楽しく島言葉(しまくとぅば)/ゆーぬくダンゴの評価/楽しく島言葉 スピーチ動画コンテスト トライアル大会のお知らせ

とても嬉しいフェイスブックの記事を発見しました。

たのしい教育研究所の教材プログラム〈楽しく島言葉/しまくとぅば〉の心教材「ユーヌクだんごで島言葉」を子どもたちと楽しんでくれた先生のつぶやきです。

 そのまま載せるのは遠慮して、要旨がつたわる様に、ピックアップします。

 
子どもたちとゆーぬく(はったいこ)団子作りをしました
運動会練習の時、終わったらだんごつくろーねー、今は運動会の応援がんばろー! っていって聞かせてたので、そのご褒美です

 
 方言指導もしながら、まんちゃーまんちゃー(混ぜ混ぜ)と言いながら混ぜて丸めました!

 
たのしい教育研究所で習った団子なんですよ
このゆーぬく(はったいこ)のお団子美味しすぎて、混ぜ混ぜしたお椀やスプーンまで綺麗にするほど食べつくしていました‼️
また作ろーっと 
 
 
  子どもたちのたのしさを大切にしてくれる先生たちがいてくれることが明るい未来をつくるのだと思います。
 たのしい教育研究所では「楽しく島言葉スピーチ〈動画〉コンテスト」の本格的な大会の前に、トライアル大会を企画中です。
 興味のある方がいたら、お問い合わせください、簡単でたのしい島言葉のスピーチを動画に撮って送っていただくだけです。
 
 
 島ことばもたのしく伝えたい! たのしい教育研究所です。

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水成岩という名称は捨てがたい-楽しい地学

 秋の講座の準備で〈たの研〉近くの海岸に行きました、遠くまで出かけなくても 沖縄の海はキレイです。

 台風で近くに運び上げられたのか、砂が車を停めるあたりまでたくさんつもっています。
 以前勤めた学校で、砂場の砂を注文したら、県外から運ばれた火山性の濃い灰色の砂が来て、子どもたちは「これも砂なの?」とおどろいていました。黒っぽい石を砕いたものだ感じたのかもしれません。
 沖縄の自然の砂は白くてキレイです。

 海岸の石もよその県で多くみる石とちがって、白くてきれいです。

 理科の時間に岩石は〈火成岩〉と〈堆積岩〉に分かれると習った記憶があるでしょうか。

 主にマグマなどが冷えてできるのが〈火成岩〉で、岩石などが積もってできたのが〈堆積岩〉だというわけです。

 以前から子どもたちや先生たちにこういう話をしてきました。

いっきゅう

火山の〈火〉の作用でできたのが火成岩、火で成り立った岩石と覚えてください」もう一つは「水中で積もって長く強く押しつぶされたり、水中の生物の体を構成していたものでできた砂や石などが〈水成岩〉、水の作用で成り立った岩石とおぼえてください」というように伝えてきました。
「火成岩・水成岩」というネーミングはとてもわかりやすかったのに、その後「ごく一部は水の中でなくても積もってできるから〈堆積岩〉と呼ぼう」という人々が出てきて、教科書にもその名前が出てきました。

でも私は今でも〈水成岩〉のままがよかったのにと思っています。「ほとんどの岩石は火成岩と水成岩にわかれます」でいいのにね。

 ということで、はじめの写真に戻りましょう。

 沖縄の海岸でみられる岩石の多くはサンゴが砕けた石や細かくなった砂、貝殻が砕けたもの、有孔虫の殻などでできています、それは長く強く押しつぶされてできたというより、水の中でできた〈水成岩〉だという方がずっとわかりよいでしょう。

 だから沖縄の海は白く美しいものが地表にたくさんみつかります。ただでさえ強い光を水成岩の白がたくさん跳ね返すので、海の輝きもすばらしいものがあります。

 ということで〈水成岩〉という名前は捨てがたいものがあります、賛同してくださる方は「テストには出ないけど、水成岩という名前があって、沖縄の海岸の岩石はほとんど水成岩なんだよ。ちなみに陸でみつかる石も珊瑚礁だったものがたくさんあって、白っぽいんだよ」というように伝えてみてはどうでしょうか。

 火山性の岩石、火成岩はどうか、それはまたいつか書きましょう!

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楽しいアウトドア〈生き物たちの星〉/小林久先生との会話から- コシブトハナバチ・ホシホウジャク・オオスカシバ

 小林先生との話はフィールドに広がります、最近私が心動かされた生き物たちを紹介させてください。

 メタリックなボディーに見とれてしまいます、コシブトハナバチというグループで、この青のメタリックがある〈アオスジ コシブトハナバチ〉です。

 蜜を探して花から花へ飛び回っています。

 もうひとり、前回の〈ホシホウジャク〉⬇︎ の仲間、《スズメガ ファミリー/スズメガ科》です。

 名前は「オオスカシバ」です、緑茶色のボディ、透明の羽根、ボディの赤と黒のストライプが特徴です。

 口器をたくに操ってランタナの蜜を吸っています。

 外を歩いて心動かされない時はありません、そよぐ風や陽の光、海の眺めなどいろいろなものがあるとはいえ、生き物たちは欠かせません。

 沖縄はまさに秋のさわやかな日々、ほかの県ではもう寒い季節に入っていることでしょう。いろいろな季節をとらえて、一緒にこの星のすばらしさを味わいましょう。

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楽しい文筆暮らし/文字変換で笑ったり学んだり@楽しい国語@楽しい歴史(その2)-騙されない人になるために

 さて、謎解きをたのしむ時間です。ここから読み始めた方は、あまりにもったいないですから、一つ前に戻ってご覧ください。

 ことわざ「灯台下暗し」の灯台とは〈岬に建つ灯台〉なのか〈家の中で光を灯す灯台〉なのか、です。

 前回提示た内容を確認していきましょう。

1.〈灯台下暗し〉ということわざはいつ頃から使われ出したか?

