たのしいお話プラン〈映画・動画・写真の歴史〉

『侍タイムスリッパー』の話を書いたところ、さっそく観に行ってくれた方たちからお礼のたよりが届いています。
 うれしいことです。

 映画はもともと大好きだったので、学校にいる時など「これは子どもたちに観せたい」という作品(マイ・フレンド・フォーエバーなど)があると、周りの先生たちに話して、学年一斉に鑑賞会をしたことがあります。

 映画の歴史についての授業をしたこともありました。

 もちろん勝手にやっているのではなく、社会科や道徳などに位置付けての正式な授業です、教師というのたのしいものです。

 こどもたちに語った「映画の歴史」を元にまとめた「お話プラン 映画・動画の歴史」というプログラムがあります。好きな人たち数名で予想をたてながらすすめることができます。

 そのままお蔵入りになってしまうのはもったいないので、加筆して紹介しましょう。※画像等はwikipediaに感謝して参照させていただきました

お話「映画・動画の歴史」

 映画好きが議論することの一つに
「映画を発明したのはエジソンかリュミエール兄弟か?」
というテーマがあります。

 絵や写真をパラパラと重ねていくと〈残像現象〉によって、動いて見えることはかなり前から知られていました。

 ジョゼフ・プラティは1831年に、円形のディスクに連続した絵を描いて、動いて見えるようにしたフェナキストスコープを発明して、たくさんの人を驚かせました。

フェナキストスコープ/wikipediaに感謝して参照

 上の円盤を回すとこう見えます⇩クリック

https://ja.wikipedia.org/

上の動画をみると、これが「アニメーション」の元祖だとわかるでしょう。

 アメリカのトーマス・エジソンは絵でなく写真フィルムを利用して、実写版でもっと長い作品を人々に提供しました。フェナキストスコープから約50年後、1983年のことです。

 のぞき窓から箱の中の動く映像をみるタイプで、キネト・スコープと呼ばれています。
 人々からお金をとって見せていました。

 それとほぼ同じ頃、フランスの「リュミエール兄弟」が「シネマト・グラフ」を公開しました、1895年のことです。


 それは、今の映写機の様に、壁に動画を投射して、みんなでそれを観るタイプです。

 リュミエール兄弟の上映会のポスターがこれです、じっさいこういう感じでみんなでたのしんでいました。

 さて、映画の映画好きたちの議論
「映画を発明したのはエジソンかリュミエール兄弟か?」
にそろそろ結論を出しましょう。

 みなさんは、エジソンとリュミエール兄弟のどちらが映画を発明したのだと思いますか?

 「映画館」で上映するものを映画と考えるとリュミエール兄弟の「シネマト・グラフ」が映画の始まりだといってよいでしょう。
 いや、一人で箱をのぞいたりしてたのしむものも映画だ、と考える人はエジソンが映画を発明したのだというでしょう。
 ただしそれは映画ではなく「動画」だという考えもあります。

 私いっきゅうは、リュミエール兄弟が発明した楽しみ方を映画と呼びたいと思っています。

 いろいろな考え方があるとはいえ、「ほぼ1900年の少し前に映画がはじまった」といってよいでしょう。
 今からほぼ100年以上前の事です。

 ※

 ところで、映画に至る前には「カメラ・写真」がありました。
 カメラ・写真の歴史もみていきましょう。
 
 まず、カメラはいつ頃からあったのでしょうか?
 予想してみてください。

結構長いので、ここまで。
評価がよければ機会をみてつづけましょう。

子どもたちへの授業の時には、その頃広がっていたインターネットの情報をどんどん出して、喜んでもらいました。

パラパラ漫画も流行って、けっこういい作品がくつも出てきました。
懐かしいたのしい思い出です。

① 毎日1回の〈いいね〉クリックで「たの研」がもっと元気になる!⬅︎応援クリック

② たのしい教育を本格的に学ぶ〈たのしい教育メールマガジン-週刊有料を購読しませんか! たのしい教育の実践方法から発想法、映画の章ほか充実した内容です。講座・教材等の割引もあります(紹介サイトが開きます)

③ 受講費、教材費、スーパーバイズなどの費用は全て、たくさんの方達へのたのしい教育の普及、ひとり親家庭など困窮した方たちへの支援に利用されています

⭐️ 「いいね」と思った方は〈SNSや口コミ〉でぜひこのサイトを広げ、応援してください!

