たのしい国語②どうして国によって言葉が違うのか? 楽しい言語学入門

 みなさんは「ねぇねぇお母さん、どうして国によって言葉が違うの?」と聞かれたたら、何と答えるのでしょう。たのしい国語・理科①の続きです。 ※未読の方は一つ前に戻って読み進めてください

 私いっきゅうが子どもの頃、先生に無視されてしまった、その質問を、私自身で丁寧に答えてあげたいと思います。ただし授業中の質問ですから少しの時間を使って、という制限の中で要旨を刻むことにします。時間によって、この骨子のみにするかそこを膨らませるか、私も頭を整理しながら書いてみましょう。

1.動物は進化していく段階で周りの情報を統合的に処理する〈脳〉という場所が形づくられていきました。その〈脳〉は周りの敵や仲間などに意思や感情を伝える(コミュニケートする)ことにも力を発揮していくようになりました。※ウィルスや単細胞生物などはコミュニケートしようという意思はないだろう

2.そのうち〈脳〉がさらに発達していった背骨のある動物たち(脊椎動物)は音声や動作(ジェスチャー)によるコミュニケーションがすすんでいきました。そういう動物の中でもっともそれを発展させたのが、わたしたち人間だった

ウィキペディア「視神経の細胞」

3.人間の音声言語やジェスチャーはとても長い時間をかけて様々な場所にすむ人たちの中で独自に発展していきました、話はここからです。

①まず「地球上のどの場所でも同じ様な言葉が発展するはずだ」という予想は成り立つのか考えてみましょう。カラスは〈カーカー〉と鳴くので、いろいろな場所で人間たちはカラスを指さして「カーカー」という名前で呼ぶようになった可能性はあると思います。調べてみると今でも英語でカラスは「クロー」、韓国語で「カマグィ」イタリア語で「コルヴォ」、ドイツ語:クレーエ、フランス語:コルボー、ポルトガル語:コルヴォ です。そっかヨーロッパ諸国は言葉が影響しあっていると考えられますね、遠く離れて南アフリカ共和国での呼び方を調べましょう、南アフリカ共和国(アフリカーンス語):Kraai(クラーイ)です ※ChatGPTサーチ
 どちらも偶然とは思えないほど〈か行〉に偏っています、鳴き方から名付けられたという私の予想は間違いではないと思います。興味のある方は大学の卒論で取り上げてみてはどうでしょう

②では太陽を名付ける時、どの地域の国々でも似たような呼び方をするでしょうか? 日本では〈タイヨウ/お天道様〉、英語では〈サン〉、ズールー語:iLanga(イランガ)です、違いますね。
 そもそも各地で同じだというのが不自然なのだと思います。

 こどもの頃、私いっきゅうが「先生、どうして国によって言葉が違うんですか?」と尋ねたその問いに「いっきゅうくん、この広い地球にはいろいろな国があって、どこでも〈太陽〉が見えるよね。そのほとんどの国々でどこでも〈太陽〉と呼ぶのがあたりまえなのかな? まず自分でそのことを考えて、先生にその答えを話してくれませんか」と答えた方がよさそうな気がしてきました。

 みなさんはどう思いますか?

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たのしい国語⇨たのしい理科⇨たのしい国語① 教師・親は全部の質問に答えられなくてよいけれどその質問を無視するのはよくないという話

 嘉門達夫さんの唄を聞くと爆笑していまう上に、この人は言葉のセンスは天才的だと感じてしまいます。

 この間YouTubeで流れていた

悪いことをする時に〈悪い事に手を染める〉というやろ~、けど、その人がもう二度と悪い事をしません、という時に〈足を洗う〉というじゃろ~、手を染めたんなら手を洗え!

というフレーズに大爆笑してしまった。

全く同感!

 ただし〈悪いことに足を突っ込む〉という言葉があるわけだから、足を洗うのはおかしくない。天才嘉門達夫はあえて無視したわけだ。こういう技はA.I.には不可能だろう。

 ということで今回は〈国語〉をテーマに少し書いてみたいと思います。

 授業中、本気で知りたいことを質問した時、ほぼ答えてもらえなかったことをたくさん覚えています。

 小学校の頃は「聞こえてないのかな」と何度か手を挙げて質問するのだけど、中学になって、やさしい理科の先生のちょうど天体の授業中、タイミングをみて

「先生、天体望遠鏡を買ったので、星を拡大して見ていたら、真ん中に黒い物体が見えたんだけど、高倍率の天体望遠鏡なら星の〈核〉まで見えるんですか?」

と質問したことがあります。子どもの頃から天体が好きで、かなり高倍率で口径の大きい反射式の望遠鏡をもっていて、調整するとどの星も真ん中に黒いボヤ~とした部分が見えるのが不思議で、この先生なら答えてくれそうだと思ったのでしょう。

