板倉聖宣のものの見方・考え方研究@たのしい教育の発想法『動機でなく結果でみる』

 メルマガで紹介した板倉聖宣先生(たのしい教育研究所 初期からの強力な支援者/仮説実験授業研究会初代代表/元文科省教育研究所室長/元日本科学史学会会長)の〈ものの見方・考え方〉は毎回いろいろな反響が届きます。今回は
板倉先生が1990年12月27日 三河で語った話を載せます。私が仮説の大会でとってあった資料で板倉先生に関わるページを部分スキャンしたもので、正確な出典をたどるのは難しいのですけど、時期的なものをみると年末の「板倉発想法講座」で語られた内容だと思います。

板倉聖宣
 歴史家は『戦争』にしろ『社会主義』にしろ『禁酒法』にしろ『生類憐れみの令』にしろ、あとになってみると馬鹿げたことだと思われるような歴史的事実はすべて「あれは動機が悪かったから結果も悪かったのだ」という話にしてしまうんです。「ですから、これからは動機を良くしましょう」という結論になるのです。
 では、正しい動機とは何か?
 動機をもとに考えてしまうと、正しい動機は単にその時代の倫理規定に合ったものでしかなくなるのです。
 社会主義の時代だったら社会主義がいい動機となり、資本主義の時代になったら資本主義がいい動機、その次に〈何とか主義〉の時代になれば、それがいい動機となってしまいます。
 それさえやっていれば正しくて、それ以外の動機をもつ人間は全部間違いということになってしまいます。
 そうではない。
 歴史というものを「人間が犯さざるをえなかった間違いを犯した歴史」と捉える。
 もう2度と同じ過ちは犯さないようにしようと思うのであれば、これはもうなんとしてでも、歴史を〈動機〉で判断するのではなく《結果》で判断しなければならないのです。
 たとえ動機の段階でみんなが正しいと思ったことことだって、「実験」の結果によって判断すれば、だめだったということもあるのです。
 だからこそ「用心に用心を重ねていきましょう」ということを教えるために『生類憐れみの令』や『禁酒法と民主主義』という授業書があるのです。そしてそれが、私のあらゆる仕事の基礎となっているのです。

 

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理想をかかげて妥協する@楽しい教育の発想法 『新哲学入門/仮説社』

 〈たの研〉の設立当初から強く応援してくださった師の板倉聖宣(元文科省教育研究所室長/元日本科学史学会会長仮説/実験授業研究会初代代表)から学んだことはいくつもあります。

 初期の〈たのしい教育メールマガジン〉で書いたものです。

「理想を掲げて妥協する」ということ 板倉聖宣
新哲学入門 p180から
                      

 私が私なりに築いてきた人生論的な教訓の一つに
「理想を掲げて妥協する」
という言葉があります。

 

 「理想のためにガムシャラに頑張る」という考え方とは違った生き方を示す言葉です。
 私は小さいときから
「理想というのは妥協を許さないものだ」
と教えられてきたような気がします。
「理想というのは、いつでも貫き通さずにはいられないものだ。そうしなければ理想の意味がない」と教わったような気がします。

 そこで、私も少しはそのように頑張ろうとしたことがあります。
 しかし、そういう生き方をしようとすると、すごくくたびれるのです。

 たとえば、「科学的な生き方をする」というのが私の理想の一つでした。
 そこで、私は「非科学的なものとは非妥協的に闘わなければならない」と思いました。

 私はなんでも徹底的にやらないと気がすまないところもあるので、反科学的な迷信はもちろん、非科学的な宗教も認めたくありませんでした。

 しかし、人々が迷信に左右されているのをいちいちチェックしていたら大変です。それに、宗教的行事の一つひとつに反発していたら、これまた大変です。

 それでも私は「自分の思想に忠実に生きたい」と思い、自ら「無神論者」と称して、そういう問題をあまり気にしていない大人たちに反発を感じたものでした。

 でも私のように、徹底的に生きていこうとしたら大変なのは明らかです。
 そこで、多くの大人たちは、社会のしきたりに大幅に妥協して生きていくことを余儀なくされたことは明らかです。

 私も、自分が大人になるにつれて、そのことを理解しないわけにはいきませんでした。そこで私は「自分の思想は思想として、他人の考えも認め、多くの人々と妥協して生きていくことが大切だ」ということを認めるようになりました。

 

 こういうと「そんなのは誰もがやっていることで、ことさら新しい考えでもなんでもない」といわれそうです。

 たしかにそうです。

 しかし、私はこれまで理想と妥協をセットにして考えて生きるといったものに出会ったことがありません。

 そこで私は、若い人々に対して「理想を掲げて妥協する」という生き方の重要性について語るようにしました。
 すると、かなり多くの人々から喜ばれたので、改めて「これまで多くの人々が私と同じように、理想と現実との間にはさまって、どう考えたらいいか戸惑っていたのだなあ」と思い知ったものでした。

 「理想を掲げて妥協する」というのは、そんな言葉は知らなくとも、実際に多くの人々がやっていることです。
 しかし「はっきりとそのことを自覚して行動するのと、自覚しないで行動するのとでは、まったく違うところがある」ようです。

 

 たとえば、私は
「大きな数は234,567などと三桁区切りで書くよりも、23,4567などと四桁区切りにしたほうが読みやすくていい」
「昭和とか平成などという元号は、年代がわかりにくいから西暦で書いたほうがわかりやすい」
と思います。
 そこで「できることならみんなに四桁区切り、西暦表示にしてほしい」と思っています。
 これも、私のちょっとした〈理想〉のひとつなのです。
 しかし、いくら私がそう思ったところで、世の中の人々はなかなか西暦表示や四桁区切りにしてくれません。

