自然や人との触れ合いが本物の知恵を育てる:A.I.学習ではたどりつけない地平

 A.I.についてのいろいろな質問や意見がたまって来たので、前回に続いてA.I.に関してのたのしい教育の視点を書きたいと思います。※こちらのミスで完成前の文章がしばらくUPされてしまいました。午前零時近くから読んでいる方は目にしたと思います、すみません。これが完成版です

 人間の傍でほしい情報やアドバイスを提供するA.I.の力は爆発的な可能性を感じさせます。それは30年くらい前にインターネットが登場して世の中を変えた頃の状況に似ているでしょう。

 A.I.はネット上の知識を私たちが理解しやすいように整理して提供してくれることに特化したシステム、私たち人間の能力を凌駕するほどのスピードで莫大なデータを駆使するシステムです。
 その素晴らしい力でいろいろな知識を整理して提供したり、文章や画像、動画を生成し、私たちの学びや仕事を加速させてくれます。

 けれど周りの人たちや自然環境、生き物たちとの触れ合いなくして本物の知恵・賢さは身につかないでしょう。

 たとえば「こういう伝え方をすると相手は安心するのだ」「こういうことをすると人は傷つくのだ」ということを知識として知るのではなく〈体感〉する、それはA.I.学習では不可能です。
 何しろA.I.には生身の身体がありません。
 触覚も味覚も聴覚も、相手がかもし出す雰囲気を感じる力もありません。
 誰かに恋をしたこともなければ、気まぐれなことをした経験もありません。

 友だちと遊ぶ中で身につけていく対人関係の妙はA.I.で身につけることができるでしょうか?

 A.I.のたのしさも学ぶ価値がある。
 けれど自然や人間との関わりから学んでいくことは、その何百何千何万倍も貴重でたのしいものだと思います。

〈たの研〉に、子どもたちが授業をたのしんでいる写真が送られてきました。

 Bくんがカイコの幼虫を手にしている様子です、とてもいい表情をしています。

 これは「見た目にはわかりにくいけど、実は成長しているのかなか?」と長さを測っている様子です。
 その表情もとてもいい。

 このたのしさ・ワクワク感でBくんはどれだけたくさんのことを学んだことでしょう。
 A.I.中心で学んでいって、こういう魅力的な子どもが育つでしょうか?
 いいえ、A.I.とのやりとりではたどり着けない地平です。

 今回の記事は、このサイトにA.I.に関する質問してくれたいろいろな方たちの答えになったのではないでしょうか。

 さぁ、私たちもキーボードから離れて、野山さんぽに出ませんか?
 友だちに連絡して、今日この頃の様子を語り合ってみませんか!

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楽しい花さんぽ〈アジサイ/紫陽花の季節〉で楽しい面白い自由研究@楽しい原子論

 出張で飛び回る日々、遠くに見える鮮やかな彩りに惹かれて近づくと、アジサイ(紫陽花)の花が咲いていました。アジサイは日本原産の植物です、写真に見える「ガクアジサイ」がアジサイの原種です。※「ガクアジサイ」と「ヤマアジサイ」を加えていねるサイトもあります、どちらも全体的な作りは似ています

 手毬のように丸く膨らんだアジサイは、日本のガクアジサイが海外で品種改良されて、逆輸入されたものです。

wikipediaに感謝して引用

 以前「アジサイの花に見えている部分は植物学的にいうと花ではない」という記事を書きました。未読の方はどうぞ、たくさんのお便りをもらった記事の一つです。

楽しい理科・楽しい植物学@ガクアジサイは面白い

 今回はその時に個人的に宿題にしておいた、アジサイの色の話を書きたいと思います。ちょうど今「原子論と楽しい人生」をテーマに執筆しているので、その一つのテーマにしてもよいと考えています。

 アジサイの色は大きく〈青〉と〈赤〉の系統に分かれます。

 知っている人もいると思います、土壌の酸性度・アルカリ度によって色が違ってきます。
 アジサイの色はリトマス紙の反応と逆になる、とイメージすると覚えやすいとおもいます。リトマス紙の判定でアルカリ性は〈青〉反応を示します、アジサイは逆で、アルカリ性の土壌で花が〈赤〉くなります。

