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楽しい福祉&教育=「たのしくなければ授業じゃない」@板倉聖宣
2012年に発行したメルマガで取り上げた内容があります、いつ読んでも新鮮です。〈1991年 西日本たのしい授業入門講座〉で、板倉先生が語った内容です。そのまま引用せず、要点をしぼって短くしてあります。
板倉
「たのしい人生を送ろうと思ったら、学校の時代くらいは厳しいことを経験していないと、たのしくならないよ」とか「会社に入ると耐え忍ばなければならないし、結婚すると耐え忍ばなければならない。つまりいろんなところで耐え忍ばなければならないんだから、学校からずっと耐え忍び方の練習をする必要があるんだ」という考え方があります。
それに対して「結婚生活はたのしいよ。社会に出たらたのしいよ」という考え方もある。
私が子どもの時には、人生全体が厳しかったんです。その厳しい人生を乗り越えるために、学校の時は厳しくやっていこうという考え方でした。
しかし、そういう考え方は今は通用しないですね。
同じ人生を送るなら、たのしい方がいいじゃないか。自分たちがたのしくなければ子どもたちもたのしくならないよ、とういう考え方がある。そのうちにそれが、手段じゃなくて「たのしくなければ授業じゃない」となるんです。
「たのしくなければ授業じゃない」という考え方、つまり、手段じゃなくて、たのしいというもの、そのものが大事です。
「厳しい授業」というのは監獄ですよ。
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ハンディ(障害)は社会の中で定義される@ドキュメンタリー 『音と光のない世界』
映画仲間のAさんから紹介されたドキュメンタリーをみて感動し、メルマガの〈映画の章〉を急遽かき変えて紹介することにした作品を紹介します。
初めて観た時はラストのあたりで涙が止まらなくなりました、辛い涙ではありません。2度目からは、はじめのあたりから感動で目が潤んできました。たくさんの人たち、子ども達にも観てもらいたい作品です、YouTubeで視聴できます。
正式なタイトルは
『音と光のない世界』盲・聾・唖の三重の障がいのある妻を支える夫 山深い“人口7人の過疎村”で生きていくと決めた夫婦の物語 「つれあい」
です。
私が監督なら『音と光のない世界の輝き』としたと思います。
子どもたちにも観てほしい作品です。
作品中、夫の好彦さんが、穏やかな言葉でこう語ります。
私が常々考えていることをわかりやすく語ってくれていました。
曰く
障害という言葉は誤解されているところがあって、〈その人自身に障害がある〉のじゃなくて〈人と社会の間に障害がある〉わけです。
「障害者は人間として欠けている」という考えは全然間違っていると僕は思うんです。
たとえば聞こえない人たちばっかりの社会の中に、手話をぜんぜん知らない人がいったら、周りの人たちはみんな手話が楽しく喋っているのに、その人は一人取り残されて全然みんなとしゃべれない… どっちが障害者なのか?
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PEALカウンセリング入門@迷惑をかけないorかけられても気にしない
私自身は毎日届く新聞も読みませんし、テレビは録画した旅番組や「チコちゃんに叱られる」くらいしか観ないのだけど、読者の方からニュースやネット情報がたくさん届きます、おかげで普通にニュースなどを収集する方たちの2割くらいは情報を得ることができます。
最近届いた一つが
「日本人は親から〈周りの人たちに迷惑をかけないようにしなさい〉と教えられ、インド人は親から〈自分は周りの人たちに迷惑をかけているのだから周りの人たちの迷惑を許してあげなさい〉と教えられる」という話。
面白い話です。
インド人の教えっていいですよね、という話も加わっていました。
日本の多くの親の教えがよいのか、インドの多くの親の教えがよいのか、片方ではなく両方必要なのだと思います。
私にとってアウトドアの座右の名著が『河口慧海 チベット旅行記』です、その話を聞いた時にその『チベット旅行記』の話を思い出していました。
チベットはインドの北の方に位置していて、近い考えをするのかもしれません。
チベット旅行記には、さらに面白い発想が紹介されています。
恐ろしい強盗の話で、アクが強いので部分的に編集して紹介します。少し長いのですけど、読んで損はない話です。
さてその翌日もその寺で泊り込んでいろいろその地の事について研究しましたが、夜はやはり禅定に入ってその楽しみを続けた。
その時の楽しみは一生忘れられません。その翌日は非常に厳い坂で三途の脱れ坂というのを踰えねばならん。ところが幹事は誠に親切な人でヤクを貸して上げましょうという。
私とは余程深い縁があると見えて出来得るだけの親切を尽してくれいろいろな喰物もくれました。そのヤクに乗って一人の人に案内されて恐ろしい坂を登って参りました。
するとチベット人の妄信といってよいか信仰力といってよいか、仏陀に対して自分の罪業を懺悔し自分の善業を積むという熱心は実に驚くべきほどで、その山を一足一礼で巡るという酷い行をやって居る者もあるです。
それらは大抵若い男女がやって居るので老人には出来ない。ただ登って行くだけでも随分困難を感ずるですからとても若い者のような具合には行かない。
私はヤクに乗って登ってさえも随分苦しい。何故かならばいかにも空気が稀薄ですから、三途の脱れ坂を二里ばかり登りますと非常に疲れて呼吸が大分苦しくなったから少しは薬なども飲むつもりで休みました。するとそこで面白い話を聞いたです。
それは向うの釈迦牟尼如来といわれる雪峰チーセに対して礼拝をして居る人がある。その人はいわゆる強盗の本場であるカムの人です。様子を見るに実に獰悪なまた豪壮な姿であって眼眦なども恐ろしい奴ですから、強盗本場の中でも一段勝れた悪徒であろうと思われたです。その悪徒が大きな声で懺悔をして居る
未来の悪事の懺悔
その懺悔のおかしさと言ったらないです。
なぜならばおよそ懺悔というものは自分のこれまでした罪業の悪い事を知って其罪を悔いどうかこれを免してくれろ、これから後は悪い事しないというのが一体の主義である。
しかるにその人らのして居る懺悔は実に奇態で私も聞いて驚いたです。その後ある人に聞きますればカムの人がそういう懺悔をするのは当り前である。誰でもその通りやって居るという。だから私は実に驚いた。それはどういう訳かというとこういって居るのです。
ああ、カン・リンボチェよ。釈迦牟尼仏よ、三世十方の諸仏菩薩よ。私がこれまで幾人かの人をあやめ、あまたの物品を奪い、人と喧嘩口論をして人をぶん撲った種々の大罪悪を此坂で確かに懺悔しました。だからこれで罪はすっかりなくなったと私は信じます。これから後私が人をあやめ、人の物を奪い、人をぶん撲る罪も此坂で確かに懺悔致して置きます。とこういう事なんです。
実に驚かざるを得んではありませんか。
慧海さんが紹介しているのは、「私はこれからたくさんの罪をおかす、と懺悔します。、だから神さま、それを許してください。はい、これで私のこれからの罪もなくなりましたね!」というわけです。
迷惑や罪は許されるべきものだという発想を突き詰めていくと、こういうところまですすむのでしょう、すごいですよね。
周りの人たちが苦しむ姿は減らしたいし、それでも迷惑をかけるのは仕方ないことで、自分も許してあげよう、ということになるのでしょう。
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