たのしい算数 順序よく並べる その前に〈教師のたのしい工夫〉の必要性を

〈たの研〉に来る保護者の方たちからの相談には、ゴールデンウィーク前後から不登校の相談が増えてきます。その中で「去年まではそういうことはなかったのだけど、新しい先生になってから〈勉強がおもしろくない〉〈授業がわからない〉という様になった」と話す方が一定割合います。

 カウンセリングの話はまたの機会にして、授業の話を書かせてください。

 公立学校の授業で扱う内容は〈学習指導要領〉に書かれていて「教えることになっている」と教師は考える、その感覚は「はい、今日は教科書の◯ページです」という言葉にも表れて、そこから伝わる〈やることになっている感〉ははっきりと子ども達の心に刻まれます。

 教師の〈やることになっているからやる〉というスタンスは「あればあるでよいけれど、〈たのしさ〉は特に無くてもかまわない」という発想にもつながります。

 しかし指導要領の根幹は「主体的・対話的で深い学び」です、〈やることになっているからやる〉というのを「主体的」とはいいません。

 この矛盾をどうしたらよいのでしょう。

 学習指導要領について編成側の〈文科省〉の説明をみてみましょう。※下線はいっきゅう

「学習指導要領」では、小学校、中学校、高等学校等ごとに、それぞれの教科等の目標や大まかな教育内容を定めています

 また、これとは別に、学校教育法施行規則で、例えば小・中学校の教科等の年間の標準授業時数等が定められています。

 各学校では、この「学習指導要領」や年間の標準授業時数等を踏まえ、地域や学校の実態に応じて、教育課程(カリキュラム)を編成しています。

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/idea/1304372.htm

 学習指導要領で定めているのは〈大まかな内容〉であり、各学校では〈地域や学校の実情に応じてカリキュラムを編成〉していると記しています。

 ところで学習指導要領は法律ではありません、それより遥かに拘束力の高い〈学校教育法〉には

教諭は、児童の教育をつかさどる。

学校教育法第 37 条第 11 項

とあります。

 学習指導要領に記された大まかな内容を、子ども達が主体的・対話的に深く学ぶ、その教育を先生が司るのです。

 教科書は学習指導要領の大まかな内容を具体的に例示したテキストです。そこでも〈やることになっているからやる〉という感覚は、主体的・対話的で深い学びと矛盾してきます。

 〈やることになっているから学ぶ〉VS〈主体的に学ぶ〉

 いったいこの矛盾をどうすればよいのか?

 その矛盾を解くカギが〈たのしさ〉です。

 まず自分が学ぶことをたのしむ。教師自身の個性が輝いていくことで、こども達にもたのしさが伝わっていくでしょう。
「さぁみんな、今日のさんすうは〈並べ方を考えよう〉だよ、たのしんでいこうね」
ニコニコした表情でそう伝えることができたら、これまでと違う扉が開くはずです。

 具体的な問題で考えてみましょう。

 〈たの研〉で算数の解き方入門をしていると、確率系の問題が苦手だという先生たちがたくさんいることに気づかされます。

 確率は漠然とした状況であることを予測する時などとても重要なツールになります。「こっちの危険度とこっちの危険度はどっちが高いか」などを確率的に見ていくことでより安全な状況を選ぶことができます、確率的な見方考え方で命が救われることもあるでしょう。

 重要なものを学ぶのがたのしくないわけないのです。

 確率的な見方考え方を身につけていく過程で〈並べ方・組合せ方(順列・組合せ)〉が重要なテーマの一つになります。

 たとえば1から5までのカードがあります。これをいろいろな並べ方で一列においていくと、何通りくらいの並べ方があるでしょうか?
 この四角の中に1から5までの数字を入れていくわけです、12345と並べたり、逆に54321と並べたり。
 違う並べ方はいくつなのか小学生の感覚で考えてみてください。

 たとえば1の並べ方はいくつか?

 一通りです。

 1と2の二つのカードを一列に並べる方法は?

 1・2 あるいは 2・1 の二通りです。

1と2と3の三つのカードの並べ方は・・・

 123、132、213、231、312、321 の6通りです。

 こんな風に考えていくと、12345の5枚のカードの並べ方は何通りあるのでしょう。この四角の中に数字が入ると考えてみるとよいでしょう。

 

 ア.5通りくらいうありそうだ

 イ.10通りくらいありそうだ

 ウ.20通りくらいありそうだ

 エ.50通りくらいありそうだ

 オ.その他

どうしてそう思いましたか?

