たのしい教材プログラムのアイディアミーティング《ふうせんダルマさん》

 ゴールデンウィークのある日〈たの研/たのしい教育研究所〉のメンバーから「時間のある方は一緒に」と連絡があったので参加しました。

 とっても面白かった。

 今まで知られているゲームやものづくりなども、プロフェッショナル集団〈たの研メンバー〉のアイディアで特別支援の子どもたちから普通学級の子どもたちまで、みんながたのしめるような工夫が加わって、気持ちよくバージョンアップしていきます。
 慣れてない人たちが実施することも考えて安全面の検討も重なります。

 これはその時の一つ《ふうせんダルマさん》です。
 遊び方も含めて、ブラッシュアップしています。
 どうやって作るか予想できますか?

 

 まずメルマガで紹介して、そのあとこのサイトにも書きたいと思います。
 しばらくお待ちください。

《ふうせんダルマさん》の原理は難しくありません。

 みなさんも「こうじゃないかな」と予想して自分でつくてみませんか。

  そうやってできたときの喜びは「こうやって作るんですよ」と教えてもらった時の喜びを遥かに上回っているでしょう。

 Let’s Try !

追記
調べたことのない方は、今の風船のバリエーションに驚くと思います。
風船はたのしい教材にいろいろ応用できますから、100コくらいストックしているとよいですよ。何年も置いていると劣化の可能性もありますから、一年くらいで使い切るくらいがよいですね。

 ➡︎ https://amzn.to/4deu4BL

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虫と植物の循環型社会/たのしい環境教育

 シークワーサー(ヒラミレモン)の花が咲いてきました、眺めてみましょう。

 レモンとはいっても、ミカンファミリー(科)なので花はよく似ています。
 ミツバチがいますね。

 ミツを集めつつ、体に花粉をつけて、花から花へと飛び回ります。
 昆虫なのに植物たちの受粉をすすめて回るコウノトリの役をしてくれているわけです。

 そうやって実ができると、鳥たちがその実を食べ(すっぱくないのかなぁ)て栄養にし、いろいろなところにタネを広げてくれます。

 鳥たちが生を閉じると、その体は微生物によって分解され、植物たちの栄養にもなっていきます。

 そうやって循環していく環境は、進化の途上でうまく自然界でシステム化されています。

 人間の工業的な営みが、その循環の輪の中に組み込めるようなことができないだろうか。
 そうやって未来に向けて解決していく必要があるでしょう。

 いろんな人たちが知恵を寄せ合う必要があるステージです。

 たのしく力を伸ばしていく子どもたちを育てていくことで、きっと環境問題も突破できるでしょう。いや、それしか道はないのだと思います。

 夏休みに向けて、それをたのしく自由研究していく子どもたちが出てくるようにサポートしてみませんか。

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長く生きるほど人生はより美しくなる/映画「人生フルーツ」より=たのしいものの見方・考え方

 たのしい教育メールマガジンでだいぶ前に紹介した『人生フルーツ』という映画があります。作品の中に出て来た言葉がずっと心に残っていて、やっと最近腑に落ちるようになってきました。今回は「たのしいものの見方・考え方」をお届けします。
 このサイトは「朝一番、学校で子どもたちに話したくなる」「帰ったら家族に話したくなる」というので毎日開いてくださる皆さんがたくさんいます。
 たとえば今回の話は、子どもたちにはあまり関係ないと感じる方がいるかもしれません。
 でも、たとえば「ねぇ、帰ったら、おばあちゃんとかおじいちゃんとか、お母さんやお父さんに話してみたらいいよ」っていって伝えたらよいと思います。
 このサイトの記事のほとんどは、子どもたちにも伝わるものだと思って書いています。

 人生フルーツは、建築家・津端修一さん(90歳)と三つ下の奥さん 英子さん日々を綴った作品です。

 自然と親しみながら穏やかに過ごす二人の様子をぜひ映画で味わってください、沖縄では時々「シアター・ドーナツ(沖縄市一番街)」で上映してくれています。

 修一さんはかつて大学のボート部の部長だったというバリバリのスポーツ系なのですけど、作品の中ではとても静かな雰囲気で、英子さんはシャキシャキした小気味良いおばあちゃんです。

 話はそれるのですけど、ずいぶん前にチャーミーグリーンというキッチン洗剤のコマーシャルがあって、その中でおじいちゃんとおばあちゃんが手をつないでスキップしながら道をゆくシーンが大好きでした。
 この映画をみて「え、もしかして、あのチャーミーグリーンのモデルをしていたのが秀一さん英子さんだったの?」と思ったくらいチャーミングです。
 調べてみたら違ってました、修一さんが「コマーシャルに出よう」というわけないか。

 この作品の中に「長く生きるほど、人生はより美しくなる」という言葉が出て来ます。

 調べてみるとアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトの言葉でした。修一さんはその影響を受けた先生から建築学を学んでいます。

 ところで、長く生きていると、人生はより美しくなっていくのでしょうか。

 みなさんはどう思いますか?

 

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 長く生きれば人生は美しくなるかなぁ・・・ そうかなぁ?

