〈歴史は暗く書きたいと思えば暗く書ける、明るく書きたいと思ったら明るく書ける〉板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表)の発想法

 発想法について読みたいです、というリクエストが届きました。自由研究をテーマにすることが多かったので、今回は〈たのしい教育メールマガジン〉の発想法の章でとりあげた板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表)先生の歴史の見方から少し紹介しましょう。歴史の見方考え方についての話です、その考え方は普通の暮らしの何気ない変化の中でも役立つものだと思います。

 出典は仮説実験授業の大会で入手した資料からで、1994.6大阪たのしい授業塾で語った内容の一部です。        

文責 喜友名一(いっきゅう)

板倉
 世の中というのは不思議なものです。いま関西国際空港が問題になっていて、それがもうすぐできます。ある時期までは「空港ができればいいなぁ」という夢がある。それがある時期になると、「空港ができると公害が起こってマイナスばかりだ」という話になって「関西国際空港できるのには反対だ」とか「反対することが良識なんだ」と思ったりする。
 でも出来てしまったら「便利だな、乗ろうか」とか「東京へ行くのなら新幹線で行くより飛行機の方安くていいよ」という話になって、それまで反対していた人たちが便利さを謳歌したりする、なかなか複雑です。
 江戸時代の人たちは自分の物は自分の家で作っていたんです。綿花を自分のところで栽培している農家は自分のところでとれるからいいのですが、栽培していない農家の人たちは綿花を買わなくてはいけません。
 実際には、ほとんど現金収入がありませんから変えません。
 どうするかというと、行商人が来て
「綿花を買いませんか」
「お金がないから買えないよ」
「じゃあ2着分置いていくので2着分糸を紡いでください。今度来たときにその1着分を私にくだされば1着分を差し上げます」
となる。
 つまり1着分を紡いだ労力で1着分の綿花を買うわけです、そしてこれを織る。そうやって現金収入がなくてもいいようになっていたわけです。
 これも悪いように見る人は「木綿資本が農村にまで手をのばして人民を支配した」というようなことを言える。
 けれどそうではない見方もできる。
〈時代の進歩〉というものは全部〈呪う〉ことに決めていたり、逆に〈歓迎する〉ことに決めていたりする人がいます。
 しかし早い頃に〈社会の科学〉を学んだ人は両面のことをちゃんと考えていたと思います。
 そういう流れの中で、たとえば「いろいろな機械が発明されることはとてもいいことなんだ。しかしそれがしばしば社会に不平等や不幸を生み出す。だから不幸を生み出さないように科学や技術の進歩に手心を加え、社会的規制を加えるのも必要だ」という考え方だったりするんです。
 

いっきゅう
 立場による一方的な見方ではなく、両方あるいは三方からの見方をしてみる。そして、より多くの人たちの笑顔につながるところにすすんでいく、それが歴史の発展だと思います。
 ピンポインで見れば〈悪〉であっても巨視的にみると〈善〉であることはたくさんあります、またその逆も。
 この板倉先生の話で小川未明の〈とうげの茶屋〉という物語を思い出しました。
 付録としてつけておきます。
 ちょうど夏休み期間です、自分の休みではなくても教材研究などの時間は多くなったと思います。ぜひ、読んでみてください。
青空文庫に感謝して引用させていただきます

とうげの茶屋
小川未明

https://www.aozora.gr.jp/cards/001475/files/51624_63351.html

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たのしい教育の発想法〈仮説実験授業の生みの親 板倉聖宣の歴史の見方・考え方〉歴史を勉強すると、発想が豊かになる

 最新のメルマガに〈仮説実験授業の生みの親〉である 板倉聖宣の発想法を乗せたところ、いくつもお便りをいただきました。 そういえば今年の沖縄県の教員試験の問題にもまた〈板倉聖宣〉が取り上げられていたそうです。何年か越しに取り上げてくれていますから教育行政の中にも注目している人がいるのでしょう、嬉しいことです。

