たのしい社会たのしい地理:南極はどこの国に属するでしょう?/楽しい平和学習

 今回も気に入りの中谷宇吉郎 のエッセイから一つ、たのしい社会・たのしい地理・たのしい学力向上の内容です。

 社会の時の定番の質問の一つにしているのが「南極はどの国に属するの?」です。

 ご存知の方もいるでしょう、南極はどこの国のものでもありません。

 その知識をもとに『南極の切手』という宇吉郎のエッセイを読むと、驚くと思います。

エッセイの中に切手が載っています。
 デザインをよくみてください。

 中谷宇吉郎にアルゼンチンから手紙が届き、そこにはられていた切手には「南極の一部がアルゼンチンの領土である」とデザインされていたというのです。

 おやおや、どうしたことでしょう。

 アルゼンチンが南極を手放したのでしょうか?

 宇吉郎がこのエッセイを発表したのは1956(昭和31)年です。

 今はどこの国にも属さないこととなったのでしょうか?

 南極大陸は 1820 年頃に発見されました。

 南極大陸の存在が明らかになるにつれて、南極地域を探検した国や近隣の国が領土権を主張するようになりました。同時に、南極をどこの国にも属さない状態で、世界各国が協力して南極の研究をすすめようという動きもはじまりました。

 1959 年に日本、アメリカ、イギリス、ソ連など12カ国が南極条約を締結しました。
 条約の主な内容は以下のとおりです。

  • 南極地域の平和的利用(軍事基地の建設、軍事演習の実施等の禁止)(第1条)
  • 科学的調査の自由と国際協力の促進(第2、3条)
  • 南極地域における領土権主張の凍結(第4条)
  • 条約の遵守を確保するための監視員制度の設定(第7条)
  • 南極地域に関する共通の利害関係のある事項について協議し、条約の原則及び目的を助長するための措置を立案する会合の開催(第9条)

現在では50以上の国が締結しています、中国も北朝鮮もその中の一国です。

(1)南極条約協議国(29か国)

 アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、ブルガリア、チリ、中国、チェコ、エクアドル、フィンランド、フランス、ドイツ、インド、イタリア、日本、韓国、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、ペルー、ポーランド、ロシア、南アフリカ、スペイン、スウェーデン、ウクライナ、英国、米国、ウルグアイ

(2)その他の締約国(28か国)

 オーストリア、ベラルーシ、カナダ、コロンビア、コスタリカ、キューバ、デンマーク、エストニア、ギリシャ、グアテマラ、ハンガリー、アイスランド、カザフスタン、北朝鮮、マレーシア、モナコ、モンゴル、パキスタン、パプアニューギニア、ポルトガル、ルーマニア、サンマリノ、サウジアラビア、スロバキア、スロベニア、スイス、トルコ、ベネズエラ

 今この時にも、いろいろな国で領土をめぐって悲しい出来事が起こっています。

 この南極条約を世界中の人たちが見直して、領土問題のいざこざに応用できないでしょうか。

 少なくとも、南極条約のすばらしさを、子どもたちに伝える意義があると思うのですけど、どうでしょう。

 まさに楽しい平和学習になると思います。

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たのしいお話プラン〈映画・動画・写真の歴史〉

『侍タイムスリッパー』の話を書いたところ、さっそく観に行ってくれた方たちからお礼のたよりが届いています。
 うれしいことです。

 映画はもともと大好きだったので、学校にいる時など「これは子どもたちに観せたい」という作品(マイ・フレンド・フォーエバーなど)があると、周りの先生たちに話して、学年一斉に鑑賞会をしたことがあります。

 映画の歴史についての授業をしたこともありました。

 もちろん勝手にやっているのではなく、社会科や道徳などに位置付けての正式な授業です、教師というのたのしいものです。

 こどもたちに語った「映画の歴史」を元にまとめた「お話プラン 映画・動画の歴史」というプログラムがあります。好きな人たち数名で予想をたてながらすすめることができます。

 そのままお蔵入りになってしまうのはもったいないので、加筆して紹介しましょう。※画像等はwikipediaに感謝して参照させていただきました

お話「映画・動画の歴史」

 映画好きが議論することの一つに
「映画を発明したのはエジソンかリュミエール兄弟か?」
というテーマがあります。

 絵や写真をパラパラと重ねていくと〈残像現象〉によって、動いて見えることはかなり前から知られていました。

 ジョゼフ・プラティは1831年に、円形のディスクに連続した絵を描いて、動いて見えるようにしたフェナキストスコープを発明して、たくさんの人を驚かせました。

フェナキストスコープ/wikipediaに感謝して参照

 上の円盤を回すとこう見えます⇩クリック

https://ja.wikipedia.org/

上の動画をみると、これが「アニメーション」の元祖だとわかるでしょう。

 アメリカのトーマス・エジソンは絵でなく写真フィルムを利用して、実写版でもっと長い作品を人々に提供しました。フェナキストスコープから約50年後、1983年のことです。

 のぞき窓から箱の中の動く映像をみるタイプで、キネト・スコープと呼ばれています。
 人々からお金をとって見せていました。

 それとほぼ同じ頃、フランスの「リュミエール兄弟」が「シネマト・グラフ」を公開しました、1895年のことです。


 それは、今の映写機の様に、壁に動画を投射して、みんなでそれを観るタイプです。

 リュミエール兄弟の上映会のポスターがこれです、じっさいこういう感じでみんなでたのしんでいました。

 さて、映画の映画好きたちの議論
「映画を発明したのはエジソンかリュミエール兄弟か?」
にそろそろ結論を出しましょう。

 みなさんは、エジソンとリュミエール兄弟のどちらが映画を発明したのだと思いますか?