と考えるのは私だけではないでしょう。

 原文と違う和訳はよくみられるので調べてみましょう。

The longer I live the more beautiful life becomes.
               Frank Lloyd Wright

 

「I live 」、一般的なこととして語っていたわけではなく、意味的には「長く生きるほどに、私の人生は美しくなっていく」という言葉です。

 一般的にいえないにしても、確かに子どもの頃感じることができなかったものごとの美しさを、年を経て感じることができるようになってきたのは事実です。

 楽しさもどんどん増えていきました。

 若い先生たちに「年をとっていくというのはいいもんだよ、若い時は〈こいつは指導できる〉と思って、上の人たちがどんどん指導してくるけど、年を経ていくとそういう指導はなくなってくるから」と語ったことがあります。

 長く生きるほど、たのしさが増えていく。
 美しいものが増えていく。

 そういう人生を過ごす子どもたちをたくさん育てていきたいと思います。

 

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平和について考える/アインシュタイン@映画「オッペンハイマー」 を超えて ②篠原正瑛という人物の思想

 20世紀最大の頭脳と称されることもあるアインシュタインが「私は常に日本に対する原爆の使用を非難してきました。けれど、その致命的な決定をとめるためには何もできませんでした」と送った相手、日本人の篠原正瑛(しのはらせいえい)という人物について書かせてください。

 まず概略をいつもお世話になっているフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に感謝して引用させていただきます。 https://ja.wikipedia.org/wiki/

篠原正瑛 来歴

東京府出身[1]。1939年に上智大学文学部哲学科を卒業後、フンボルト財団の奨学金によりドイツに留学した[1]。これは「日独交換留学」によるものであった[2]ベルリン大学哲学科およびイェーナ大学哲学科を修了してドイツ国立ヨハヒムスタール・ギムナジウム教授となる[1]

 留学中はカール・ヤスパースエドゥアルト・シュプランガーに指導を受けた[2]

ドイツ降伏後、連合軍による抑留と、スイスでの療養生活を経て1949年3月29日に空路で日本に帰国した[1][2]。帰国の際、シュプランガーから日本国民へのメッセージを預かり、帰国直後は療養生活を続けていた[2]。その後は改造社に勤務。

1952年、『アサヒグラフ』の原爆特集に刺激を受けて、物理学者アルベルト・アインシュタイン原子爆弾開発への関与と使用の是非を問う公開質問状を『改造』誌上に掲載し、それをきっかけに数度アインシュタインと書簡を交換した(書簡は篠原の没後の2005年に妻から広島平和記念資料館に寄贈されている)[3][4]。この往復書簡については、その途中までが『アインシュタイン平和書簡 3』(みすず書房、1977年)に掲載されている(pp.680 – 685)。

1963年11月から1年間、東ドイツに在住した[5]。この在住時に、森鷗外ベルリンで滞在した下宿の一つが現存していることを確認した[5]

哲学者としては近代ドイツ思想、中でもナチズムを主に研究した[1]原水爆禁止日本国民会議委員も務めた[1]。1983年2月には、西ドイツ緑の党が主宰した、核兵器を被告とする国際裁判で、陪審員(6か国から合計7人)の一人を務めた[6]

1990年に脳梗塞を発症して療養生活となり、2001年に死去[7]

 webというのは明らかに画期的な情報革命です、哲学者 篠原正瑛の写真をみることもできます。

 アインシュタインが篠原正瑛に書いた手紙の実物写真も公開されています、奥さんが原爆資料館に寄贈したものです⇨ https://hpmm-db.jp/list/detail/?cate=artifact&search_type=detail&data_id=36485

 哲学者篠原正瑛(しのはら せいえい)は、原子爆弾による惨劇を報じたアサヒグラフの写真に大きなショックを受け、雑誌を通してアインシュタインに公開質問状を書きました。

 その内容についてアインシュタインを中心にした紹介文はいくつかのサイトで目にすることができるのですけど、東海大学の板垣先生が篠原さんの反論にも触れてくれています⇨ http://www.sp.u-tokai.ac.jp/~bentz/symposium_itagaki.pdf

篠原正瑛(1912-2001)とAE(アインシュタイン)激論を交わす 1952 (占領政策後の原爆被害写真公開に対して)
篠原
「人類の福祉と幸福に奉仕すべき科学がなぜこのように恐ろしい結果を生み出す手段となったのか」
AE
「ドイツが原爆製造に成功する見通しありとのことで大統領宛の手紙に署名した。
私は絶対的平和主義者ではなく,確信あるüberzeugter Pazifist 平和主義者であり暴力の使用を認める場合がある」
篠原

「絶対的平和主義者でないならヒットラーも平和主義者になってしまう」

 篠原さんがアインシュタインに投げ返した
「絶対的平和主義者でないならヒットラーも平和主義者になってしまう」
という言葉は痛烈です。

 ロシアとウクライナ、イスラエルとガザ地区、現在も戦争の惨劇は続いています。仕掛けた国も平和のために戦うと語っています。

「絶対的平和主義者」という思想が唯一〈未来の戦争〉を止める合言葉になるのかもしれません。

 P.S. このサイト(篠原・アインシュタインレター)の内容にも触れられるかと思ったのですけど、今年度の新しい取組に没頭しているので、いつか書く日のためにアドレスのみ掲げています。http://akaboshi07.blog44.fc2.com/

 

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