさんも、まだ小学生の弟の壮二そうじ君も、大喜びでした。下関しものせきで船をおりて、飛行機で帰ってくるというので、その日が待ちどおしくてしかたがありません。
 さて、いっぽう羽柴家をおそった、ひじょうな恐怖といいますのは、ほかならぬ「二十面相」のおそろしい予告状です。予告状の文面は、

「余がいかなる人物であるかは、貴下きかも新聞紙上にてご承知であろう。
 貴下は、かつてロマノフ王家おうけ宝冠ほうかんをかざりしだいダイヤモンド六個を、貴家の家宝として、珍蔵ちんぞうせられると確聞かくぶんする。
 余はこのたび、右六個のダイヤモンドを、貴下より無償にてゆずりうける決心をした。近日中にちょうだいに参上するつもりである。
 正確な日時はおってご通知する。
 ずいぶんご用心なさるがよかろう。」

というので、おわりに「二十面相」と署名してありました。
 そのダイヤモンドというのは、ロシアの帝政没落ていせいぼつらくののち、ある白系はっけいロシア人が、旧ロマノフ家の宝冠を手に入れて、かざりの宝石だけをとりはずし、それを、中国商人に売りわたしたのが、まわりまわって、日本の羽柴氏に買いとられたもので、あたいにして二百万円という、貴重な宝物ほうもつでした。
 その六個の宝石は、げんに、壮太郎氏の書斎の金庫の中におさまっているのですが、怪盗はそのありかまで、ちゃんと知りぬいているような文面です。
 その予告状をうけとると、主人の壮太郎氏は、さすがに顔色もかえませんでしたが、夫人をはじめ、お嬢さんも、召使いなどまでが、ふるえあがってしまいました。
 ことに羽柴家の支配人近藤こんどう老人は、主家の一大事とばかりに、さわぎたてて、警察へ出頭しゅっとうして、保護をねがうやら、あたらしく、猛犬を買いいれるやら、あらゆる手段をめぐらして、賊の襲来しゅうらいにそなえました。

 
読んでみました
 読んでみてストーリーが、全く記憶されてなかったことに驚きました。「おもしろかった」といいう感覚的なものははっきりのこっていても、細かい部分は覚えていないのですね。ただ、ストーリーという具体的なものではなく「この流れはおかしい、この人が怪人二十面相だろう」という様な読みは、どの部分もしっかり当たっていました。これはたくさんの推理小説を読み続けてきたことと、ストーリーの深い部分が感覚的に残っていたのと二つある気がしています。

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悲しすぎる事件/意見の違いは暴力で示すのではなく投票で明らかにする/親にできること教師にできること

 あまりにも悲しすぎるニュースが日本中に流れています、元総理が銃撃され命を失うという衝撃的な事件です。日頃ニュースも見ない新聞も読まない私なので、友人知人からもたくさんのメールやLINEが届いています。

 今回の事件が、ある異常な人物の異常な行動であったということもあるでしょう。しかし意見の違い、考え方の違い、これは許せないという感情の高まりによる蛮行だとしたら、怒りと同時に日本の投票率の低さを考えざるを得ません。

 国民の半分も投票に行かない状況が現在の日本です。
 投票率が80パーセントを超えていたら、たくさんの人が自分の意見を投票という行為で示す様な社会だとしたら、政治的な立場考え方をたくさんの人たちが数字で示す様な社会なら、暴力を使って政治家を屈服させようという動きは明らかに減っていくはずです。

 今回の怒り以外湧き上がってこない様な、そして悲しすぎる事件を、私たち国民が、もっと成熟した国にしていく決意に向けていかなくてはいけないと考えています。そのためにもまず、この日曜日の国政選挙に、自分の意見を反映させてほしい、そう思えてなりません。

 もう一つあります。

 「こんなことが起こるなら、何をやっても無駄ではないか」という人たちもいるのですけど、そうではありません。親が教師が〈力によってこどもたちを屈服させよう〉〈暴言や腕力でコントロールする行為〉をやめることです。
 こどもたちは大人から「大人たちは口ではうまいことをいうけれど、いざという時には力で相手を従わせるのだ」ということを学んでいく様なことが、結局今回の様な蛮行を生む土壌になってくのは間違いないと思います。

 分かり合えないこともあるけれど、相手が納得してくれる努力に全力を尽くす。そういう姿を見せてあげることが、とても大切なことだと思います。

 家庭や学校から〈力による支配〉をなくす、それが決定的なことでしょう。

 押し付けや暴力を廃し、周りの人たちの笑顔を広げていくたのしい教育の思想をもっと広げていかなくてはいけないと思えてなりません。

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