風景をたのしむ楽しむ/モノクロの海とトマト色の太陽/センス・オブ・ワンダーはたのしい学力への近道

 とても不思議な色の景色に出逢うことができました。〈モノクロの海〉と〈トマト色の太陽〉です。

 ずっと沈むまでみていました

 斜め上の空にレンズを向けてみましょう。

 夕焼け雲もみえています。

 その日の光の加減でこういう姿を見せてくれるたのですけど、毎日夕陽を見ているわけではないので、本当にいいタイミングでした。

 地球という星に生きていることを、当たり前のように感じているけど、少し車を走らせるとこういう光景をみることができるのは、本当に素晴らしいことだと思います。

 センス・オブ・ワンダー〈驚きを感じる感覚〉を、いろいろな人たちに伝えていきたいと思います。 みなさんも、今日の夕暮れを眺めにいきませんか。

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たのしい教育の発想法〈仮説実験授業の生みの親 板倉聖宣の歴史の見方・考え方〉歴史を勉強すると、発想が豊かになる

 最新のメルマガに〈仮説実験授業の生みの親〉である 板倉聖宣の発想法を乗せたところ、いくつもお便りをいただきました。 そういえば今年の沖縄県の教員試験の問題にもまた〈板倉聖宣〉が取り上げられていたそうです。何年か越しに取り上げてくれていますから教育行政の中にも注目している人がいるのでしょう、嬉しいことです。

 これは〈たの研〉に掲げられているポスターです、左がたのしい教育研究所を強く応援してくれた師の板倉聖宣です。

 今回は、数回前のメルマガに載せた「板倉聖宣の歴史の見方・考え方」の一部を紹介しましょう。です。出典は1991に開催された板倉発想の会で「組織について考える」というテーマで語った中の一節です。前後を切り取っているので流れが掴みにくいかもしれませんが、メルマガの章をそのまま載せるわけにもいきません、ご了承ください。

 ※

いっきゅう
「記録」という方法は人類が飛躍するきっかけとなった最も重要な〈発明〉です。こうやって師の板倉聖宣が亡くなって後も、しみじみとその発想に浸り、新たな考えに成熟させていけるからです。
 この記録も読者の皆さんの新たな発想や、やる気を生むきっかになることを期しています。

板倉聖宣
 明治のはじめに「東京数学会社」というのがありました。
 何をする会社だと思いますか?
 今でいえば「東京数学学会」のことです。
 そのころは学会(ソサイェティ)という言葉がなかったから、会社といっていました。
 だからこの学会には会長ではなく社長がいました。社長さんがなにか交通事故などで会議に遅れますと、いつまでたっても始まらないということがありましたが、この東京数学会社ができたのは、明治10(1877)年、文明開化の気持ちが新鮮なときでしたから、「社長さんがいないと会が始まらないなんて不合理だ」「社長さんなんて辞めちまえ」と民主化運動が起こりました。社長(会長)制辞任ということで、委員長制にしたんです。
 またこの東京数学会社は、西洋の学会のマネをしたりして、社則なんかもある、おもしろいんです。
「天下国家に向かって、学会を開放し、質問があれば即座に答える」「天下のすべての意見を集めて、これに応えるものとする」という社則が入っているんです。
 世の中が違えば、ずいぶんおもしろい会則があるなあと思います。
 いまの学会の会則にそんなものがあるのかなあ・・・
 この東京数学会社は、のちに発展して、東京数物(数学・物理学)学会となり、それから日本数物学会となり、敗戦後は日本数学学会・日本物理学会・日本天文学会の3つに分かれました。
 私は発想法で重要なことだと思いながらまだ〈発想法かるた〉に入れてないのですけど「歴史を勉強すると発想が豊かになる」というのがあります。
 私が歴史を勉強する理由は、私自身が科学史専門ということもあるのですけど何をはじめるにしても私は歴史を勉強します。