 これは〈たの研〉に掲げられているポスターです、左がたのしい教育研究所を強く応援してくれた師の板倉聖宣です。

 今回は、数回前のメルマガに載せた「板倉聖宣の歴史の見方・考え方」の一部を紹介しましょう。です。出典は1991に開催された板倉発想の会で「組織について考える」というテーマで語った中の一節です。前後を切り取っているので流れが掴みにくいかもしれませんが、メルマガの章をそのまま載せるわけにもいきません、ご了承ください。

 ※

いっきゅう
「記録」という方法は人類が飛躍するきっかけとなった最も重要な〈発明〉です。こうやって師の板倉聖宣が亡くなって後も、しみじみとその発想に浸り、新たな考えに成熟させていけるからです。
 この記録も読者の皆さんの新たな発想や、やる気を生むきっかになることを期しています。

板倉聖宣
 明治のはじめに「東京数学会社」というのがありました。
 何をする会社だと思いますか?
 今でいえば「東京数学学会」のことです。
 そのころは学会(ソサイェティ)という言葉がなかったから、会社といっていました。
 だからこの学会には会長ではなく社長がいました。社長さんがなにか交通事故などで会議に遅れますと、いつまでたっても始まらないということがありましたが、この東京数学会社ができたのは、明治10(1877)年、文明開化の気持ちが新鮮なときでしたから、「社長さんがいないと会が始まらないなんて不合理だ」「社長さんなんて辞めちまえ」と民主化運動が起こりました。社長(会長)制辞任ということで、委員長制にしたんです。
 またこの東京数学会社は、西洋の学会のマネをしたりして、社則なんかもある、おもしろいんです。
「天下国家に向かって、学会を開放し、質問があれば即座に答える」「天下のすべての意見を集めて、これに応えるものとする」という社則が入っているんです。
 世の中が違えば、ずいぶんおもしろい会則があるなあと思います。
 いまの学会の会則にそんなものがあるのかなあ・・・
 この東京数学会社は、のちに発展して、東京数物(数学・物理学)学会となり、それから日本数物学会となり、敗戦後は日本数学学会・日本物理学会・日本天文学会の3つに分かれました。
 私は発想法で重要なことだと思いながらまだ〈発想法かるた〉に入れてないのですけど「歴史を勉強すると発想が豊かになる」というのがあります。
 私が歴史を勉強する理由は、私自身が科学史専門ということもあるのですけど何をはじめるにしても私は歴史を勉強します。

 はじめに歴史を勉強すると何がいいかというと、今と違う時代がわかるんです。とくに今と違ううんと古いときを調べます、そうすると、すごく自由になる。
「ああ、昔はこんなことをやったのか」
「昔はこんな考え方があったのか」にんな考え方もおもしろいなあ」となる。

「歴史を勉強すると今とは違う考え方がたくさん出てくるし、その中には拾えるものもあるかもしれない」という感じがするんです。

 5年前の歴史や10年前の歴史とかはだいたいおもしろくないんですよ。

 少し前の歴史ではなくて、時代が違う歴史を調べると、ずいぶん違います。

 同じことを調べるんでも、時代の違う敗戦直後を調べるとか…

 民主主義というものが日本ですごく高らかにうたわれたころの民主主義の時代、明治のはじめ、大正デモクラシーの時代、あるいは戦争中の天皇制が華やかだったころの時代、そういう時代のことを見ると「今とは違った考え方がある」ということを知ることができます。

ここまで

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押し付けは〈腑に落ちる〉様に説得できないから起こる/たのしい教育の発想法/仮説実験授業研究会代表(初代)板倉聖宣

 かつて仮説実験授業の夏の大会には旅行カバンに入らないほどの大量の資料が出されたものでした。その中から板倉先生が語ったことを選び出して持ち帰っても、かなりの量になります。それが毎年続くと、保存できな量となり、現在の〈デジタル保存方式〉に移行していきました。メルマガで週一回紹介しているのですけど、毎週取り上げても100年では終わらないでしょう。

