ブラックホールとかダークマターといった紛らわしいネーミング:本質のことを知ろうとするスタイルは騙されない人になる一歩でもある(特殊詐欺)

 科学上の概念、名前には直感的なイメージからかけ離れたものがいくつもあります。

 以前「〈ブラックホール〉は穴ではない」という話を書いて、いろいろな方たちからお便りをいただきました。

たのしい宇宙科学〈ブラック(黒い)ホール(穴)〉は穴ではないという話

 ブラックホールは「穴」ではなく『重力が極めて強い天体』であるということが正確な表現です。

 私は子どもたちに《超高密度天体》と説明しています、地球くらいの天体が2cmくらいのビー玉くらいに押し縮めたくらいの密度です。
 その強烈な重力によって、周囲の物質や〈光さえも〉逃れることができない天体です。
 つまり星の一つ、特殊な星なのです。

 宇宙系には「ダークマター」とか「ダークエネルギー」という様にまだ解明されていない上に〈ダーク:闇⇨邪悪な〉というイメージがのっているネーミングもあります。爆発が起こったわけでもないのに「ビッグバン」と名付けられている現象もあります。

 やはり名前は、人間の思考イメージを形作るものとしてとても重要です。

 先日、知人と語らっている時、何のきっかけだったかブラックホールの話になりました。
 知人も「光さえ呑み込んでしまう〈穴〉」だと思っている一人でした。

 一度広まった名前を変えることは大変でも、これから100年200年と続く世の中で、どんどん誤解をうみ続ける名前を続けるのはおかしい、最近紹介した様に、遺伝学上のとても有名なネーミング「優性形質・劣性形質」が教科書で「顕生形質・潜性形質」に変わったわけですから。

 そこで当面「ブラックホール(超高密度天体)」と並記することを提唱します、これは私たち個人でできることです。

 そのうち◯十年くらいして、その表記が普通になっていったら「超高密度天体」のみにする。

〈ダークマター〉はまだその存在が証明されたわけではなく、間接的にその存在が推測されている物質です。

 これは「ダークマター(不可視物質)」と並記する。

 賛同する方は一緒にやりましょう。

 以前も書いたのですけど、そういった本質を知ろうとするスタイルは、騙されない人間になっていくスタイルでもあります。

 私は文章を書く人間ですから、騙さない様に、誤解を生まない様に努力する。その一つがブラックホールやダークマターの話でもあります。

 地道なことですけど、効果があがるのはこういう地味なことの積み重ねでもあると思います。

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板倉聖宣『道徳教育を語る』-たのしい教育メールマガジンから

 読者の方からの要望に応えて久しぶりに板倉聖宣の発想法を紹介させていただきます。初期の頃の「たのしい教育メールマガジン」から切り取ってみましょう。

板倉聖宣 沖縄にて きゆな写

生きる知恵としての道徳

板倉聖宣

 道徳教育については問題整理が必要になります。
〈道徳〉というのは生きる上で一番役立つものなのです。
あいまいなイメージのまま議論をしていると問題がどんどんややこしくなる。
 古いタイプの人たちには〈道徳〉の中に 〈徳目〉を習慣化しよう、という考えがある。
自分で考えて正しいと思って行動する人間を育てるのでなく、それをするのが当たり前であるようにしたいのでしょう。
だから〈道徳〉という言葉のイメージは〈修身〉とおなじでおしつけ的な感じがある。

その点からみると〈道徳〉という言葉が適切なのかどうかわからないし、もっと他にふさわしい言い方があるのかもしれない。
要するにボクは〈生きる知恵〉を子ども達にプレゼントしたい。
〈みんなと共に生きる知者〉ととらえ直して
〈他人と一緒に生きる知恵〉を学ぶようにしたいのです。

〈生きる知恵〉ならば、長生きをしている人に知恵があるのは確かだろうし、そういう知恵が正しいのかどうかを若い人だって議論できる。
 つまり〈知恵〉という言葉からは
〈過度の摩擦を起こさずに皆が生きていける方法〉
しかも
〈社会の発展が保証できる〉というカンジがつかめるのです。
 そういう教育を行なう時、
〈集団をあまり重要視しないこと〉と
〈個人を極端に重要視しないこと〉とのバランスを取るのがすごく難しい。
相互に干渉をしないように、どこらへんで切るかを探るには〈仮説・実験〉で限界を探っていくしかないね。

 道徳というのは生きる知恵である、と考えていくと、道徳は押し付けではなく、いろいろなアイディア、見方・考え方が出てくると思います。

 その意味でモラルジレンマ 方式もとても有効なものとなるでしょう、いろいろな見方・考え方があるということを知ることができて、多様な立場の人たちの間で摩擦をなるべく減らすようにしたいという考えも出てくるでしょう。