 はじめに歴史を勉強すると何がいいかというと、今と違う時代がわかるんです。とくに今と違ううんと古いときを調べます、そうすると、すごく自由になる。
「ああ、昔はこんなことをやったのか」
「昔はこんな考え方があったのか」にんな考え方もおもしろいなあ」となる。

「歴史を勉強すると今とは違う考え方がたくさん出てくるし、その中には拾えるものもあるかもしれない」という感じがするんです。

 5年前の歴史や10年前の歴史とかはだいたいおもしろくないんですよ。

 少し前の歴史ではなくて、時代が違う歴史を調べると、ずいぶん違います。

 同じことを調べるんでも、時代の違う敗戦直後を調べるとか…

 民主主義というものが日本ですごく高らかにうたわれたころの民主主義の時代、明治のはじめ、大正デモクラシーの時代、あるいは戦争中の天皇制が華やかだったころの時代、そういう時代のことを見ると「今とは違った考え方がある」ということを知ることができます。

ここまで

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たのしい生物学/品種改良・進化の話①

 パパヤの品種改良の話に興味をもってくれた読者の方から丁寧なお便りが届き、その中に品種改良と進化の違いについて知りたいという話がありました。それについて書いてみましょう。正確さより、イメージが伝わることを優先して細かいところは端折ります。

 生物は〈分裂〉といって、自分のコピーを作って生きていくタイプがいます、原始的な状況ではほとんどの生物がそうでした。そのスタイルを今も残している生物がいるわけです。ウイルスがそうです、菌類もそうです。下の写真はコロナウイルスです、人間の体内でどんどん分裂して増えていきます。

 

単細胞生物のアメーバも分裂・コピーで増えていきます。

 シンプルな体の作りをしている〈単細胞生物〉ただけでなく、多細胞生物の中にも分裂(コピー)して増えていくタイプがいるんですよ。

 これはこのサイトでも以前取り上げたベンケイソウです。ベンケイソウはタネで増える方法と、葉の周りに自分と同じコピーを作って増えていくという二つの方法で増えていきます。
 

 

 どんどん成長して一つのベンケイソウ(セイロンベンケイ)となっていきます。

https://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/science/sonota/ronnbunshu/R3/213086.pdf

 そういう様に〈分裂〉で増えていくのではなく、私たち人間をはじめ、多くの多細胞生物たちは〈有性生殖〉といって、オスメス二つの性質をまぜあわせて子どもをつくります。

 二つの性質が混ぜ合わさって子どもができていくので、そこには多様な性質が生まれます。

 たとえば犬の場合、白い犬、黒い犬、大きな犬、小さな犬、よく吠える犬、静かな犬、ある病気に強い犬、弱い犬など、書ききれないほどたくさんの性質が広がっていくわけです。

 前に書いたパパヤについてみていきましょう。
 パパヤにできるたくさんのタネが成長していく中で、背の高いパパヤ、低いパパヤ、細いパパヤ、太いパパヤ、実が甘いパパヤ、甘くないパパヤ、葉が大きいパパヤ、小さいパパヤなどとてもたくさんの性質がそこに出てくるのです。

 たとえば成長しても比較的小さなパパヤ同士を交配(雄しべの花粉を雌しべの柱頭に受粉させる)させると、実ができて、その身の中にはたくさんのタネができます。

 そのタネから成長していくパパヤもまたいろいろな性質をもったパパヤになります。

その中には以前のパパヤより身長が低い株も育つでしょう。

 そうやって〈低いもの同士〉を何世代にもわたって交配させていくと、前に紹介した様な、こんなに低いパパヤもできていくのです。

 これを〈品種改良〉といいます。

 つまり「人間の目的によって育てあげてきた品種」ということです。

 現在たくさんの種類に別れた犬たちは、もともとオオカミの子孫です。体の大きなタイプ同士、毛の長いもの同士、短いもの同士etc. いろいろな特徴を持つもの同士を交配させることによって、こんなにたくさんの種類に分かれてきました、品種改良です。

 品種改良は今の所、同じ〈種〉たとえば犬なら犬の仲間の中で、パパヤならパパヤの中で多様化した品種を生み出しているだけで、新たな種を生み出すような段階ではありません。

 ではこういう品種改良は〈進化〉とは違うのでしょうか?

