映画が好きになるまで、英語はとても苦手で避けてきました。
その最も大きな理由は、中学の頃の「画一的な英語の授業」と「できる子、正解した子だけほめて伸ばす」というスタイルによるのだと思います。
その経験は、私の奥の方で、たのしい教育を目指す貴重なきっかけにもなっていると思います。
中学校で英語を学ぶと、基本的な単語をいろいろ学んでいきます。
たとえば、次の7つの単語の意味を学んだとします。
🟢I 私は(が)
🟢 see 見る
🟢 the その
🟢 man 男
🟢 with 一緒に
🟢 a 一つの
🟢 telescope 望遠鏡
ちょうどその単語でできた英文が出てきました、「よ~し、この単語が出てくる英文なら理解できるぞ」と考える。
では、挑戦してみましょう。
I see the man with a telescope.
〈私は 見る その男 一緒に 一つの望遠鏡〉と並びますから、「あっ、わかったぞ」⇨「私は望遠鏡を持っている男を見ている」だ。
正しい訳し方です。
でも違う訳し方もあるんですよ、「私は望遠鏡で、その男の人を見ている」です。
with telescope が男の人と一緒なのか、私と一緒なのか、両方の可能性があるので、この文章だけでは、どちらが正しいのか判断できないんです。
つまり単語の意味がわかれば訳せるのかというと、そうカンタンにいかないこともあるんです。
これを「構文を覚えなさい」というように、丸覚えで理解させようとする先生たちもいます、リサーチしてきた経験上、その人たちの方がおおいでしょう。「英単語を覚えなさい」というからがんばって覚えたのに、それが終わったら今度は構文を覚えなさい、って・・・
いつまで覚えなさいが続くのでしょうか。
そうではなく
英語を使う人たちはねぇ、 I see the man with a telescope. という文章を読むと「え、どっちが望遠鏡もっているの?」 って考えるんだって、不思議だねぇ。
というように、感覚的なもので授業していきたい。
では質問、日本語の文章なら二つの意味になるようなことはおこらないのでしょうか?
少し考えてみてください。
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「わたしは はだしで 走っている 男を おいかけた」はどうでしょう?
全員が一つの意味で理解するでしょうか?
二つの意味になりませんか?
a)わたしは〈はだしで走っている男〉をおいかけた。
b)わたしははだしで〈走っている男〉をおいかけた。
はだしなのが私かもしれない、走っている男かもしれない、どちらにもとれるんです。
二つの意味に訳すことができる、というのは英語だけではありません。
言葉というのは、算数・数学の計算式のようにはできていないからです。
そういうあいまいさは不完全でダメなことだと考える人も多いかもしれません。けれど、そうでもないんですよ。
言葉がいろいろな方向に可能性を伸ばしていくことにもつながるからです。いわゆる〈若者言葉〉といわれている独自の言葉の使い方も取り入れることができます。もしかすると、日本語と韓国語がいくつかの部分で融合して、どちらの国の人たちも理解できる文章スタイルができてくるかもしれません。
話が広がってしまいました。
覚えなさい型の授業を変革して、まず心動かされるような授業をする。心を動かされたら、単純作業による記憶より遥かに強く脳の中に刻まれるでしょう。
テレビから流れるミステリー番組をみても、大抵の場合、時間が経過するうちに誰が犯人だったか忘れてしまうかもしれないけれど、「その列車にいた人たち全員が犯人だった」という有名なミステリー小説の驚きは一生忘れないでしょう。
記憶は必要ない、ということはありません。
大切です。
けれど、たのしい教育は、まず子どもたちの心をどうゆさぶる、それが優先です。
なかなか「たのしい英語プログラム」としてまとまったものを出すゆとりはできていないのですけど、早くまとめたいプログラムの一つです。
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