 仕方なしに、現実と妥協しているのですが、
「妥協をしつつも理想を守る」
「理想を実現できるチャンスがあったらどしどし実行する」
という気持ちで生きていると、けっこう四桁区切り、西暦表示を実行することができます。

 たとえば、私自身が「編集代表」となっている『たのしい授業』(仮説社)という教育雑誌では、数表示は四桁区切りを通し、西暦表示にしています。自分たちで決めて差し支えのないことは、自分の理想通りに実現できるからです。

 世の中には、私と同じように「数字は四桁区切り、西暦表示が便利だ」という意見の持ち主は少なくありません。ところが、それなのに、部分的にも四桁表示、西暦表示がなかなか広がらないのは不思議なことです。

 元号法制定のときにはそれに反対した歴史学者でさえ、自分の著書の奥付を元号表示にしていることが少なくありませんが、これはどうしたことでしょう。

 法律がどうであるにせよ、自分の著書ぐらい元号を使わないで西暦表示する自由はあるはずなのです。
 多くの人々は「自分の理想がそのまま現実化しない」ことを知って、理想を忘れてしまったように思われてなりません。

 私だって公務員ですから、「元号法」の手前、公式文書だけは元号で書かないと法律違反に問われることもあるわけですが、自分たちの編集・発行している雑誌などは公式文書ではないのですから、そこまで妥協する必要がないわけです。
 
「理想を掲げて妥協する」というのは、「妥協せざるを得ない事情が支配するところでは妥協する」ということであって、「理想を捨てる、忘れる」ということではありません。

自分の理想にばかりこだわっていると摩擦が大きくなりすぎるときは妥協し、「妥協しなくてすむような条件下では、日頃の自分の考え、理想をどしどし実現する」ということなのです。
多くの人々はそういう考え方ができないように思われてなりません。

「理想を掲げて妥協する」
 みなさんの生き方にも関わってくるものかもしれません。

もっと読みたい方はこちらから⇨https://amzn.to/3FX8Axh

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楽しい教育選書『板倉聖宣に学ぶ たのしい授業入門』を出版しました!

〈たの研〉を設立した頃から『電子書籍を出したい』と考えていました、その夢が、やっと叶いました。あれも書きたい、これもまとめたいと思い続けてきたのに、予想以上の忙しさに、12年一回りしてやっとの出版です。

たのしい教師生活 してますか?
板倉聖宣に学ぶ
たのしい授業入門

 私が教師をはじめた時、板倉聖宣の開発した『空気と水』という授業書に感動し、いや、それを受けた子どもたちの感想・評価に感動し、これだけの授業を生み出したのはどういう人物か、その著書や講演記録を読み始め、ますます感動を深めていきました。結局それが『たのしい教育研究所』の設立につながっています。

 こういうたのしいものの見方・考え方があるのか、と元気になる人たちもたくさん出ると思います。

 当面440円で販売中です、代金は全てたのしい教育の普及・たのしい福祉活動に利用させていただきます。
 たくさんの方たちに読んでいただきたいです。

https://amzn.to/3FKBuk2

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楽しい教育の人間観:『勤勉な人間』と『勤勉でない人間』がいるのか?/レンズのみりょく

 宿題や課題をやらなかったりする子がいると「あの子はなまけ者だ」という人がいます。校長先生や教頭先生からみると〈なまけものの先生〉と〈勤勉な先生〉がいるかもしれません。
 けれど人間をそうやって二つに分類することができるのでしょうか?
 わたしは教師の頃、子どもたちの笑顔を広げる授業(たのしい教育)については、とても勤勉だったのですけど、「ちゃんとあいさつしなさい」的な一方向的な生徒指導にはあまり力を入れていませんでしたから、その面ではなまけものだったのでしょう。
 なので、なまけものか勤勉かという二つに分けることは難しく、この面では勤勉だけど、この面では勤勉ではない、というようなことになると思います。

 板倉聖宣先生(たのしい教育研究所 初期から支援者/仮説実験授業研究会初代代表/元文科省教育研究所室長/元日本科学史学会会長)が、1994年6月の『大阪たのしい授業塾』でこういう話をしています。

 

〈人間ていうのは、だいたいサボタージュするものだ・人間てのは怠け心を持っているものだ〉という世界観を持っている人がたくさんいます。
 それで〈強制しなければ人間は怠けるから習慣を作ろう〉というわけですね。
 そのために 宿題を出して監視をする。
 今度『月刊 たのしい授業』で「宿題の特集」をやろうということになっているのですけど、私は宿題は大嫌いなんです。
 小学校の時から嫌いだし,いまなお嫌いです。すごい宿題嫌いの重傷患者じゃあないかと思うんです。

 世の中は〈勤勉な人間と グータラな人間と〉二つに分けようとする。

 けれど〈あることに対して勤勉で,あることに対してはグータラで〉というのが本当だと思うのです。
 私は人間というのを〈勤勉な人間〉と〈勤勉でない人間〉とに分けるという考え方には反対なんです。

 大切なことは、いろいろな子どもたちが「あ、それ楽しい」とか「面白い、もっと教えて」と感じてくれるようなものを提供することです、「この子は怠け者だ」というような評価はマイナスであるだけでなく、そもそもそういう評価自体成り立たないものだと考えています。

 いろいろな方法を提供しても乗ってこない、ということもあるでしょう。

 ぜひ〈たの研/たのしい教育研究所〉にご相談ください。

 低学年子どもたちから身を乗り出して学んでくれる「レンズのみりょく」というプログラムほか、たくさんのプログラムがあります。

 

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