⬇︎

考えてみよう

⬇︎

考えてみよう

⬇︎

 5枚のカードを並べるだけで〈120通り〉の異なるパターンが出てきます、この多さは、私にとって驚きなのですけど、みなさんはどうでしょう。

 計算ができる暗算できるという人は〈答えが当たった〉というそのことで嬉しくなってしまうかもしれません。けれどじっくり考えてみてください、たった5枚のカードで120通りですよ。

 もしあと5枚増やして1~10までの10枚のカードを一列に並べようとしたら、〈352万8800通り〉の並べ方があります、全部の並べ方を終えるまでどれくらいの時間が流れていくでしょう・・・

 この爆発的な多さに驚くのか、「計算でこうなるからこう」と無感動にテストに答えて終わるのか。

 一方が〈たのしさ〉、一方が〈無感動〉です。

 指導要領に書かれた内容をたのしく教えることによって、主体的・対話的で深い学びが可能となるのです。

「今年になって勉強がたのしくないというんです」という保護者が出てくるのではなく「うちの子は去年まで学校のことというと友だちのことばかりだったんですけど、今年、先生が担任してくれる様になって、勉強の話をしてくれる様になりました」そういう保護者の方たちを増やしてみたいと思いませんか。

 興味のある方は、ぜひたのしい教育研究所で学ぶことをおすすめします。学ぶ方法はとてもたくさんありますが、まず今月は〈初夏の講座〉の受講をおすすめします。
 内容は⇨初夏の講座2022

募集が始まり、参加申込みが増えてきました。席には限りがあります、受講したい方はお早めにどうぞ⇨申込みはこちら  〈初夏の講座の申込み〉と記入し、名前・所属・緊急時の電話番号を書き入れて送ってください。お会いできることをたのしみにしています。

 

たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!

 

雨の日は植物が美しく見えるー雨のアウトドアもたのしい②

 前の記事で、雨の日、傘を指してアウトドアをたのしんでいる様子をお届けしました、その続きです。

 多くの人が意外に思うかもしれません、雨の日の植物たちは美しく見えるんです。

 あまりに暗いと困るのですけど、それなりに光があれば大丈夫。

 植物たちにとってまさに〈恵みの雨〉だからだと思います。

 これは二日前に紹介した〈イジュの花〉、正式には〈ヒメツバキ〉といいます、私にはとてもキレイに見えるのですけど、みなさんの目にはどういう様に映るのでしょう。

これは前に紹介した〈クチナシの花〉です。沖縄本島の中頃にある〈たの研〉の近くでは、殆どのクチナシの木は花が散っていたのですけど、少しは目にすることができます。
 晴れていた時よりもキレイに見えました

 野生の〈ランタナ〉も見つけました。

 これは〈ノボタン〉ですね、これから花をつけてくれると思います。

   

 これは〈コンロンカ〉、葉が花びらの様に見えるおもしろい植物です。
 特徴的な〈白い葉〉が輝きを見せてくれます。

 花はその白い葉の中にあって、やわらかな黄色です。

 これはよくみる月桃と、花のつき方が少し違って見えます。同じジンジャー(ショウガ科)の別な種類かもしれません。これからもみていきたいと思います。

 どうでしょうか。

 花は太陽の光輝く時もきれいです、ほとんどの人たちは晴れの時に花を愛でるでしょう。

 けれど雨の日も花たちはとても輝いて見えるんですよ。

 嘘だと思ったら試してみませんか。

たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!

 

教育基本法〈人格の完成〉とは子どもの可能性を伸ばしていく過程で仮に想定したもの

 雨の日の生きた学力・たのしい学力向上の記事について、嬉しい感想をいくつもいただきました、ありがとうございます。続きをと書き始めたのですけど、冒頭の部分がふくらんだので、前段部をのせたいと思います。

 雨の日の生きた学力の続きです、今回も梅雨時期のイキイキした植物たちを紹介したいと思います。
 ところで学校には生活科や理科、日常の活動などを通して子ども達が植物に触れる機会はたくさんあります。それがこども達の賢さとなり人生の豊かさに繋がって、こども達の可能性を伸ばしていくことが教育の大きな目標です。

 ところがそういう説明は教育基本法にはありません、教育基本法には筆頭〈教育は人格の完成を目指し〉と記されています。

第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

 ところで、人間に〈完成された人格〉というものがあるでしょうか?
「あなたの人格の完成形はこうですよ。そちらのあなたが目指すのはこの完成形ですよ」なんてあるわけありません。