 

10年以上前の最新型iMac復活@たのしいパソコン生活/機械とはいえ同じ活動をしてきた仲間

 設立初期から愛用してきた27インチのiMacは二年くらい前、過酷な負荷にシャットダウンを繰り返し、その中でも何とか締め切り原稿をクリアーしてきたのだけど、とうとう起動しなくなってしまいました。

 残念なことにiMac27は画面サイズの小さい21インチしか発売されなくなっていました、どういうわけなんだろう。新発売のMacStudioを購入し、ハイパワーで〈たの研〉の過酷な仕事をどんどんこなしてくれています。

 処理速度もパワーも格段に上がっているのは当然で、以後、たくさんの仕事を疲れを見せずに処理してくれています。

 頑張ってきてくれたiMac27は起動しないとはいえ、処分する気持ちになれず、第1研(現在たのしい教育研究所は3つ+準備質1つで計4つあります)に保管してあります。

 1ヶ月くらいまえ、第1研の書斎が広く活用できるなったので、ためしにiMaqc27を起動したところ、2T(テラ)くらいあったストレージのごく一部を復活させることができました。

 CPU(頭脳)は元気に復活してくれたので、一部のストレージを駆動させて、まずインターネットのブラウジング(閲覧)と公式サイトの書き込みに利用できるようにしました。

 これが復活しはじめたiMac27機です。

 古いので新しいOSに対応していなくてLINEなどは使えないのですけど、時間ができたら中を開けてストレージを増やして、動画処理などができるくらいにはしたいと考えています。

 車もそうですけど、機械だとはいえ、同じ活動を一緒に支えてきた仲間同士の気持ちで、大切にしていきたいと思います。
 パソコンとたのしく付き合ってこれたから湧き上がってくる気持ちでしょう。ものづくり的なたのしさも、それを支える大きな力です。

① 毎日1回の〈いいね〉クリックで「たの研」がもっと元気になる!⬅︎応援クリック

② たのしい教育を本格的に学ぶ〈たのしい教育メールマガジン-週刊有料を購読しませんか! たのしい教育の実践方法から発想法、映画の章ほか充実した内容です。講座・教材等の割引もあります(紹介サイトが開きます)

③ 受講費、教材費、スーパーバイズなどの費用は全て、たくさんの方達へのたのしい教育の普及、ひとり親家庭など困窮した方たちへの支援に利用されています

⭐️ 「いいね」と思った方は〈SNSや口コミ〉でぜひこのサイトを広げ、応援してください!

何千冊の大量の本を整理して残した千冊くらいの一冊『中谷宇吉郎随筆集@岩波文庫』/どっちに転んでもシメタを探す!

 活字中毒だった頃集めた本が家を占領して大変なことになってしまったので泣く泣く大量の本を処分したのが二、三年前のこと。
今は『これだけは捨てられない』と残した本たちが千冊くらい残っています。

 その一冊が『中谷宇吉郎随筆集@岩波文庫』。
 寺田寅彦と中谷宇吉郎 師弟の作品は何冊も残されています。

 すでに著作権が切れていてデジタルで読むことができるのだけど、紙の本の貴重さは次元が違います。


 はじめのエッセイ「雪の十勝」には雪の結晶写真が載っています。
 〈日本人〉として初めて雪の撮ったのが中谷宇吉郎です、みごとな写真です。

 エッセイは「初めは慰み半分に手をつけて見た雪の研究も、段々と深入りして、えて見ればもう十勝岳へは五回も出かけて行ったことになる」とはじまります。

 師の板倉聖宣(たのしい教育研究所 初期から支援者/仮説実験授業研究会初代代表/元文科省教育研究所室長/元日本科学史学会会長)が「中谷は留学先のX線の研究に挫折して雪の研究をはじめたんだ」と語っていました。

 中谷宇吉郎は師の寺田寅彦の影響でイギリスに留学しチャールズ・ウィルソン(Charles Thomson Rees Wilson)に学びました。ウィルソンは霧箱(cloud chamber)の開発者として知られ、1927年にノーベル物理学賞を受賞した人物です。

 留学先で思うような成果が出せず、日本に戻ってからも予算をはじめ必要な実験環境を整えることができず、挫折して雪の研究に入ったという話は中谷宇吉郎を取り上げたサイトとうで読みました、いずれしっかりとした基礎資料が見つかると思います。

