文学の力@楽しい国語 辻邦生著「西行花伝」

 教師を辞めたら吉野の桜の頃に訪ねてみたいと思い始めて、いつの間にか10年以上経ってしまいました。
 これから吉野の桜はみごとに咲き乱れるのだろうけれど、訪ねたいのは「如月の望月の頃」です。

願はくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ

武士から出家し、西行と名乗って多くの歌を残した人物が残した歌です。

 如月は太陰暦2月、望月とは満月のことです。太陰暦は月の満ち欠けをもとにした暦(こよみ)で、15日がちょうど満月になるにるように設定されています。
〈如月の望月の頃〉は太陰暦2月15日です。

 新暦では何月何日か?  3月25日ごろです。

 吉野の桜の満開は4月中旬ごろだと言われているので、如月望月というと桜の咲き始めの頃でしょう。もしかすると、西行のいた頃(西暦1100年頃)は暖かさが早くきていた可能性もあるので、かなり桜の花が開いていたかもしれません…

 いずれにしても、まだまだ先のことになりそうです。

 そんな中、以前から読みたかった辻邦生(つじ くにお)著『西行花伝』という本を読んで、その圧倒的な筆力に魅了されています。今は小次郎が読めないようにしていますが。


 作品は西行を師と慕う 藤原秋実が、西行亡き後、語り始めた設定です。

 はじめのところを書き抜きましょう。

# 序の帖   藤原秋実、甲斐国八代荘の騒擾を語る こと、ならびに長楽寺歌会に及ぶ条々

 

 あの人のことを本当に書けるだろうか。あの人――私が長いこと師と呼んできたあの円位上人、西行のことを。

 しばらく前から時雨が檜皮葺きの屋根を鳴らして過ぎてゆく。その幽かな音を聞いていると、そんなことはと ても無理だ、あの人のことなど書けるわけはない、と誰かがつぶやいているような気がする。

 たしかに私にとってあの人―――わが師西行はあまりに大きな存在だった。私はどんなに努力してもあの人に達 することができなかった。それに私たちが生きてきた時代は変転極りない狂乱の日々の連続であった。すべての 人々が、洪水の荒れ狂う波間につかの間に出遇い、つかの間に別れて、二度と遇えない宿命に翻弄されて生きて いた。私はそうした日々、師西行と共にいることだけを願った。願いつづけなければ容易に私たちの絆は絶ち切 られてしまいそうな、そんな切羽詰まった気持で生きていた。私は正直言って自分がどんな人間であるか、わが 師が何を考え何を感じて生きているか、じっくり思いめぐらすことはできなかった。私はただ師のそばで生きる こと、師の歌を浄書し、師のために使い走りをし、師のあとについて歩くことだけで、すでに精いっぱいであっ た。肝心なことは師西行の近くにいていかに生きるかだけであった。

 それだけに師西行に世を去られてからは、私は、師が占めていたひろがりのなかを、まるで無人の伽藍の内部 をほっつき歩くようにただ歩きまわるほかなかったのだ。私はひたすら空虚だった。

 雨につけ風につけ、心を締めつけるあの孤独な寂しさが、胸を鋭い髪でえぐるように疼いたが、それ以上に、師とともに、私が生きていた 生活そのものがそっくり立ち去っているのを感じた。当時私は自分を喪った虚脱者のように京の街を俳徊した。

 どこをどう歩き、どこで何をしていたか、何一つ覚えていなかった。日が照ろうが雨が降ろうが、そんなことは 私にはどうでもよかった。ただ師の持っていたあの温み、重さをもう一度全身で味わい、それが乾鯨に水が滲み るように私のなかに滲みて、心が昔のように蘇ってくるのを、身体のどこかで待ちつづけていた―――もちろん私 ははっきりそう気付いていたわけではないけれど、そうした渇いた願いのなかで、ひたすら生きつづけていたのは事実だった。

 だが、あの桜の散りやまぬ望月の夜から一年たち二年たつうち、私は、無人の伽藍に似たこの空白なひろがり を師西行の重さで満たす以外には、心の渇いた河床に水を流しこむことはできないのだと次第に気づくようにな った。

師西行の重さ――それを私はどこから手に入れるべきだったか。

 こういう文章を読むと、「小説を書きたい」と簡単に言えなくなってしまいます。
 10年くらいは本気で文章の修行をしなくてはいけないかもしれません。

 紙の本としてはすでに廃版になっている作品ですけど、kindleで読むことができます⇨https://amzn.to/4jLYuxY

 

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花は咲く(岩井俊二作詞)

 花は 花は 咲く 私は何を残しただろう🎶  という優しい歌をたくさんの人たちが耳にしていると思います。

 私が好きな映画『ラブレター』の監督 岩井俊二 さんが詞をつづりました、東北大地震のあとにつくられた歌です。

 岩井さんは東北出身です。

 