 もし皆さんが誰かにそう言われたとしたらどう感じるでしょう?
 完成形なんて誰にもわからない。そもそも、あったとしても完成形に到達できるのか? 無理でしょう。

 あらかじめ〈全体の人格の完成形〉を設定して教育していくとしたら、かつて日本が歩んだ〈滅私奉公〉的な人格を育てた様な過ちをまた犯してしまうことにもなる。

 世界大戦終戦後すぐにまとめられていく教育基本法の議論の中で、「人格の完成」という言葉が不用意に入り込んだために、そうなったのだと思います。

 そういうことを考えながら〈教育基本法〉について調べてみると、私と同じ問題意識を持っている人たちは国会議員にもいたことを知りました。

 2006年、「教育の第一義的責任は家庭にある」ということを明らかにするために教育基本法が改正されたのですけど、その過程で国会でこういう議論がかわされています。「第164回国会 教育基本法に関する特別委員会 第12号 平成18年6月8日衆議院会議録」を文意はそのまま校正

中井洽
 政府案では、第一条冒頭「教育は人格の完成を目指し」とございます。これは現行法と同じであります。
 人格の完成というのはどういうことを言うのでしょうか。
 また大臣は、人格が完成したというのはどういう人だとお思いになっていらっしゃいますか。

小坂文科大臣
 
それでは人格の完成とはどのような人なのか例示してみろ、こう言われたら、これは私は例として申し上げる人はおらないわけでございます。すなわち、人格の完成というのは、私は神のことだと思うのでございますね。ですから、神のような全知全能を備えたものを目指すといっても、これは到底到達できるものではございませんだからこそ目指すのであって、それが実現するということは恐らく一生を通じてなし得ないかもしれない、しかし常にそれを目指せということで、「人格の完成を目指し」と言っているんだと私は思っておるわけでございます。

中井洽
 教育で神のような人格完成を目指すというのは本当にできるのでしょうか。また、そんなことが目標というような法令でいいものかと僕は思わざるをえません。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/015816420060608012.htm

 

 教育基本法の文面に〈神〉を想定しているということに驚かされます、それは別に議論するとしても、法を提案する側が「到底、到達できるものではない」と言い切っていることは注目しなくてはいけません。

 教育は〈その人が生き生きと可能性を伸ばしていくたゆまない過程〉の先にある豊かで幸せな姿を目指していると考えてよいでしょう。もしも〈人格の完成形〉があるのだとしたら、その先にあるのだと。

 話がメルマガの発想法の章の様になってきました、学校の生活科や理科、日々の活動の話からはじまりました。教育は〈こども達の可能性を高め続けていく過程〉ですから、生活科や理科、日々の活動もそれに繋がるものであってほしい。毎日毎時間がその連続であってほしいけれど、現状でそれを要求するのは難しいでしょう。
 けれど少しずつそういう時間を増やしていきたい。
 そういう視点でこのサイトも御覧ください。

つづく

たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!

 

 

梅雨の沖縄で雨のアウトドアをたのしむ 生きた学力はたのしいのです

 沖縄は梅雨に入りました、〈子どもの日〉なのに雨・・・ 雨の日はインドアでたのしむことが普通なのですけど、少しだけ勇気があれば雨の中の自然をたのしむことができます。

 梅雨の頃に花をつける代表格は〈ゲットウ〉です、ショウガ科つまりジンジャーの仲間です。

 

 ゲットウに時々こういう太いツボミの様なものがみられます、これは何か?

 少し中をのぞいてみましょう。

 分かるでしょうか、中にたくさんの花たちがひそんでいます。

 梅雨の頃といえばイジュの花もたくさん開きます。

 一輪で咲くのではなくブーケの様に束になって咲きます。                                                                               

 イジュは正式には〈ヒメツバキ〉、椿の仲間です。

 実は私はこれまでは遠目に見て「白が濃いなぁ」くらいの感覚で、今年やっとイジュの美しさを感じることができる様になりました。
 美しさを感じる様になるということは、また一つ成長したということなのでしょう。

 天気が悪いと家でテレビという様な人も多いかもしれません。傘という便利なものがあります。最近のスマホは曇りでもいい発色を刻んでくれます。
 これからの長い梅雨の日々も、アウトドアをたのしんでみませんか。

  テストの点数が高いことは悪いことではないと思います。ただしそれがペーパーの上での知識やテクニックとして身についているとしたら残念なことです。リアルな世界は、紙の上の説明よりずっと豊かでたのしく深いのです。「学力」という時に、そういうことも一緒に考えていきたいものです。
たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!