まど・みちお の魅力と才能@たのしい国語

 自宅の階段から降りる時にたまたま〈まど・みちお〉の本が目について久しぶりに開いてみました。

 数え切れないほど読んで来た〈まど〉さんの作品ですけど、何度読んでも新鮮な感動を覚えます。

 いくつか紹介しましょう。

 タイトルを予想してみませんか。

自分が 書きちがえたのでもないが いそいそと けす
自分が書いた ウソでもないが いそいそと けす
そして けすたびにけっきょく
自分がちびていってきえて なくなってしまう
いそいそと いそいそと
正しいと 思ったことだけを
ほんとうと 思ったことだけを
自分のかわりのように のこしておいて

 

 まどさんの〈けしゴム〉という詩です。

 

 この詩にも心動かされます。

 「どうしていつも」  まど・みちお

  太陽
  月
  星

  そして
  雨
  風
  虹
  やまびこ

  ああ 一ばん ふるいものばかりが
  どうして いつも こんなに
  一ばん あたらしいのだろう

 

 以前この本を手にした時にラインを引いた〈まど〉さんの文章があります。

 今でもいくらかそうですが、若い頃の私はとくに、かこを懐かしく思ったり、ものを美しいと思ったりし始めると、どうにも胸が苦しくなって来たものです。
 その過去なら過去、物なら物と、一体にならずにはいられないような衝動にかられてです。
 そして「子ども」(人間に限らずすべての生き物)は私にとってそのような美しいと思えるものの一つだったのです。

まど・みちお「処女作の頃」

  1980年1月「びわの実学校 97号」収録

 

 今読んでも新たに感動してしまいます。
 自分の周りのものごとに、まるで恋をするように寄り添い見つめる。
 ほんの少しで良いから〈まど〉さんの様な感性に近づいていけたらと思う日々です。

 

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科学的にみる科学的に考える時の大切なともし火としての原子論

 科学とは〈予想を立てて確かめること〉です。その予想を立てる時に大切な〈ともし火〉となる原子論についてお話したいと思います。
 みなさんはモノが燃えると重くなると思いますか、軽くなると思いますか、それとも重さは変わらないと思いますか?

しつもん:モノが燃えるとそのモノの重さは
 予想 ア 重くなる

    イ 軽くなる

    ウ 変わらない

    エ その他

 

どうして、そう予想しましたか?

 

 1697年 シュッタールというお医者さんが、ベッヒャーという科学者のアイディアを引き継いで「モノは〈そのものの灰〉と〈フロギストン(燃素)〉とがくっついてできていて、燃えると〈フロギストン〉が出ていき〈そのものの灰〉が残るのだ」という考えを打ち出しました。「フロギスント説」と呼ばれている〈仮説〉です。
 燃えるとフロギストンが出て行くわけですから軽くなってしまうというわけです。

 
 紙が燃えるとボロボロの灰になってしまい、少しの風でも飛んでいってしまいます。
 木も完全に燃えるとお線香の灰のような状態になってしまいます。
 たくさんの木々でおおわれていた山も火事になると、〈焼け野原〉という表現に見られるように、ほとんど何もない状態になってしまいます。
 紙や木からフロギストンが出て行って軽くなったと考えたわけです。

 たいていのことはフロギストン説で説明できたので、科学を研究していると人たちも、まだ誰も見たことのない〈フロギストン〉の存在は確かなものだと考えてきました。
 それにしても、なかなかいいアイディアですよね。

 ところが、いろいろ研究しているうちに、燃えると重くなっている物質があることが分かって来ました。
 スズなどの金属が燃えると重くなってしまうのです。

 これにはフロギストン説をよりどころとしていた科学者たちも困ってしまいました。

 そしてある時
・フロギストンはマイナスの重さを持っているものがあって、それが出て行ったら重くなる
・フロギストンが出て行っところに空気が入り込んで重くなる
という様ないろいろな説を考え始めました。

 しかしそれは科学とは言えません。〈解釈〉といって、次々出てくる実験事実を自分の都合のいいように説明しているのです。

 科学は〈予想〉⇨〈実験〉の過程で真実を見つけてきたのであって、都合のよい様に解釈してきたのではありません。

 

