板倉聖宣「たのしく学んだ知識こそ身につく」-たのしい教育の見方・考え方

 久しぶりに板倉聖宣先生のものの見方・考え方を紹介しましょう、最近のメルマガに載せた記事の一部です。

 この中で板倉先生は

たのしくなくて無理やりおぼえこまされた知識でも、(     )をするときには役立つことがあります。

と言っています。

いやいや覚えこんだものでも役立つことがあるのか?

そういう視点で読むのもよいと思います。板倉聖宣

たのしく学んだ知識こそ身につく
 民主主義の社会では、国民の一人ひとりが自ら道を開く能力をもっている必要があります。
「これからの社会をどのような方向に発展させていったらよいか」ということについて、国民の一人ひとりが意見をもたなければなりません。
 そのためには世界の地理や歴史について、また科学や経済や政治について、自分なりの判断ができなければなりません。
 いやいや勉強したのでは、そんな判断など下せるはずがありません。
 授業がたのしくなくて無理やりおぼえこまされた知識でも、だれかの仕事の下請けをするときには役立つことがあります。しかし、そういう知識は、自分自身が主人公となってものごとを判断するときには、ほとんど役に立たないのです。

月刊たのしい授業1983年3月 創刊0号より

いやいや覚えこんだものでも役立つことがあるのか?

「誰かの下請けをする時は役立つことがある」

と言っているのですけど、他にもありますね。

「競争をして、他の人たちより自分は得点が上だと自慢する時」にも役立ちます。「受験」でも役立つことがあるでしょう。

けれどそれらは時分が主人公として人生を生きていく時、新しい問題や課題が目の前に現れた時にそれを突破する力としては役立たないでしょう。

 一部の人たちでなく、多くの人たち、弱い立場の人たちも豊かに生きていける社会を作るには、たのしく学んだ知識でなくては役立ちません。

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たのしい国語②どうして国によって言葉が違うのか? 楽しい言語学入門

 みなさんは「ねぇねぇお母さん、どうして国によって言葉が違うの?」と聞かれたたら、何と答えるのでしょう。たのしい国語・理科①の続きです。 ※未読の方は一つ前に戻って読み進めてください

 私いっきゅうが子どもの頃、先生に無視されてしまった、その質問を、私自身で丁寧に答えてあげたいと思います。ただし授業中の質問ですから少しの時間を使って、という制限の中で要旨を刻むことにします。時間によって、この骨子のみにするかそこを膨らませるか、私も頭を整理しながら書いてみましょう。

1.動物は進化していく段階で周りの情報を統合的に処理する〈脳〉という場所が形づくられていきました。その〈脳〉は周りの敵や仲間などに意思や感情を伝える(コミュニケートする)ことにも力を発揮していくようになりました。※ウィルスや単細胞生物などはコミュニケートしようという意思はないだろう

2.そのうち〈脳〉がさらに発達していった背骨のある動物たち(脊椎動物)は音声や動作(ジェスチャー)によるコミュニケーションがすすんでいきました。そういう動物の中でもっともそれを発展させたのが、わたしたち人間だった

ウィキペディア「視神経の細胞」

3.人間の音声言語やジェスチャーはとても長い時間をかけて様々な場所にすむ人たちの中で独自に発展していきました、話はここからです。

①まず「地球上のどの場所でも同じ様な言葉が発展するはずだ」という予想は成り立つのか考えてみましょう。カラスは〈カーカー〉と鳴くので、いろいろな場所で人間たちはカラスを指さして「カーカー」という名前で呼ぶようになった可能性はあると思います。調べてみると今でも英語でカラスは「クロー」、韓国語で「カマグィ」イタリア語で「コルヴォ」、ドイツ語:クレーエ、フランス語:コルボー、ポルトガル語:コルヴォ です。そっかヨーロッパ諸国は言葉が影響しあっていると考えられますね、遠く離れて南アフリカ共和国での呼び方を調べましょう、南アフリカ共和国(アフリカーンス語):Kraai(クラーイ)です ※ChatGPTサーチ
 どちらも偶然とは思えないほど〈か行〉に偏っています、鳴き方から名付けられたという私の予想は間違いではないと思います。興味のある方は大学の卒論で取り上げてみてはどうでしょう