 いずれにしても中谷宇吉郎は「慰み半分で手をつけた」という雪の研究で世界的な成果をあげました。

 世界ではじめて人工雪を作ることに成功し気象条件と結晶が形成される過程の関係を解明したのです、1936年のことです。

 挫折の中でもシメタを探し、画期的な成果をあげたと言ってよいでしょう。

 そういうことを知らずに読んでも心を動かしてくれるのですけど、それを知ってから読むとさらに心を揺さぶります。
青空文庫に感謝して、中谷宇吉郎『雪の十勝』を引用させていただきます。短いですから、ぜひ読んでみてください。

----- 青空文庫の偉業に感謝して掲載させていただきます -----
 初めは慰み半分に手をつけて見た雪の研究も、段々と深入りして、かぞえて見ればもう十勝岳とかちだけへは五回も出かけて行ったことになる。落付おちつく場所は道庁のヒュッテ白銀荘はくぎんそうという小屋で、泥流でいりゅうコースの近く、吹上ふきあげ温泉からは五ちょうへだたっていない所である。此処ここは丁度十勝岳の中腹、森林地帯をそろそろ抜けようとするあたりであって、標高にして千六十メートル位はある所である。 雪の研究といっても、今までは主として顕微鏡写真を撮ることが仕事であって、そのためには、顕微鏡は勿論もちろんのこと、その写真装置から、現像用具一式、簡単な気象観測装置、それに携帯用の暗室などかなりの荷物を運ぶ必要があった。そのほかに一行の食料品からお八つの準備まで大体一回の滞在期間約十日分を持って行かねばならぬので、その方の準備もまた相当な騒ぎである。全部で百貫位のこれらの荷物を三、四台の馬橇ばそりにのせて五時間の雪道を揺られながら、白銀荘へ着くのはいつも日がとっぷり暮れてしまってからである。この雪の行程が一番の難関で、小屋へ着いてさえしまえば、もうすっかり馴染なじみになっている番人のO老人夫妻がすっかり心得ていて何かと世話を焼いてくれるので、急に田舎の親類の家へでも着いたような気になるのである。 この白銀荘は山小屋といっても、実は山林監視人であるO老人の家であって、普通には開放していないので、内部は仲々立派に出来ている。階下が食堂兼居室で、普通の山小屋の体裁に真中まんなかに大きいまきストーヴがあって、二階が寝室になっている。この小屋の附近は不思議と風当りが少いので、下のストーヴの暖みに気を許して、寝室の毛布にくるまっていると、自分たちにはこの小屋の二階が何処どこよりも安らかな眠りの場所である。着いた翌日はず階下の部屋の一隅にむしろを敷いて隙間風すきまかぜを防ぎ、その上に携帯用暗幕を張って急造の暗室を作る。その中に器械を入れて来た木箱を適当に配置して現像装置だの、乾板かんぱんの出し入れの用意などをととのえる。それから食卓を一つ借り切って、これはそのまま実験台とする。雪の結晶の撮影は小屋の入口の白樺しらかば造りのヴェランダで行うことにして、此処にも木箱を持ち出して実験台を作る。顕微鏡写真の撮影にはかなり丈夫なちゃんとした実験台がるのであるが、それには前にも書いたように雪のコンクリートという極めて重宝なものがある。木箱の周囲を雪で固めて、ばけつに一杯の水を流しかけると、五分もたぬうちにすっかり凍りついてしまって、立派なコンクリートの実験台が出来る。顕微鏡写真装置も同様にしてこの実験台の上にくっつけてしまうのである。 十勝岳のこの附近は、雪の結晶の研究には先ず申分のない所であろう。あるいは世界でも珍らしい所ではないかという気もする。第一結晶が極めて美しく、繊細を極めたその枝の端々までが手の切れそうな鮮明な輪廓りんかくを持っていることである。自分たちが白銀荘で見たような美しい結晶は世界中のどの観測者の写真にも見られないものであった。それから結晶の種類がまた極めて多い。普通に雪の結晶の代表と思われている六花ろっか状のあらゆる種類の結晶は勿論のこと、余り知られていないところの樹枝状の結晶の枝が立体的に伸びているもの、それからめずらしいとされている角錐かくすい状の結晶、鼓型つづみがたの結晶、それが数段になっている段々鼓型などの結晶が惜しもなく降って来るのである。この二月には針状の結晶がそればかり三十分も続いてかなり激しい降雪となって降って来たこともあった。それから全く世界中の今までの文献に知られていないと思われる側面結晶という不思議な雪も数回観測することが出来た。
 