 品種改良は私たち人間が、いろいろな目的で自分たちの都合の良いようにコントロールしてきたものです。

 それに対して〈進化〉は生物の子孫たちが周りの環境に適したり、子孫を残しやすいものたちが生き残っていった結果、多様化していくことです。何十万年何百万年という長い歴史の中で、ウイルス・アメーバー・菌類のようなシンプルな生物が進化して、鳥やクマ、魚や人間といった多彩な生物が生まれて行きました。

 

 シンプルな生物から私たち人間が生まれるまで何十億年という時間が流れていきました。これが進化です。

 進化という大きな流れの中で多様化していった生物の、たとえばネズミをとりあげて、毛が短いもの同士を掛け合わせ(交配させ)て、ほとんど毛の無いネズミを生み出したりしているのが〈品種改良〉です。
 品種改良と進化について、前よりもイメージができてきたでしょうか。

 さらに話を続けたいのですけど、長くなったので、ここで一区切りつけておきましょう。次回もおたのしみに。

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〈たのしい学力向上〉と〈家庭学習〉/読者の方からの質問に答えて②

(前回の続き)いろいろな意見があると思います。「子どもはつべこべ言わずにどんどん机に向かうことが大切だ」という方もいるかもしれません。もしかするとそれと真逆で「家庭学習そのものが要らない」という人もいるでしょう。質問してくれた方のように「自主的に考えて力を伸ばすのが家庭学習だ」と考える人もいるでしょう。

 ところで40年近く取り組んできた〈学力向上〉の取り組みの中で得たものは何でしょう、失ったものは何でしょう?

 沖縄県の小学生の学力テストの点数が全国平均を上回り、県外の大学に入学するこども達も増えました。

 教師が背負わされる仕事の量がどんどん増え、リミッターを超えてしまった先生たちもたくさん出て、病休をとる先生たちがかなりの数にのぼっています。

 教育の対象、主人公であるこども達の暴力行為、いじめ、不登校の沖縄県の実数はどんどん上昇しています。琉球新報の記事に2020年度の統計が出ていました、2021年の統計はみあたりませんから、これが最新かもしれません、ご覧ください。

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1212373.html

 管理職の先生たちと話しているとき「コロナのせいで不登校が増えた」という言葉を時々聞かされるのですけど、もっと大きな流れがあるのです。

「家庭学習とどういう関係があるのか」と疑問をもっている方もいるかもしれません。

 学力向上の取組みの中で、学校はこども達の家庭での学習にも強く入り込む必要があるという考えが提唱され、それが普通になってきました。

 教育行政と学校現場の努力で全国学力テストの得点を上昇させてきました。

 そうやって一方向的に40年力を注いできた中でマイナス面にも視点をあてる必要があるでしょう。

「先生が〈どこどこをやってきて〉と言わなかったから家庭学習しませんでした」というこども達や「もっとちゃんと家庭学習について指示してください」と主張する保護者のみなさんが増えていくとしたら、学校にいる時間精一杯教育に力を注いでいる先生たちの限界を超えてしまうこともあるでしょう。

 未来を切りひらいていけるこどもたちは、やらされ型のタイプからはうまれないということは、日本全体の閉塞感からも言えるでしょう。

 教育が夢と一緒に語ることができる様に、世界の先端からどんどん下降していく日本の現状を打破してくれる人たちがどんどん育っていくためには、「たのしさ」がカギを握るでしょう。

 こども達にとっても教師にとっても、そして保護者のみなさんにとっても「たのしいから学ぶ」という感覚、して「学ぶたのしさを教えてくれる場所が学校だ」という概念が広がることで、きっといろいろな問題が解決していくでしょう。「先生が言わなかったから何もしなかった」というこども達も減っていくことでしょう。

 みなさんはどう考えるでしょうか。

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