 アジサイを漢字で書くと「紫陽花」、紫の陽(ひなた)の花です。

 アジサイの花にある〈アントシアニン〉という分子は、土壌にあるアルミニウムと結びつくと青系に発色します。

 地球上に存在する原子を多い順に並べると〈酸素〉〈ケイ素〉〈アルミニウム〉です、アルミニウムは土壌にもたくさん存在しています。

 火山ガスには酸性のものが多く、火山の多い日本の地質は酸性に傾くようになります、もちろん全てではありません。

 もともとアルミニウムは地中に多いので、その酸性に傾いた土壌の中で、植物に吸収されやすい状態(イオン)になるものもたくさんでてきます。それで青系のアジサイが多くなります。

 そこで考えてみると、アサガオも青系と赤系があります。

 ブドウの色も青系、赤系があります、ほかにもあるでしょう。

 それもアジサイの反応のような仕組みがあるのではないかな。

 みなさんはどう思いますか?

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「たのしくなければ授業じゃない」@板倉聖宣

 2012年に発行したメルマガで取り上げた内容があります、いつ読んでも新鮮です。〈1991年 西日本たのしい授業入門講座〉で、板倉先生が語った内容です。そのまま引用せず、要点をしぼって短くしてあります。

板倉

「たのしい人生を送ろうと思ったら、学校の時代くらいは厳しいことを経験していないと、たのしくならないよ」とか「会社に入ると耐え忍ばなければならないし、結婚すると耐え忍ばなければならない。つまりいろんなところで耐え忍ばなければならないんだから、学校からずっと耐え忍び方の練習をする必要があるんだ」という考え方があります。
 それに対して「結婚生活はたのしいよ。社会に出たらたのしいよ」という考え方もある。

 

 私が子どもの時には、人生全体が厳しかったんです。その厳しい人生を乗り越えるために、学校の時は厳しくやっていこうという考え方でした。
 しかし、そういう考え方は今は通用しないですね。 
 同じ人生を送るなら、たのしい方がいいじゃないか。

 自分たちがたのしくなければ子どもたちもたのしくならないよ、とういう考え方がある。そのうちにそれが、手段じゃなくて「たのしくなければ授業じゃない」となるんです。

「たのしくなければ授業じゃない」という考え方、つまり、手段じゃなくて、たのしいというもの、そのものが大事です。

 「厳しい授業」というのは監獄ですよ。

 

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ハンディ(障害)は社会の中で定義される@ドキュメンタリー 『音と光のない世界』

 映画仲間のAさんから紹介されたドキュメンタリーをみて感動し、メルマガの〈映画の章〉を急遽かき変えて紹介することにした作品を紹介します。
 初めて観た時はラストのあたりで涙が止まらなくなりました、辛い涙ではありません。2度目からは、はじめのあたりから感動で目が潤んできました。たくさんの人たち、子ども達にも観てもらいたい作品です、YouTubeで視聴できます。
 正式なタイトルは
『音と光のない世界』盲・聾・唖の三重の障がいのある妻を支える夫 山深い“人口7人の過疎村”で生きていくと決めた夫婦の物語 「つれあい」
です。
 私が監督なら『音と光のない世界の輝き』としたと思います。

 子どもたちにも観てほしい作品です。

 作品中、夫の好彦さんが、穏やかな言葉でこう語ります。
 私が常々考えていることをわかりやすく語ってくれていました。
 曰く

 障害という言葉は誤解されているところがあって、〈その人自身に障害がある〉のじゃなくて〈人と社会の間に障害がある〉わけです。
「障害者は人間として欠けている」という考えは全然間違っていると僕は思うんです。
 たとえば聞こえない人たちばっかりの社会の中に、手話をぜんぜん知らない人がいったら、周りの人たちはみんな手話が楽しく喋っているのに、その人は一人取り残されて全然みんなとしゃべれない…
 どっちが障害者なのか?

 

 

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