 以前「押し付けはどうして起こるのか」ということに対する板倉先生の話がとても腑に落ちたので、そこだけカットして保存してあったデータがあります。紹介しましょう。大会で入手した資料ですけど、残念ながら表紙は消えていて、いつのものだかたどることができません。こういう話は板倉先生が何度も語ってくれていたので、古くからの仮説実験授業のメンバーなら、出典をたどることができるかもしれません。ご存知の方はおしらせください。

 板倉

 押しつけということはどうして起こるのか?
 相手を説得することができないからです。
 相手を十分納得がいくように説得できなければ、無理やり押しつけるほかない。

「成績が悪くなりたくなければこれを覚えなさい」
「意味がわからなくても覚えなさい」という形で押しつける。
「これができなければ入学試験が受からないぞ」といって押しつける。
 相手が納得していなくても、そういう形でいく、これが押しつけですね。

 そうやって押しつける必要のあるものは科学ではありません。
 まずそのことを信じなければいけない、そういうものは科学とは言わないのです。
 信じたくなくても、実際そうなってしまうから仕方がない、信用しないわけに行かない、それが科学です。

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たのしい学力向上の具体案/読む算数/たのしい教育メールマガジン

 沖縄県教育委員会そして何より現場の先生たちの大きな努力の結果で沖縄の小学生の達成度テスト得点が全国平均になりました、最下位からの上昇なので、全国的にも注目している人たちは少なくないと思います。

 前に書いたようにうちのサイトがGoogle検索〈沖縄 教育〉で三位に上昇しているので、今までにないようなたよりも届くようになりました。「うちの学校と結んで授業してもらえないでしょうか」という要望だけでなく「どういう取り組みをしたらテスト得点が上昇したのでしょう」という質問もあります。


 後者に関してはほぼ「学校現場の先生たちのがんばりと沖縄県教育委員会のリードの成果です、ぜひ県に問い合わせてください」という様な書き方になるのですけど、それでも〈こども達にとって魅力ある学力向上とは〉という視点で「たのしい教育研究所の学力向上についての取り組みは?」と尋ねられることもあります。

 たのしく学力が向上するプログラム・教材はいくつもあります。

 最新の〈たのしい教育メールマガジン〉で取り上げた授業が「読む算数」です。

 公園ではじめに何人か遊んでいました。
 そのうち9人帰ったので17人になりました。
 はじめにいたのは何人でしょう?

という問題に、妹のミチコさんは

 17 ー9 = 8 と式を立てて

「だっていなくなったから〈ひく〉のでしょう!」といいいます。

 それをお姉さんが一緒に考えていくというストーリーです。

 板倉聖宣先生(仮説実験授業研究会の初代代表)が〈読み物〉を書くときの手本としたという〈大谷真一さん〉が何十年も前に書いたものを、たのしい教育のスタイルで再構成したものです。

 途中途中でお姉さんと一緒に考えていくページもおりこみました。

 〈たのしい教育メールマガジン〉の読者の方たちから「こんな風に自分も勉強したかったです」「家庭で使いました」「今回の単元が終わったらやってみます」という様な便りが届いています。

 こども達が〈腑に落ちる〉ような、「なるほど」と納得してくれる様な授業をすること、そういう授業ができる先生たちを育てる、たの研のメンバーが講座などで実際に授業してあげることetc. そういう中でたのしく学力が高まっていくでしょう。

 問い合わせて来てくれた方がメルマガを購読してくれるかどうかわかりません。
 けれど、教育関係の有料メルマガの中で〈たのしい教育メールマガジン〉の発行部数は全国的に見ても多い方でしょう。

 先生たちもこどもたちも授業がたのしい、もっとこういう授業をしたいと言ってくれる様な教材をどんどん広めていきたいと考えています、応援よろしくお願いします。

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