〈燃える〉ことを科学的に明らかにしたのはラボアジェ(ラヴォアジェ)という人物です。


 彼が〈燃える〉現象は〈酸素〉と激しく結びつく現象であることを科学的に証明したのです。興味のある人は図書館の百科事典や科学のコーナーで〈ラボアジェ(ラヴォアジェ)〉について調べてみるとよいですね。

 木や紙などが燃えると、その物質の中にある〈炭素〉と〈酸素〉が結びついて〈二酸化炭素〉となり、それが空気中に出ていくのです。ちなみにわたしたちの周りの物質には炭素がとても多く含まれていて、そのグループを〈有機物〉という名前で呼んでいます。木も動物も油もプラスチックも砂糖もアルコールもロウソクもプロパンガスも紙も有機物です。私たちが食べるものがあったら、それはほとんど有機物だと思ってまちがいありません。

 有機物が燃える現象を原子分子の目でみるとこうです。

有機物の中の〈炭素〉が

空気中の〈酸素〉と結びついて

 

〈二酸化炭素〉となって飛び出て行く


 有機物の中の炭素が酸素と結びつき、二酸化炭素となって飛び出て行くので軽くなるのです。

 金属などは有機物ではありません。
 金属が燃えると、酸素が何かと結びついて飛び出ていくのではなく、金属と結合します。そこで酸素が結合した分、重くなるのです。

 20世紀の偉大な科学者であるリチャード・ファインマンはこう語っています。

「もし世界規模の大変動が起きて科学的知識の全てが破壊されたとき、もしあなたが次世代にたった一文だけを伝えることができたとしたら、少ない言葉であなたはどんな重要な情報を伝えますか?」と質問されたことがあります。ファインマンは「全てのものが原子で構成されていると仮定する『原子論』を伝えます」

 現代の科学は全てこの原子論の考え方を基にしています。医学も宇宙科学も生物学も植物学も全てです。
 原子論と相反するものは間違っていると考えてかまいません。

 みなさんも〈原子・分子〉の見方・考え方に興味を持っていただけたら幸いです。 たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!

 

たのしい教育研究所〈おすすめ植物本〉「おきなわ野山の花さんぽ」ボーダーインク

 たのしい教育研究所でも植物の魅力を伝える教材をいろいろそろえています。〈オキナワ ウラジロガシ〉〈マメ科の大きな実 モダマ〉〈モンシロチョウの食草〉<キッチンのたね>などなど、おそらくこのサイトでもいくつ紹介してきたと思います。

 そういう中で現在進行形で教材作りがすすんでいるのが〈おきなわ花カレンダー〉です。うれしいことに完成前から、いろいろな先生たちが心待ちにしてくれています。その作成で研究所にはたくさんの植物本が並んでいて、一ヶ所に集めると厚さは1m50cmくらい、小学生の身長ほどになります。

 それらの中から〈もっともたくさん開いた本〉が「おきなわ野山の花さんぽ(ボーダーインク1700円+Tax)」です。

 収録された植物の数でいえば他に優れたものが数々ありますし、詳しい解説などが加えられた図鑑、個性的な配列を工夫した植物本などは数々あります。
 しかし〈沖縄で身近にみることができる植物〉をそろえた、という視点で選べば今のところ、この本が一押しです。

 掲載された植物は多からず、かといって少なからず〈よい加減〉のボリュームで、作者 安里肇栄(あさと ちょうえい)さんと編集者の企画がうまくマッチした優れものです。

 書店で数ある植物の本をいくつかながめてみただけで、「これがいい!」と見分けることは難しので、研究所には「おすすめの植物の本はありませんか」という問い合わせがくることもあります。そういう皆さんは「まずはこの一冊を買っておくとよいですよ」とすすめている本です。

 身近な植物を見て「これはなんだろう?」と思った時、手近においてパラパラめくる。すると、その植物にたどりつくことができる可能性が高い本だと思ってよいと思います。この本をきっかけに、もっと詳しく書かれた本が欲しい、と思ったらそれを手にしてください。

 とりあえず学校図書館には入れてもらって、給料日には〈映画を一本観た〉という気になって、あるいは〈焼肉食べ放題〉に行った気になって、自分でも手に入れておくことをおすすめします。明日土曜日は研究所に若い先生たちが何人もやってきます。その先生たちにもおすすめしようと思っています。1日1度のここの「いいね」クリックで〈たのしい教育〉を広げませんか➡︎ いいねクリック=人気ブログ!=ジャンプ先でもワンクリックお願いします!