 おつけにならない道徳、家庭でも学校でも考えてみませんか。

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カラス⇨タイワンシロガシラ⇨すずめ/たのしい畑人Hさんの話 

 連休中「急ぎで採れたてのトウモロコシを届けたい」と応援団のHさんから連絡が入りました。

 待っているとトウモロコシの入った箱を抱えたHさんがやってきました。 

「あと数日おこうと思っていたけれど鳥たちが食べ始めたので急いで収穫をはじめた」とのこと。

 Hさんは自らも〈たのしい教育派〉です、どの鳥がどんな風に食べているのか、隠れて観察していたのだそうです。

 その話がとてもおもしろかったので紹介しましょう。

 まずカラスがやってきて、トウモロコシの実に乗った。

 するとカラスの重さで幹がたわんできて、トウモロコシの実がポキリと折れて地面に落ちる。

 カラスはトウモロコシの皮を口ばしで摘んで器用にむいていく、ちょうどこのくらいむいて黄色い実がみえてきた。

 すると二、三粒つついて飛んでいってしまった。

カラス wikipedia

 

 近くで待機していたのだろう、シロガシラ(タイワンシロガシラ)がやってきて、カラスよりたくさん食べて飛んでいきました。シロガシラはそれほど力がないので、カラスがトウモロコシの皮をむいてくれるを待っていたのでしょう。

シロガシラ 国立環境研究所

 シロガシラが飛び立つのを待っていたスズメがすぐに数羽やってきて残された粒を食べている、すずめは身体が小さいので、皮の隙間から見えている粒を丁寧につついていたとのこと。

スズメ wikipedia

 なるほど一つの食べ物をめぐって何層にも段階があるのだと感心しつつ、被害が広がっていかないように、一週間くらい早く収穫することにしたそうです。

 採れたてを食べて欲しくて〈たの研〉に持ってきて
「この話、みんな信じてくれないと思うんですけど〈たの研〉の方たちは信じてくれますよね」
と語ってくれたのが、ここに書いた話です。

 もとろんHさんの人柄を知っている私は100%信じます。

 もしHさんがそのままにしていたら、その後、他の動物がやってきて食べていくでしょう、最後に残ったものは微生物が食べるという様に、自然は実にうまく連携プレイしながら成り立っています。

 たのしいHさんに拍手!

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優等・劣等と分けたのはメンデルさんか? たのしい教育メールマガジンから

 メルマガに「言葉のもとの意味を調べる意義」として書いたところ、いろいろな反応がきて喜んでいます。

 私がメルマガに血液型の例を出して「〈優性遺伝〉〈劣性遺伝〉という様に、人間に直接優性・劣性とラベリングするのはなかなかないと思う」と書いたところ
「いっきゅう先生、以前は〈優等生〉〈劣等生〉という言葉がありましたよね」というメールがとどきました。

 たしかに!

 遺伝や進化の研究は〈優等〉〈劣等〉という酷い差別を生み出したともいえます。

 今回のメルマガの発想法の章の最後にこう書きました。

心やさしき研究者メンデル

「おだやかで寛大で心優しい、花を愛した人でした」と評されたメンデルは、植物たちの遺伝の形質に「優れている・劣っている」と表現した人物ではありませんでした。
 ここで私の長年の謎は解け、その肖像をみる時にも、おだやかな気持ちで向き合うことができる様になりました。

 そしてさらに気になっていた「ダーウィンはどうしてメンデルさんの研究に目をつけなかったのか」というテーマにすすんでいます。

 実は、ダーウィンとメンデルの関係と同じくらい

では、誰が遺伝形質を優性・劣性という価値観で分けたのか」「優等な形質をもった人間を残そう、という恐ろしい発想を広めたのは誰なのか?

という強い問題意識があります。

 そういう〈優生学〉はナチス・ドイツはとんでもない蛮行にも繋がっていきました。

 人間を〈優等〉〈劣等〉に分けるのはとんでもないことだということに賛同する人は多いでしょう。

 でも私たちは〈優等劣等〉言葉はつかわなくても、たとえば植物についてはごく普通に〈美味しいもの・美味しくないもの〉〈甘いもの・甘くないもの〉〈大きいもの・小さいもの〉〈花がたくさんつくもの・少ないもの〉〈長く咲き続けるもの・すぐ咲き終わるもの〉という様に優劣をつけてとらえています。

 動物たちについてもそういうところがあります。

 それを私たち人間は解決できるのでしょうか。
 解決する必要はないのでしょうか。

 そういうとても大きな問題とつながります。

 いつか〈たのしい教育メールマガジン〉で私の考えをまとめてみたいとおもっているところです。

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