「平面樹枝状の結晶 ×13.5」のキャプション付きの写真平面樹枝状の結晶 ×13.5
 
「段々鼓の側面」のキャプション付きの写真段々鼓の側面
 
 今一つこの十勝岳の観測地点は気温も全く申分ない条件をそなえているのである。冬の真中で大体最低零下十五度最高零下十度位の所を毎日規則正しく変化しているのであって、気温の変化が非常に少いために、観測者の身体からだぐそれにれてしまって仕事が非常に楽なことである。普通に考えて零下十度というと、全く細かい研究などの出来ない寒さと思われるのであるが、此処での体験によるとこれ位の寒さが雪の研究には丁度良い気温であることが分ったのである。自分たちは別に寒さに対して特に強いとは思われないにもかかわらず、不思議とこの白銀荘で四、五日仕事を続けていると、戸外に朝から夜の十二時近くまで立って仕事をしていても別に大した寒さを感じなくなるのである。勿論一時間置き位に室内へ入って、ストーヴで暖まっては出て行くのであるが、それにしても少し妙だと我ながら感心する。生中なまなか煖房だんぼうの設備などがないと身体の方が自然の方に適応して行くらしいのであるが、そのためには気温の変化が少いということが一つの有利な条件のように思われるのである。零下十度位になると、雪の結晶は全く安全で、どのようにいじっていてもける心配はないので、勝手に切ったり細工したりして調べることが出来る。一つの結晶を色々に引っ張ってこわして見るという簡単な操作だけで、昨年の冬は二かくから成る結晶の存在が確められて、従来多年の懸案となっていた三花や四花の結晶の成因がすらすらと解決出来てしまったのであるが、これもよく考えてみると、普通の地点では一番困難な実験であったのかも知れない。 雪はさすがに実によく降る。冬中何時いつ行って見ても、大抵毎日少しも降らないという日は滅多にない。朝起きると一面の青空で、朝日が白銀の世界をあかね色に染めているような日でも、夕方になると大抵は美事な樹枝状の結晶が細雨さいうのように音もなく降って来る。このような時は大抵写真を撮るには最適の条件のことが多く、つい遅くまでもひきずられがちとなるのである。 朝目を覚まして青空が見えるような日には、一同大変な元気で早くから起き出してしまう。そして急にパンを切ったり、スキーにろうを塗ったりして山登りの準備にかかる。何時のにか、天気がよくて雪の降らぬ日はふりこ沢のあたりまでスキーに乗って、積雪上の波型を見に出かけるということにきまってしまったのである。そして特に晴れた日にはそのまま十勝の頂上まで行程を伸ばしてしまうのである。それを楽しみにして特に助手を志願して出る学生も出て来て、大抵いつも十勝ゆきに人手が足らなくて困るということはない。 O老人もよく一緒に行くことが多い。かんじきを穿かしたら誰もこの老人にかなうものはないが、スキーはまだ始めて二年にしかならぬというので、丁度良い同行者なのである。この老人は全く一生を雪の山の中で暮して来たという実に不思議な経歴の人である。この人の話などを聞いていると、雪の山で遭難をするというようなことはあり得ないという気がするのである。一昨年の冬にも犬の皮一枚と猟銃と塩一升いっしょうだけを身につけて、十二月から翌年の二月一杯にかけて、この十勝の連峯から日高ひだか山脈にかけた雪嶺せつれいの中を一人で歩きまわって来たというのである。この老人の話をきくと零下二十度の雪の中で二カ月も寝ることが何でもないことのようなのである。もっともその詳しい話を聞き出して見て驚いたのであるが、この老人はわれわれのちょっと及ばぬような練達の科学者なのである。 雪の中で寝るのに一番大切なことは焚火たきびをすることであるそうである。それは極めてもっともな話であるが、厳冬の雪の山で焚火をするのは決して容易なわざではない。ところがこの老人は三段のスロープのかげに自分たちを連れて行って、何の雑作ぞうさもなく雪の上で大きい焚火をしてわれわれを暖めて見せてくれたのであった。風の当らぬ所を選んでこれだけの焚火があったら、なるほど雪の中で寝ることも事実普通の生理学と少しも矛盾しないのである。のこぎり手斧ちょうなとマッチが食料品と同様に雪の山では必需品であることを実例で教えてくれたのはこの老人であった。 感心したことは、この老人は出来るだけ文明の利器を利用しようとつとめることであった。魔法瓶だの気圧計だのというものには特別の興味を持ち、かつそれを利用したがるのである。とうとうその思いが一部叶って魔法瓶を買うことの出来た時の無邪気な喜びようには誰もが心をかれた。気象の見方、保温の方法、器具の取扱い法、食料としてのうさぎり方から山草の料理法など、すべての事柄について、すみの隅まで行き届いた細かい注意が払われていることが、聞き出すごとに分って来た。このように自分一人の体験で作り上げた科学の体系を持っていて初めて山の生活が安全に遂行されるのであろう。 今年も初霰はつあられのたばしる音を聞くと、十勝の生活とこの老人のことが思い出される。結晶の研究にもまだ抜けた所が沢山ある。特に粉雪の結晶構造の研究にはまだ一冬はどうしてもかかる。そのほかにも昨年の冬から初めて手を付けて見たスキー滑走の物理学の完成にも十勝は最も良い聖場の一つである。まだまだ数年は冬ごとに十勝へ通わねばなるまい。クリスマスの木のようなあの十勝のたちに会うことも、この老人からストーヴのまわりで「カムチャツカへ歩いて行った話」を聞くことも皆楽しみの種である。