 私は東北のボランティアに二度三度と出向く中、いろいろなところで流れているその曲を耳にしながら活動していました。

 みなさんはどの歌詞に惹かれるでしょうか、一番好きなのは最後のフレーズです。

 この歌を聴きながら、歌いながら、岩井さんは、どういう花をイメージしながらつくっただろうか、と考えることがあります。

 少なくとも歌っている人たちが手にしているのは、鮮やかな花たちです。

 これは私が写した〈千萱:チガヤ〉の花です。

これはソテツの花です。

 モクマオウ(トキワギョリュウ)の花は小豆より小さくてほとんどの人の目にふれることがありません。

「花は花は 花は咲く」
そうです、いろいろな植物に花が咲きます。

 目立つ花だけではありません。
「え、これが花なの?」というような花もあります。

 その花の中でも、大きな花、小さな花、早く咲く花、ゆっくり咲く花、いろいろでしょう。

 それぞれが、それぞれにとって誇るべき花です。

 花は花は花は咲く いつか生まれるキミに🎵

 花は花は花は咲く いつか恋するキミのために🎶

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紙ごみから紙レンガ:アイディア募集中@楽しい面白い自由研究まっしぐら

〈たの研/たのしい教育研究所〉では楽しく面白い自由研究が同時並行でたくさん進んでいます。その一つが紙レンガ(紙素材のレンガ状ブロック)です、捨てられていく紙ごみ(段ボール・本・印刷済み用紙ほか)を利用しています。

 いろいろなサイズや硬さを工夫しています、後ろ側には厚み二倍のタイプです。

 ぎっしり固くくっついているんですよ⇩


 その過程で〈たて8cm × よこ22cm × 高さ4cm〉サイズを量産しはじめています。
 これは捨てていく段ボールでつくった紙レンガです、天日干しして乾燥させているところです。

 これは白ベースの用紙と牛乳パックでつくった紙レンガです。

 
 ぎっしり固めるので、捨てていく紙ごみをかなり再利用できます。

 この紙レンガ・紙ブロックが、何か楽しい面白いものに利用できる大きな予感がしています。

 巨大ジェンガ、室内のペットの家、簡易タイプの棚の支えetc.

 ちなみに市販されているのは巨大ジェンガといっても大した大きさではありません、それでも3万~4万円くらいします。

 

接着してイスやテーブルにすることもできるでしょう。

 読者のみなさんで「これに使えそうだ!」という楽しい面白いアイディアが浮かんだ方がいたら、ぜひお知らせください。

 共同開発したいという方も気軽にお問い合わせください。

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名前と同じように〈姿・形〉のおもしろさを考える@楽しい面白い自由研究①

 仕事の合間に歩いた場所でオオギバショウをみつけました。まさに平たい、扇(オオギ)のように見えます、わかりやすいネーミングですよね。

 オオギバショウは「ヤシ・ファミリー(科)だ/バショウ・ファミリー(科)だ」と意見が別れています、興味のある方は調べてみてください。
 
 オオギバショウは別名「タビビトノキ(旅人の木)」といいます、英語名も〈Traveller’s Palm:旅人のヤシ〉です。

 どうして旅人の木と呼ばれるようになったのか?

 よく引く図鑑、たとえばwikipediaなどをみてもわからなかったので、何となく、特徴的で目立つので〈目標/めじるし〉としてそう名付けられたのだろうと思っていたら、〈たの研〉の応援団員:故 伊波善勇先生が残してくれた手描きの植物図鑑で「どうもそうではないらしい」と知りました。

 これが伊波善勇先生の『石川市の植物』に載っている〈オオギバショウ〉です。

 説明にこうあります。

オウギバショウ (オオギバショウ科) Ravenala madagascariensis J.F.Gmel.
庭木として植えられる。 高さ20mに達するといわれるが、県内では数m内外が大きい方である。

葉はバナナに似ているが、葉柄は偽茎とならず、 2方向にひろがり、 基部の方で重なっている。

葉身160~180cm、 葉柄180~200cm。 花は白色、 腋生で花梗は短い。

がくおよび花弁は各3, 苞は大きい。

別名タビビトノキは葉鞘部に水がたまり旅人がこれを利用したためにできた名といわれる。 

 なるほど、葉の根元に近い部分に水がたまるんだ…

 そうやって調べてみると、他のサイトにも似た情報が出ていました、山でみかけたら、本当かどうかナイフで確かめてみようと思います。

 善勇先生のスケッチは、のびのびとした空間で広がったオオギバショウでしょう。たとえばwikipediaの写真をみると、とても似ていることがわかります、クジャクの羽のようです。

 ところで、植物はふつうこういうように四方八方に広がっていきます。
 その方がいろいろなところからくる太陽光を受けることができるからです。

 どうしてオオギバショウはこんなに平たい、2D状に広がっていったのでしょう?

 みなさんはどう思いますか?   つづく

 

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