地球環境について科学者たちも特に気にしていなかった頃

 たのしい環境教育についての〈たの研授業書/たのしい教育プログラム〉を作っている時、自然に関わる研究している科学者たちはいつ頃から環境問題を気にするようになってきたのかが気になっていました。一般の人たちが気にしない中でも、科学者たち・研究者たちはその害に気付いて、環境問題を訴えていただろうと考えたからです。

 世界というと広いので、まず日本の科学者たちが環境問題に警告を流し始めたのはどれくらい前からか、ということで一緒に考えてみませんか。ある地域限定の環境悪化というのではなく、より広いレベルの環境問題はを問題にすると、それは社会全体の〈工業化〉や〈生産性の追求〉から生じてくると考えられますから、日本でいうと明治維新(1868年)前後からということでみていきましょう。

 日本の科学者・研究者たちが日本全体に関わる環境問題を訴え始めたのはいつ頃からか?

予想

 ア.200年あたり前から

 イ.100年くらい前から

 ウ.50年くらい前から

 エ.その他

どうしてそう予想しましたか?

 日本の公害問題として有名な足尾銅山鉱毒事件があります、学研のサイトに「1890年8月、渡良瀬川の大洪水によって、栃木県・群馬県の8か村の田畑が、鉱毒によって汚染された」とありますから125年くらい前のことです。

 もしこの時に広く日本の国土全体の環境問題に警告を鳴らすことが主張されていれば、その頃からだといえるでしょう。それが科学者や研究者でなく、社会のリーダーたちから発信されているとしたら、詳しくみていく必要があります。

 足尾銅山の鉱毒については人々がたちあがった歴史的な出来事で、重要な意義があるとはいえ、私が探した限りでは、日本の国土全体の環境問題をテーマにしていたといういう文章には出会えませんでした。どなたか見つけた方がいたらぜひ教えてください。

 日本で自然に関わる先端的な研究をしていた人物が中谷宇吉郎(なかや うきちろう)です。雪の結晶の研究で世界の先端を進んでいました、人工雪を世界で初めて作った人物です。※1900年生まれ1962年に他界


 科学の師であった寺田寅彦が文人夏目漱石の弟子でもあったので、間接的にその影響を受け、科学者として視点をもった読みやすいエッセイをたくさん残しています。

 その中に〈紙の行方〉という掌編があって、表題の「科学者たちが地球環境を気にしていなかった頃」の一つのアンカーになる文章です。一気に読めるので、青空文庫の功績に敬意を込めて全文引用させていただきます

 奥付にあるように、この文章を発表したのが〈1952年〉、今から70年くらい前です。

「女房に焚かすことにしている」という言葉が自然に出ているところに男尊女卑の風景を感じるとともに、ラストの

「この煙は、アメリカの木材資源の過伐と、地力の消耗との一つの表象とみることも出来る。しかしそういう見方は、貧乏国で育った私などの感慨であって、現代のアメリカでは、そういうことは全然問題にする必要がない。紙くらいはどんどん焼いた方が、別の生産の方で、能率を上げるもとになるからである。
 ものを無駄にした方が、かえって生産の向上に役立つという、この不思議な現象は、アメリカにだけある現象である」

という言葉に、環境問題をぜんぜん気にしていないアメリカと、それは〈木材資源の過伐と、地力の消耗との一つの表象〉ではないかと環境問題を案じる気持ちが綴られています。

 この文章から類推するのははなはだ大胆とは知りつつ、一つの予想として「日本の科学者については、100くらい前には環境問題を気にする人物はなく、この70年±10年賀状-くらいあたりから次第に芽出しはじめたのかもしれない」と考えています。

 いろいろな予想をたてておくだけで、これから巡り合う文章・事象たちから、その結果に近くことができます。それはまるで推理小説の中の探偵になってワクワクどきどきしながらたのしめるテーマです。

 興味ある方の登場を期待します。

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教科書の表記が絶対正しいというわけではないという話( 。」)③-たのしい国語

 原稿用紙の使い方で作文嫌いを生まないように、という話はいろいろな方たちの心に響いたようです、いろいろ好意的なお便りをいただいています。とはいえ先生たちはあいかわらず、かぎカッコで閉じる時は句点を打ってから( 。」)と指導しないといけないでしょう、どうしたらよいのか? その話をして閉じることにします。

 今回のテーマは「こっちの表記が正しいくて、あっちの表記は正しくない」というために書いたものではありません、タイトルにあるように「教科書の表記が絶対正しいというわけではない」という話です。

 カッコで閉じる時に句点(  )を省く人が多いとはいえ、正岡子規のように句点+とじカッコ( 。」)する文人もいますし、一般の人もいるでしょう。

 学校で指導する時には「学校では原稿用紙の使い方として、これこれこういう指導をするけれど、そうでないものは間違いだというわけではありません。たとえば句点+ 」 について、句点なしの人たちもたくさんいます。新聞だって句点なしでカッコを閉じています。