 先生は「え?」といったまま、「じゃあ、みんな~」と別な話をしてしまう。
タイミングをみてもう一度質問すると、目をきょろきょろ動かして、また別な話をしてしまった。

 はじめは何が起こっているのかわからなかったのだけど、先生も知らなくて答えられないので、誤魔化したのだとわかった。

 知らないことは知らないと言っていいのにね。

〈先生は何でもしっかり答えられるようでなくてはいけない〉と考える超優等生の先生だったのでしょう。

 その後、先生に頼らず自力で学んでいったので、それは結果的にマイナスにはなりませんでした。

 今の私なら「いいえ、核まで見ることができる天体望遠鏡はありませんよ。もしも水のような透明の液体でできている星があれば可能性が出てくるけれど、〈核〉があるとするとそこは超高温で高密度だから、周りで液体が存在することは考えられません。つまり今の技術で天体の核を外から観測するのは無理ですね。きっとキミのピントの合わせ方がうまくいってないのだと思う。
 太陽系の惑星ならピントを合わせやすいのだけど、遠くの天体はピントを合わせるが難しいから、今度先生と練習してみよう」

と言ってあげると思います。
こんなに天体に興味をもっている子の好奇心をそのままにしておくのはもったいなさすぎるから。

 ということで前置きが長くなってしまいました。

 私が先生に質問して答えてもらえなかった一つが

「先生、どうして国によって言葉が違うんですか?」

という質問です。

 小学校でも中学校でも似た質問をして、どっちも軽くいなされてしまいました。

 私にとって、とても不思議で知りたいことでした。

 本論はここからです。

 皆さんは、子どもからそう質問されたら何と答えますか?

つづきは数回後に書かせていただきます。

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「楽しさだけを強調してはいけない」という意見にどう答えますか?/メルマガで反響の大きかった記事から

みなさんはこの疑問に何と答えるでしょう?
「〈たのしい、たのしい〉というけれど、エジソンだって1%の霊感と99%の汗を流して研究したといいます。いろいろ話を聞くと〈創造性〉というものがあった人でも非常に汗をかき苦しんでいるのですから〈たのしさだけ〉を主張してはいけないのではないか」
 たのしさだけでなく、耐え忍んで、がんばって勉強することも大切である、というわけです。

 「楽しさだけを強調してはいけない」という意見にどう答えますか?

 このことを正面から否定できる人はほとんどいない気がいます。
 どうでしょう、みなさんならどう答えるでしょう、少し考えてみませんか。

あなたの考え⬇︎

 板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表・日本科学史学会 元会長)が「板倉式発想法講座1994.05.06」でこういう話をしてくれています。
 要旨の部分を書き抜きましょう。

板倉

 4月22日(1994)に国立教育研究所で「授業はたのしいだけでいいか」というテーマで所内講演会がありました。

 私が想像した以上に、たのしい授業に対する批判は出ませんでしたが、普通ではあまり聞かない質問や意見が2~3ありました。
 その一つが「〈たのしい、たのしい〉というけれど、エジソンだって1%の霊感と99%の汗を流して研究したではないか。いろいろ話を聞くと〈創造牲〉というものがあった人でも非常に汗をかき苦しんでいるのだから、たのしさだけを主張してはいけないのではないか」という意見でした。
 これまで学校の先生に「たのしい授業」の話をすると、不思議なことにこういった議論は全然出なかったんですね。
 こういった意見は「やっぱり耐え忍ぶ能力が必要なんだ」ということなんでしょう。

 でもこの意見には簡単に答えられるんです。
 エジソンは〈楽しいから汗をかいた〉んです。
 イヤだからやったんじゃないです、自分の霊感が閃いて成功するに決まってると思ったから汗をかいたんです。
 成功しないだろうと思いながら耐え忍んでがんばったんじゃないんです。

 私が仮説実験授業を始めるときに掲げた大きなスローガンは〈先生方ををできるだけ楽にさせて成果をあげる〉ということでした。
〈先生方の労働時間を滅らして、できるだ楽に授業ができるようにしてあげよう〉と考えたのです。

 ところが仮説実験授業を始めたとたんに勤勉になってしまいました。
 それでわたしは「勤勉になったら勤勉であってもいいんですよ。何も勤勉にならないのが大事なのではなく、勤勉になりたくなってしまったら勤勉になればいいんです。勤勉さを恥じらう必要はありません」という文章を書いたことがありました。

 普通は勤勉にやったって成果があがらないということがわかってるから、いや成果があがったという感じがしないからやらないんです。
 ところが勤勉な人はみんな成果が見えてしまう、成果が見えちゃうと勤勉にならざるを得ない。

