人間が優しく豊かになっていくと、使う言葉も優しく豊かに進化していきます。言葉は人間の心の中を表現するわけですから当然のことといえば当然のことです。
わたしが大学で今の特別支援教育の授業は〈特殊教育〉といいました。
〈特殊〉から〈特別な支援〉の教育に変わったわけです。
「それまで〈視覚障害・聴覚障害・知的障害・肢体不自由・病弱〉の5つに分かれていた特殊教育が束ねられたという構造に変化したから」というのが教員採用試験レベルの解答なのですけど、それなら「統合特殊」と呼んでもよかったでしょう。
そこには「特殊」ではない「特別な支援」なのだ、という思いがあったのはまちがいないと思います。
〈特殊〉という言葉と〈特別支援〉とはそんなに違わないと思う人もいるでしょう。
けれどそこには〈特殊である〉という名詞的なイメージではなく、ニーズのある子どもたちに〈こちらからスペシャルの支援をする〉という動詞的なイメージが加わっています。言葉だけでなく、その中に込められた想いが変わったのです。
わたしが大学で学んだ頃の〈特殊教育〉の前は何と呼んでいたか?
衝撃的な言葉です、心臓にもよくないと思います・・・
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「廃人教育」です、その学校を「廃人学校」と呼んでいました。
今なら訴えられるくらいの表現ですね。
メルマガには書いたけれどこのサイトには書いていないかもしれません。
あ、書いてましたね ⇨ https://tanokyo.com/archives/13485
現代の学校システムの始まり、明治時代の『学制』に出てくる言葉です ⇨ https://tanokyo.com/archives/13485
ひどすぎるので教育界の記憶から消し去りたいのでしょう、「かつてそう呼んでいた」ということすら語られていません、知っている人はほとんどいないでしょう。
私も学生時代の授業の中で聞いたことはなく、その後、特別支援の歴史をたどったときに知って驚きました。
特別支援教育の歴史をみていくと、《差別されてきた》ものであることがわかり苦しくなります。
人間は過去の歴史を踏まえて今があります。過去の歴史を消し去るのではなく理解して発展していくことが大切です。
こんなひどい言葉をつかってしまった歴史を知って、もうそこには戻らないという覚悟が大切です。
過去の歴史を知らないと困ったことが起こります。
たとえば「戦前の教育に戻せば子どもたちは礼儀正しくなる、犯罪も減る」と発言する政治家もいました。そういう意見が大きくなると、ここまで登ってきた階段を何百段も降りることになるでしょう。
廃人教育⇨特殊教育⇨特別支援教育 と進んできた歴史は、日本人全体の心の進化といえるでしょう。
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〈障害児〉の〈障害〉という表現も変えた方がよいと思います。
たのしい教育研究所では、行政用語などを引用する以外では利用することはなく、「ハンディがある」という表現をしているのですけど、もっと優しい言葉になっていくことでしょう。
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「認知症」という言葉があります。
ごく普通に利用されているので、かなり以前からそう呼んでいたと思う人もいるでしょう、でも2005年頃からです。
その同じ症状を何と呼んでいたか、覚えている人はいますか?
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〈痴呆〉です。
変わってよかったよかった。
「言葉は時代とともに変わっていく」といいます。
でも違うと思います、「言葉は人々の心の変化とともに変わっていく」のです。
豊かな方向に優しい方向に変えていきたいものです。
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