 

 

カール・セーガンの言葉たち Pale blue dot./たのしい英語教育の教材としても

 大好きなカール・セーガンの話に入る前に、前々回の「ゆとり教育と円周率」について。記事の反響はまだ続いていて、いろいろな質問が届いています。わたしにとってはごく当たり前のことだったのでサ イトに書くのも今頃になってしまいましたが「円周率を3として計算することの素晴らしさ」そのものは、教師になって数年御、高学年をもたせてもらったとき に始まっています。もう二十数年前からのことになります。

 この反響からすると、おそらくいろいろな方達が興味を持ってくれると予想できるので、可能な方はぜひ周りの方達に「この記事面白いよ」と伝えて読んでもらうことを提案します。もしかすると「だからゆとり教育はダメなんだ」という意見もあるかもしれませんが、中には子ども達と同じ様な感覚で「おもしろいね」と言ってくれるが出てくるでしょう。そうやって、地道にですけど確実に「たのしい教育」が広まっていくのだと思っています。可能な方はぜひお願いいたします。

 さて今回は、わたしの発想法を語る時に重要な人物、カール・セーガンについて書きたいと思います。

 わたしはカール・セーガンからとてもたくさんの影響を受けています。
 彼が綴った本を繰り返し繰り返し読みましたし、同じ本を何冊も持っています。
 地球の生き物や大地の美しさ素晴らしさは星野道夫から学び、星としての素晴らしさはカール・セーガンから学びました。

 セーガンは宇宙科学で有名です。
 彼が一般の人達に向けて作成したTV番組に「コスモス」があります。レンタル屋さんでは見たことがないのですが、DVDは販売されています。
 名作です。
 教師時代に、教材として購入してたくさんの子どもたちに観てもらいました。
※わたしが購入した頃は2万円を超えていたのですけど、かなり安くなっていて、DVD7枚パッケージで、書いている今現在で1万円を切っています。日本語字幕もついています。

 

 その中の一部、しかもとても感動的な部分がyoutubeで視聴できます。
 それが  Pale blue dot. です。

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 地球のことです。

 セーガンの本のタイトルにもなっています。

 観測の役割を終えた探査機ボイジャーが太陽系の端に到達しようとする時、NASAのボイジャーミッションにも関わっていたセーガンが「ボイジャーを地球の向きに回転させて、写真を撮ってもらおう」と提案しました。

 遠く離れた探査機にうまく命令を伝えられるか。無理な体勢変換で、その後、太陽系を無事飛び出ると期待している流れに影響がでないか。そもそも地球が写るのか?
 いろいろな反論があったでしょう。
 しかしNASAは最終的にセーガンの提案を受け入れボイジャーのカメラを地球に向けました、さすがです。

 セーガン自身がその画像を感動的な言葉で伝えてくれています。
 ぜひごらんください。ほんの3分少しの時間です。

 動画を見るのが難しい方もいるかもしれません、ボイジャーが振り向いて撮った写真も載せておきます。この右側の茶色の帯の中ほどやや下がわにある点が地球、Pale blue dot. です。

wikipediaに感謝して

 

この距離から見ると、地球というものは、さして興味深い場所には見えない。
しかし、私たちにとっては違う。
この点をよく見てほしい。
あれがここだ。
あれが故郷だ。
あれが私たちだ。

ここにすべての人が住んでいる。

愛する人も、知人も、友達も
いままでに存在したすべての人が、
みなここで人生を送っている。

喜びも悲しみも、自信たっぷりの幾多の宗教も
政治思想も、経済主義も、
すべての狩人も、牧人も、英雄も、
卑怯者も、文明の創設者も、破壊者も、
すべての王様も、農民も、
愛し合う夫婦も、すべての父と母、
希望にみちた 子ども、
発明家、そして探検家、
道徳を教える先生も、腐敗した政治家も、
スーパースターも、偉大な指導者も、すべての聖者も、
罪人も、人類の歴史上すべての 人が、ここに住んでいる。