(昭和十年十二月一日)
 
----- 青空文庫の偉業に感謝して掲載させていただきました -----
 

① 毎日1回の〈いいね〉クリックで「たの研」がもっと元気になる!⬅︎応援クリック

② たのしい教育を本格的に学ぶ〈たのしい教育メールマガジン-週刊有料を購読しませんか! たのしい教育の実践方法から発想法、映画の章ほか充実した内容です。講座・教材等の割引もあります(紹介サイトが開きます)

③ 受講費、教材費、スーパーバイズなどの費用は全て、たくさんの方達へのたのしい教育の普及、ひとり親家庭など困窮した方たちへの支援に利用されています

⭐️ 「いいね」と思った方は〈SNSや口コミ〉でぜひこのサイトを広げ、応援してください!

どんぐりクラフトの研究@楽しいものづくり・楽しい環境教育

 沖縄よりずっと自然環境豊かなところはいくつもあります。科学系、宇宙系の大会などに参加する時には、大抵そういう場所で自然を味わいます。

 沖縄と違って、どんぐりが見つかる場所はたくさんあって、時間があればいくらでも拾うことができます。

 そういう処の管理所や案内所では、どんぐりクラフトを目にすることもあります。

 多いのはこういうタイプです。

こういうタイプもよく目にしてきました。

〈たの研〉にドングリがたくさんあるので、子ども・先生が「作りたい」と感じてくれるようなクラフトができないか研究中です。

〈たのしい教育メールマガジン〉などで紹介すると多数ではなくても「ほしい」という方たちが出てくるので、いくつかは作成キットとして保存しておこうと考えています。

 これは凄すぎて私自身が引いてしまいます。

 これはもしかして、子どもたちが宝物にしてくれるかもしれない・・・

 一番気に入ったのはこういう系です、ドングリのぼうし(カクト)くらいしか使わないんだけど。

 沖縄でもドングリを拾うことができる季節になりました。

 みなさんは秋をたのしんでいるでしょうか。

 環境教育で頑張っている方たちがたくさんいます。

 自然を楽しむ人たちが増えていくことは決定的に重要な環境教育になります。いろいろな工夫改善と並行して、ぜひ自分がたのしんで、そして周りの人たちに伝えていってください。

① 毎日1回の〈いいね〉クリックで「たの研」がもっと元気になる!⬅︎応援クリック

② たのしい教育を本格的に学ぶ〈たのしい教育メールマガジン-週刊有料を購読しませんか! たのしい教育の実践方法から発想法、映画の章ほか充実した内容です。講座・教材等の割引もあります(紹介サイトが開きます)

③ 受講費、教材費、スーパーバイズなどの費用は全て、たくさんの方達へのたのしい教育の普及、ひとり親家庭など困窮した方たちへの支援に利用されています

⭐️ 「いいね」と思った方は〈SNSや口コミ〉でぜひこのサイトを広げ、応援してください!