 そういうことを並列して伝えるとよいのです。

 そもそも学校の表記が句点+とじカッコ( 。」)なのは何を根拠にしているかというと・・・

 1946年3月に〈文部省教科書局調査課国語調査室〉が作成した「区切り符号の使ひ方(案)」です。案のまま確定されない状態で、80年以上ずっとそれを踏襲しているわけです。

https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/sanko/pdf/kugiri.pdf

 時代とともに変わっていく言葉もあれば、変わっていく表記もあります。私は「」より〈〉符を多用します、読みやすいわかりやすいという声も聞きます。自分にしか適用されない符号だと困るのですけど、周りの人たちがわかりやすいものなら、使ってかまわないでしょう。

 いろいろな表記方がある、という流れで柔軟に対応できる子どもたちを増やしていって欲しいと思います。くれぐれも、原稿用紙の使い方を徹底して作文嫌いを量産することだけは避けて欲しいと願います。

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教科書の表記が絶対正しいというわけではないという話( 。」)②-たのしい国語

 私が子どもの頃は原稿用紙の使い方を徹底的に指導する先生が普通でした、そのせいで作文嫌いがたくさん出てきたという予想がたつくらいです。何しろ、前半で間違って、行がえが必要になると、その後ろも全部決して書き直しを命じられるので、難行苦行以外の何者でもありません。今回は私がよく修正を命じられた一つ、句点+閉じカッコ➡︎ 。」 について取り上げています。未読の方は一つ戻ってお読みください。
 そうそう、もっと前の記事も大切です、併せてお読みください⇨ https://tanokyo.com/archives/158743

 さて、もともとその作家は〈句点+閉じカッコ➡︎ 。」表記〉してないのに、それが教科書に載ると〈句点+閉じカッコ➡︎ 。」表記〉になってしまうことを、夏目漱石の有名な小説『こころ』を例に紹介しました。

 青空文庫を利用したので、今回は〈全集〉を開いて、ほんとうにそうなっているのかいないのかみてみましょう。

 第一研究所の近くの公共図書館に行ってきました。

 まず前回しめしたように、これが教科書、大修館書店〈現代文〉上191pです。

 日本文学全集(集英社) 夏目漱石〈ニ〉339p こころ 文中はこうです。句点とカッコの重なりはありません、カッコは二重かぎカッコです。

筑摩現代文学体系13 夏目漱石集〈ニ〉p281 こころ には句点とカッコの重なりはありません、カッコは二重かぎカッコです。日本文学全集と全く同じで、教科書とは異なります。

教科書は作者自身の表記を変え自分たちのルールに従って編集していることがわかります。

「青空文庫」、集英社「日本文学全集」、「筑摩現代文学体系」ともに、私が予想したとおりの表記でした。これ以上手を広げて調べる必要はないでしょう。

 そもそも漱石自身の直筆原稿を見ても〈句点+閉じカッコ➡︎ 。」表記〉はしていませんから、『こころ』の執筆の時だけそういう表記をしたというのは考えづらいでしよう。

漱石「門」直筆原稿 ※wikipediaに感謝して参照

 そろそろまとめに入りましょう。

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教科書の表記が絶対正しいというわけではないという話( 。」)①-たのしい国語

 前に〈かぎカッコと句点〉について書きました、会話部分をカッコでくくって、その閉じの部分「◯◯◯◯  。」が気になるという話です。句点〈 〉も文を閉じる記号で、閉じカッコ〈 〉も同じく閉じる記号です。無駄であるだけでなく美しさにかける。

 その記事の中で《 作家本人は 」 でシンプルに閉じているのに、それを教科書に載せると時 。」 に変えてしまっているのか》という宿題が残されていました。もしそうだとすると、作家本人はそう書いていないのに、教科書で日本中の子どもたちが目にするので、まるで本人がそのように書いたと考えてしまいます。

 これは私が親しんでいる高校の国語教科書にある夏目漱石の「心」の一節、中程に有名な言葉〈精神的に向上心のないものはばかだ〉という言葉が出ています。「 」で括られていて、句点+」ですね。

では夏目漱石の本は、そうなっているのでしょうか?

残念ながら本屋さんにいく時間的なゆとりもなくなっているのですけど、便利なことに電子書籍があります、kindleで調べてみましょう。その言葉は左側に位置しています。

 kindleだけで判断するのは早計でしょう、とはいえ、結果の一つはみつけたことになりますね。

 全集なども含めて、作家本人は私と同じようにシンプルにかぎカッコのみで閉じているのに、教科書に載る時には〈句点+ 」〉になっているのか、実は本人がそうしていたのか、はっきりするでしょう。

 推理小説のように謎を解く、こういうディテクティブ(捜査)もたのしくてやめられません ´ー`)
 こういう過程の一つひとつも、自分の頭で考えて確かめていくという〈騙されない人間になるためのステップ〉です、興味ある方は一緒にやってみませんか。

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