太陽の光照らされた、塵にもひとしいこの場所に。

地球は、とても小さな舞台だ。
広漠とした宇宙の中では…

 

考えてみてほしい。


すべての将軍や皇帝が、勝利と栄光の名のもとに
流した血の河を。
この点の、そのまたごく一部の、
つかの間の支配者となるために。

考えてみてほしい。

この点の片隅にいる住人が、
別の隅にいる ほとんど見分けのつかない住人にたいして、
どれほど残虐な仕打ちをしてきたのかを。
どれほど多くの誤解があることか。
どれほど熱心に、人は殺し合うことか。
どれほどの激しい憎しみがあることか。

私たちの気どった態度、思いこみによる自惚れ、
自分たちは特別なんだという幻想。
この青白い点はそのことを教えてくれる。

私たちの惑星はこの漆黒の闇に囲まれた、
ひとかけらの孤独な泡にすぎない。

この広漠とした宇宙では、私たちは名もない存在だ。

他に助けてくれる人はいない、私たち自身をのぞいては。

地球は、現在までに知られている生命をはぐくむ
唯一の星だ。

すくなくとも近い将来、
ほかに人類が移住できるような場所は存在しない。

行くことはできるか?
たぶん。
住むことはできるか?
いや、まだ。

好き嫌いにかかわらず
いまのところ地球が私たちの住む場所だ

天文学は、人を謙虚にし、

身のほどをわからせる学問だという。
人間の思い上がりを示すのに、

これほどふさわしい例もないだろう。
私たちのちっぽけな世界を、

はるか彼方からみた景色ほどには。

 

私にとって、この映像は

私たちの責任を表しているように見える。
もっとお互いに気を配り、

この青白い点を大切にするとい う責任を。

私たちの知っている、ただ一つの故郷を。

“想像力なくしては、私たちはどこへも行けない”

カール・セーガン(1938~1996)

 

 アナウンサーではありませんが、カール・セーガンの言葉は聞きやすくて、英語の教材にもなると思います。
 残念ながら中学生に英語を教えるという機会はまだありませんが、わたしなら、この3分ほどの教材を英語に使います。きっと子ども達も、この言葉のどれかに感銘をうけて、そのフレーズを覚えてくれるのではないかと思います。

 興味のある方のために、英文も載せておきます。

From this distant vantage point,

the Earth might not seem of any particular interest.

But for us, it’s different.

Consider again that dot.

That’s here, that’s home, that’s us.

On it everyone you love, everyone you know,

everyone you ever heard of,

every human being who ever was, lived out their lives.

The aggregate of our joy and suffering,

thousands of confident religions, ideologies,

and economic doctrines, every hunter and forager,

every hero and coward, every creator

and destroyer of civilization, every king and peasant,

every young couple in love, every mother and father, hopeful child, inventor and explorer,

every teacher of morals, every corrupt politician,

every “superstar,” every “supreme leader,” every saint and sinner in the history of our species lived there

—on the mote of dust suspended in a sunbeam.

 

The Earth is a very small stage in a vast cosmic arena. Think of the rivers of blood spilled by all those generals

and emperors so that, in glory and triumph,

they could become the momentary masters

of a fraction of a dot.

Think of the endless cruelties visited

by the inhabitants of one corner of this pixel

on the scarcely distinguishable inhabitants

of some other corner, how frequent their misunderstandings, how eager they are to kill one another, how fervent their hatreds.

Our posturings, our imagined self-importance,

the delusion that we have some privileged position

in the Universe,

are challenged by this point of pale light.

Our planet is a lonely speck in the great enveloping

cosmic dark.

In our obscurity, in all this vastness,

there is no hint that help will come from

elsewhere to save us from ourselves.

The Earth is the only world known so far to harbor life. There is nowhere else, at least in the near future, to which our species could migrate. Visit, yes. Settle, not yet. Like it or not, for the moment the Earth is where we make our stand.

It has been said that astronomy is a humbling

and character-building experience.

There is perhaps no better demonstration

of the folly of human conceits than this distant image

of our tiny world.

To me, it underscores our responsibility

to deal more kindly with one another,

and to preserve and cherish the pale blue dot,

the only home we’ve ever known.

–Carl Sagan, Pale Blue Dot, 1994

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日々元気に活動する「たのしい教育研究所」です。

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