②では太陽を名付ける時、どの地域の国々でも似たような呼び方をするでしょうか? 日本では〈タイヨウ/お天道様〉、英語では〈サン〉、ズールー語:iLanga(イランガ)です、違いますね。
 そもそも各地で同じだというのが不自然なのだと思います。

 こどもの頃、私いっきゅうが「先生、どうして国によって言葉が違うんですか?」と尋ねたその問いに「いっきゅうくん、この広い地球にはいろいろな国があって、どこでも〈太陽〉が見えるよね。そのほとんどの国々でどこでも〈太陽〉と呼ぶのがあたりまえなのかな? まず自分でそのことを考えて、先生にその答えを話してくれませんか」と答えた方がよさそうな気がしてきました。

 みなさんはどう思いますか?

 たのしい教育は面白おかしい教育でも奇を衒(らて)ったものでもありません。その人の心の奥に響いて、もっと知りたい、もっと学びたいというスイッチを入れること、そしてその道筋を提供してあげるのが〈たのしい教育〉です。

 このサイトに興味を持ってくださったみなさんは、ぜひSNSなどで広めてください。一緒にたのしく元気な社会を育てていきましょう、それはつまりこどもたちや私たちがたのしく元気になる社会です。

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言葉の力:〈まあ〉という副詞を耳にするたびに感じること/「私たちは 言葉で できている」

「あなたは あなたが使っている言葉で できている」という本があります、私たちは物質なので、言葉としての振動や表記で出来上がっているわけではないのですけど、〈比喩表現〉としてはよく理解できます。その文脈でなら〈人間は言葉でてきている〉とシンプルに言ってもよいと思います。

 私がほんのわずかに見る番組の一つが『ポツンと一軒家』です。その中では、プロデューサーさんが行き先の地図や写真を地元の方に見せて、そこへのアプローチを尋ねるところから始まります。

未見の方へ、お勧めですよ! 朝日テレビ系です。

 すると地元の人がとても丁寧に教えてくれたり、先導してくれたり、「自分はわからないなぁ、向こうの◯◯さんのところに一緒に行ってみましょう」と提案したりします。

 そういう言葉の一つひとつから優しい人柄が伝わってきて、みていていい気持ちになります。

 以前、不案内な場所で開催される会議に参加するために車を走らせている時のこと、ナビが指す駐車場の案内が妙な案内をして役立にたたず、歩いてい方を見つけて車の中から「先の方に駐車場はありますか?」と尋ねたことがありました。
 こちらが急いでいる様子を察したのでしょう『そこ曲がってすぐのところ!』とサッと指差してくれた方がいました。
 一見、怒っているかのような語調だったのですけど、行き先が瞬時にわかってとても助かりました。こちらが迷って一刻も早く着きたいことを察してくれたのだと思います。深々頭をさげつつお礼をいい、遅れることなく参加することができました。

 普段の仕事や生活もきっと、キリリとしている方なのでしょう。

 手相占いや星占い、タロットカード、誕生日占い etc.  最近は〈電話占い〉というのもあるようです。

 たとえば占い師たちは実に怪しい儀式で「あなたは仕事に没頭すると、うっかり約束などを後回しにしてしまうことがありますね」などと誰にでも当てはまる言葉を使って人物判定することがあります。
 私は約束を破る・すっぽかすということがとても嫌いなので、ほとんどそういうことは無いのですけど、それでも「あるかないか」といわれたら「後回しにすることはありません」と言い切ることはできません、誰でも「はい」と答えるでしょう。

 ドーキンス、板倉聖宣などの原子論者(本物の科学者)たちが、そのまやかしをいろいろなところで暴いてくれている上に、私もこのサイトで何度か〈占いの非科学性〉や〈幽霊なんていない〉ことを書いてきました。
 詐欺・特殊詐欺などにあわないように、占いに惑わされないことから始めるのもよいとおもいます。国民生活センターが注意喚起しているものがあるので目を通してみるとよいでしょう⇨ https://www.kokusen.go.jp/pdf/n-20201126_1.pdf

 占う人もきっとその人との対話から「こういう人物だな」と予想しつつ、例えば〈星座〉などに強引に辻褄を合わせて語っているのでしょうけれど、「どういう人物か」という時に『その人が使う言葉で推測する』ほうが、その占い師の占いより何億倍も確かです。