 「映画館」で上映するものを映画と考えるとリュミエール兄弟の「シネマト・グラフ」が映画の始まりだといってよいでしょう。
 いや、一人で箱をのぞいたりしてたのしむものも映画だ、と考える人はエジソンが映画を発明したのだというでしょう。
 ただしそれは映画ではなく「動画」だという考えもあります。

 私いっきゅうは、リュミエール兄弟が発明した楽しみ方を映画と呼びたいと思っています。

 いろいろな考え方があるとはいえ、「ほぼ1900年の少し前に映画がはじまった」といってよいでしょう。
 今からほぼ100年以上前の事です。

 ※

 ところで、映画に至る前には「カメラ・写真」がありました。
 カメラ・写真の歴史もみていきましょう。
 
 まず、カメラはいつ頃からあったのでしょうか?
 予想してみてください。

結構長いので、ここまで。
評価がよければ機会をみてつづけましょう。

子どもたちへの授業の時には、その頃広がっていたインターネットの情報をどんどん出して、喜んでもらいました。

パラパラ漫画も流行って、けっこういい作品がくつも出てきました。
懐かしいたのしい思い出です。

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琉球の地図 300年くらい前の姿/無料で利用できます〈国立公文書館デジタル資料〉

 国立国会図書館や国立公文書館では著作権の切れたものを中心に無料で閲覧、印刷できるコンテンツをたくさんそろえていて、「私たちの税金で嬉しいことをしてくれている」という感じがします。
「私たちの税金で建てた公共施設なのに、なかなか利用できません」という相談があったりして残念な思いをしていたのですけど、こういういい仕事をどんどん増やしていってほしいものです。

 さて今回は300年くらい前の琉球の地図を紹介しましょう、国立公文書館が公開している「元禄国絵図/げんろく くに えず」の中に入っています、江戸幕府が1700年ごろにまとめた地図です。

 今から300年前の地図というのは、現在の最新の地図と比べてどれくらい似ているのでしょう?
 かなり形が違っていたり縦横の比が違っていたりするのでしょうか。
 みなさんはどう思いますか?

 これが300年くらい前の地図です、どうですか?
  全体的にみて、かなり現在の地図に近い形を描いていることにおどろいたのは私だけでしょうか?

 拡大してみていくとおもしろいことをいくつも見つけることができます。

 平安座島などもしっかり描かれていることは当然として、勝連半島から平安座島までは「干潟」と書かれています、潮が引くとこれだけ長い距離を歩いて渡ることができたわけです。
 もう一つ、達筆で読めないところもおおいのですけど「平安座」という名前はこの頃からあったわけです。

 勝連半島の根元には「具志河間切」という言葉も見えます、具志川(河)という名前はこの頃から定着していたわけです。

 今の那覇市あたりはかなり広い湖状態だったこともわかります。
 海と繋がっているので、海水が入り込んでいたのでしょう。
 海の魚もとれたのだと思います。

   
 みなさんも自分で開いていろいろ眺めてみませんか。

 ⇨ https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0301000000/0000000232/00

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今年最後の満月の夜 気持ちよく歩く! @たのしい環境教育

 たのしい環境教育が、今の困難な環境状況を突破するカギです。身体に火がついて皆が火傷しながら動き出す時には完全に〈 point of no return /ポイント・ノー・リターン〉、もはや元にもどれない状況 でしょう。

 たのしい環境教育のプログラムはとてもたくさんあります、シンプルなものが、このサイトでもよく紹介している 野山さんぽ です。

 歩くことは環境保護につながります。
 何しろガソリンを使わない。
 その上、排気ガスを出さない。
 家にいる時のようにエアコンも使わない、テレビもつけない。
 もちろんスマホのスイッチは入っているけれど、それは家にいても同じ。
 汗を書いて洗濯もするけれど、増えても0.1~0.2くらいでしょう。
 健康になることで、それを治すために使われる電気や薬、労力なども削減できます。
 さらに自然が好きになることで、植物を大切にするようになります。
 もちろん環境が悪くなっていくことを敏感に感じて、何とかしようという気持ちが高まる人も出てくるでしょう。
 まだまだあります。

 さて昨日のこと、今年最後の満月の夜、とてもたのしく歩きました。
 野山ではなく〈たの研〉から自宅まで。
 ショートでいくと6kmくらいですけど、あえて遠回りして8kmくらいの距離を夜景と月、星空をたのしみながら。

 あいにく雲がたくさん出てきたのですけど、ときおりこうやって隙間から満月が姿をみせてくれます。

 右上に、月の輝きにまけずに輝いている星がありました。
 これだけの光の近くで輝くのは、水金地火木…の〈惑星〉でしょう。

  調べてみたら木星でした。

 夜に歩くことは簡単にはおすすめできませんけど、いつか〈たの研〉で「夜ウォークの楽しみ方ワークショップ」を企画したいと考え始めています。

 寒くなりました、みなさん元気に自然をたのしみましょう!

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