江戸時代には式亭三馬(しきていさんば)という人が、代表作の『浮世床(うきよどこ)』で「灯台下暗し」の例を挙げています

https://news.mynavi.jp/article/20220818-2414217/

 

学研全訳古語辞典

出典 浮世床 滑稽

「それはとうだいもとくらしとやら、あんまり傍(そば)に居ゐては見つからねへで」[訳] それは灯台下暗しではないか。あまり近くにいると見つからねえぞ。https://kobun.weblio.jp/content/%E7%81%AF%E5%8F%B0%E4%B8%8B%E6%9A%97%E3%81%97

 浮世床は1813年~1814年に刊行された本です。

 明治維新が1868年です、その50年前の本で使われているわけですから、江戸時代後期にはすでに使われていたと考えてよいでしょう。

2.では〈岬の灯台〉について調べてみましょう、いつからあるのか?

 予想してみてください、江戸時代より前からあるのか、明治あたりからか?

ア.江戸時代より古くからあった

イ.江戸時代からあった

ウ.明治時代からできた

エ.その他

 

どうしてそう予想しましたか?

 

wikipediaにこうあります。

日本最初の灯台については、839年承和6年)に復路離散した遣唐使船の目印として、九州各地の峰で篝火を焚かせたと『続日本後紀』にあるのが最初であると言われている。建設が確認できる最古の灯台は、摂津国住吉大社(現・大阪市住吉区)の西方にあった鎌倉時代創建と伝えられる高灯籠であり、大社の馬場だった住吉公園入口に場所を移して復元された(1974年)[7]

江戸時代に入り海運が盛んになると、日本式の灯台である灯明台や常夜灯(常夜燈)が岬や港、港に近い神社境内などに設置されるようになった。陸奥湾に面する青森県野辺地町には文政年間に建てられた常夜燈が残る[8]

航路標識として海上保安庁から正式に承認されている最古の灯台は兵庫県西宮市にある今津灯台で、1858年に再建されたものである。

日本最初の洋式灯台は1869年明治2年)2月11日に点灯した観音埼灯台で、着工した1868年(明治元年)11月1日が灯台記念日となっている。また、現存最古の洋式灯台は旧品川燈台(1870年点灯、品川区から犬山市博物館明治村に移築、重要文化財)、現地に建つ最古の洋式灯台は旧堺燈台(1877年点灯、大阪府堺市堺区、国の史跡)である。

 

 839年には遣唐使船の航路の目標として篝火を焚いたというわけですから、江戸時代よりずっと古いわけです。

 ところが、それは灯台と機能は同じでも〈灯台〉とは呼んでいません。
 江戸時代に入り海運が盛んになると〈灯明台や常夜灯(常夜燈)〉ができたということです、灯明台は訳すと〈灯台〉に近いですね。

3.〈室内灯〉はその昔〈灯台〉と呼んでいたか?

 いろいろ調べてみたのですけど、古い文献に室内灯を〈灯台〉と呼んでいる例はありませんでした。行灯(あんどん)、灯籠(とうろう)、提灯(ちょうちん)が一般的に呼び名です。

 なのに辞書などには「古い時代の室内灯を灯台という」と書いてあります、おかしいな、その頃そう使われていました、というならわかるけれど、使われてない言葉をどうしてそう定義できるのだろう、納得いかないな。

行灯や灯明台の足元は暗いか?

 気になって〈行灯〉や〈灯明台〉の足元は本当に暗いのか調べてみました。
 これは江戸時代の灯明台、つまり船などの航路の目標となる様に作られた明かりの台です。光はなるべく高い位置におかれるので、これだと足元は確かに暗いでしょう。

 

 これは江戸時代の室内灯です、有明行灯といって、江戸時代に流行ったそうです。
 確かに足元は暗いといえなくもないかもしれません。

 でもこういうタイプもあります、これなら足元も見えていますよね。

 こういうタイプならしっかり足元が見える。

江戸時代の絵画にも室内灯があります、これ、足元暗いようには思えないなぁ~

 行灯などは比較的床に近い位置にあるので、灯明台より足元は明るいと思うのですけど、どうでしょう。

結論

「〈灯台下暗し〉の灯台とは、岬に建つ灯台ではなく光を灯す台のことである」とする根拠は見つかりません。

 どちらかというと岬に建つ〈灯明台〉を略して灯台と呼んだという方に分があると思うくらいです。

 どなたか〈灯台というのは昔の室内灯のことだ〉と断言してよい根拠があったらぜひ教えてください。

 私は次に「灯台下暗しの灯台っていうのはね…」という人がいたら

「それは根拠が見つからないですよ」とそっと伝えたたいと思っています。

 そしてこういうことも、騙されない人間になる基礎トレーニングになると思っています。

 もちろんここで展開した私の考察が間違っている可能性もあります、もしも説得力ある話が来たら、自分の間違いを訂正されていただきます、それもまたたのしく賢くなる一時です。

 ご意見ご感想、お待ちしています。

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