 最近インタビューを見ていて「まあ」という副詞を挟む人をよく目にします。
たとえば
「どういう方面に力を入れていきたいですか?」
「予算面の調整に まぁ 力を入れていきたいです!」
というような言い方をみなさんも聞いたことがあると思います。

 私が面接などでたくさんの人たちを合格に導いた一つが《弱め言葉》を使わない指導です、「まあ」や「まぁ」も弱め言葉の一つです。

 恋人同士の会話でみるとわかりやすいかもしれません。

女性に「私のこと好きなの?」
と聞かれて、男性が
「好きです!」
と答えた時と
「まぁ、好きです」
と答えた時には大きな違いがあります。

 私の友人がそう言われたとしたら「そんな頼りない人と結婚するのはやめてた方がよいんじゃない?」と伝えます。

「まあ」や「まぁ」は〈はっきりとは言えないけれど、とりあえず〉という言葉です。

 日本語大辞典にこうあります。

[1] 〘副〙
① 他のことも考えられるが、とりあえずそうしようという気持を込めて、ある行為をさし示す語。何はともあれ。まず。また、あきらめたり、なだめたりする気持を込めて、感動詞的に用いる。
ちなみに
「まあまあ」は「まあ」と同類の言葉です。
好きな「新明解国語辞典」から引用してみましょう。
 
 私たちが行政を託している政府要職の中にも、フレーズの中に必ず〈まあ〉を細かく連発する人たちがいます。
「災害に対する取り組みは急務だと思いますが、どのようにお考えですか」
「確かにその面についても まあ がんばっていきたいと考えています」
 きっぱり言い切るのではなく「まぁとりあえずはそう考えていますよ」という意図が伝わってきて、はなはだ心もとなく感じてしまいます。
 大切なことはしっかり考えてハッキリ言い切る、そういう使い方ができる子どもたちを育てていきましょう。

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〈素直な子どもに育てたい〉という願いについて考える-たのしい教育の発想法

 みなさんは、自分の周りの子どもたちを〈素直な子ども〉に育てたいでしょうか?

 今日発行したメルマガに、そう書き始めた発想法の章にさっそく反響が届き始めています。

 「素直な子どもに育てる、という願いは教育的にどういう価値があるのか」ということから始めて、板倉聖宣先生(仮説実験授業研究会初代会長・元日本科学史学会会長)の話を紹介しました、一部抜粋しましょう。
 今から50年くらい前、1967年発行『仮説実験授業研究』第10号に掲載された文章です。

板倉聖宣
 これまでの科学教育で優等生になるための一つの根本条件は、先生や教科書に対して「すなお」であることであったように思われてならない。
 私のかつてのクラスメートたちや、いまの学校の先生を見てそう思うのである。
 これまでの科学教育は、とんでもない飛躍があまりにも多すぎ、説明が不十分だった。だから学校で教えられることや、本に書いてあることのかなり多くはわからないのがあたりまえ、ということが多かった。
 少なくとも私はそう感じていた。本を読んでもすぐつかえてしまう。
 自分にわからないことをもとにして、どんどん進むのにはついてゆけないのだ。
 そしてついには落伍することになる。
 こういう教育条件のもとにあって優等生になる道は、うんとよい先生にめぐりあうか、いろいろな本をさがしまわってよい本をさがしあてることのほかに、ただ一つ、先生や本に対してすなおになることだ。
 自分にはよくわからないことにこだわって、そこから先に進むことを拒否してはいけない。
 自分の心を空しくして、疑問を持たないように努め、たとえわからないことでも、わかったような顔をして「すなお」におぼえこむ。
 すると、いつかは「ああ、あれはそうだったのか」と合点がいくことがあるものだ。
「読書百遍意おのずから通ず」式の勉強法だ。
 しかし、こういった「すなお」な心を持った人々は、学校の優等生になることができても、独創的な仕事をするには不向きである。
 他人のあとに上手についてゆくことができても、自分で新しいことはできない。

 おかげさまで、このサイトは着々とアクセス数を増やしています、これは今日の昼の数値です。

 もちろん多い日もあれば少な日もあるのですけど、一日1~2件のアクセス数から始まったこのサイトが、これだけ成長したことに感謝して、サイトを読んでくれているみなさんの姿を想像しながら、今日も綴っています。このサイトの読者の方からの便りも、とてもたのしみです、気軽に書いていただけたら幸いです。

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