 勤勉になるためには〈たのしさ〉がなかったらむりなんです。
 たのしくなって勤勉になる、そして成果が見える。
 イヤな気持ちでがんばったってできません。
 いや、そもそもがんばれないんです。
 勤勉というものは努力するものではなくて、結果が見えるから努力をしたくなってしまうものなのです。

 その点、日本の教育は明治以来ずっとまちがっていました。

「たのしいからやるのだ。結果が見えるからするのだ」ということがわからないで「努力しなさい、努力することが最も大切なんだ」と言い続けてきたんです。

今日の記事はどうだったでしょう、ご意見ご感想をお待ちしています。

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ミヒャエル・エンデ『モモ』に還って『モモ』を超える/Delightfulな世界-たのしい教育の発想法/今年もお世話になりました

 エンデさんの『モモ』を読んだことがあるでしょうか、サスペンス系のメルヘンで、おすすめです。以前いくつか『モモ』について書いた記憶があります。※このサイトの検索窓(パソコン仕様なら左、スマホ仕様なら最下部の〈サブコンテンツ〉から)に『エンデ』と打つと出てくると思います

『モモ』は時間泥棒たちから、本来の人間らしい時間を取り戻す物語です、はらはらドキドキしながら読み進めるうちに、自分の人生を想う人たちもたくさんいるでしょう。

 仕事仕事で明け暮れる日々、休みの日でさえ〈次の仕事〉のための元気をとりもどすために使う、そういう人たちは多いのではないでしょうか?

『モモ』に出てくる〈灰色の男たち〉は「働け働け、働くほど未来が豊かになるぞ、今は苦しくても働けば楽な日々がやってくるぞ」と語りかけ、人々からゆとりの時間をどんどんうばっていきます。
 灰色の男たちと契約した人々は、友人たちとゆっくりおしゃべりする時間さえ惜しんで仕事に没頭していきます・・・

 今の社会はそうなっていないでしょうか?

 エンデが描いた〈灰色の男たち〉は、現実にこの世界のどこかに住んでいて、人々を仕事漬けにして、それによって自分たちは働かず大きな利益を手にしている誰かたちではないでしょうか。

 エンデは実際、それを意図してこの小説を書いたに違いないでしょう。

岩波書店に感謝して参照

 残念ながら仕事に明け暮れなければ食べていけない、子どもを学校に通わせることができない人たちもいます。
 人間は基本的に〈健康で文化的な生活〉をする権利があります、社会的なシステムとしての支援が必要です。
〈たの研/たのしい教育研究所〉もひとり親世帯など、子どもの教育に力を注ぐゆとりが少ない方たちへ〈楽しさと賢こさで未来を拓く〉という支援をしています、関心のある方はお問い合わせください。

 自分の生活時間の多くを使って働かざるを得ないのではなく、大人たちは子どもたちと語るゆとりや遊びにいく時間をみつけられることが本来の暮らしです。
 そうやって健康的に文化的に生きていくことを奪っているのも、人々に利益を還元しないで私腹を肥やす〈灰色の男たち〉がいるとみることもできるでしょう。

 さてそうやって、まず人々にゆとりが戻ってくればうまくいくか?

 それは一つの過程だというのが、私いっきゅうの考えです、人間はやはり〈やりがい〉のあることをして生きていきたいものです。

 人々がイメージする、いわゆる天国の様な世界、静かで特に何も起こらない、優しい風が吹いて、飢えることもなく、仕事にいくこともない・・・
 そういう世界が続いたらきっと「自分はもっとワクワクハラハラドキドキすることをしたい」とか「この静かな天国をもっとたのしいところにしたい」と考える人たちがでることでしょう。

 健康で文化的な生活が来たら、たのしくワクワクする様な生活をしたい、それが人間だろうと考えています。

 エンデが『モモ』で描いた世界、その次の世界が〈たのしさの世界〉です。

 〈たの研/たのしい教育研究所〉の英語表記は

Research Institute of Delightful Education

です。

Research Institute は研究所を表す言葉で、Educationは 教育 です。

たのしい教育の〈たのしい〉は fun とか enjoyable ではなく Delightful です。
light(ライト)という言葉が入っていますね、〈周りを明るく照らす、新しい世界を開かせるたのしさ〉というイメージの言葉です、語尾の ful(フル)は「~に満ちた」という意味です。
 つまり〈楽しさに満ちた・明るさに満ちた〉世界を切り開く教育をすすめているのが〈たのしい教育研究所〉です。その教育そのものが楽しさと明るさに満ちています。

 『モモ』が灰色の男たちから取り戻そうとした世界のその次は、Delightful な世界でしょう。
 そういう世界がくるためにも教育は必要不可欠なものです。

 2023年も終わりが近づきました。

 今年も本当にお世話になりました。
 来年も日々の〈購読応援〉よろしくお願いいたします。みなさんのおかげで何年来もの夢〈アクセス数1000件突破〉を達成できたのがこの年です、心から感謝しています。

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