たのしい授業@夏至の日の昼夜の長さは地域が違ってもほぼ同じ?(3)

 夏至の日の話、3回目です、未読の方は二つ前に戻ってお読みください。一緒に予想を立てながらたのしく学びましょう。夏至の日の日照時間の差は、国内どこでもほぼ同じなのか、という問題です。

 今回は時間の引き算が出てくるので、難しい感じがする人もいると思います。計算自体は気にせず、その結果をみておくだけで、内容が理解できるように書きますから、ご心配なく。計算はA.I.にやってもらったので、完璧ではありません、気になるところがあったらお知らせください

 2023年の日の出、日の入りのデータがありますから、これを元に計算してみましょう⇨ https://yomuno.jp/posts/71527   注)前回のデータは2024の沖縄の夏至の日のデータです、少し数値の差がでているのはそのせいです

地域

日の出時間

日の入時間

札幌

03:54:13

19:18:31

青森

04:04:55

19:12:18

東京

04:24:43

19:00:33

福岡

05:08:14

19:32:07

那覇

05:36:31

19:25:30

A.I.に一覧表を提示して計算してもらいましょう、私はChatGPTの無料版を利用しています。※有料版はなぜか反応が遅すぎて解約しました。改善されたらまた加入しようと思っているのですけど、無料版でも今のところ困りません。逆にスピードが早くなった感じがしています、気のせいかな

わたし
次のデータから、昼と夜の時間の長さの差を計算してください。

地域 日の出時間  日の入時間
札幌 03:54:13  19:18:31
青森 04:04:55  19:12:18
東京 04:24:43  19:00:33
福岡 05:08:14  19:32:07
那覇 05:36:31  19:25:30

 

ChatGPT
データから、昼と夜の時間の長さの差を計算します:

  1. 日の出と日の入りの時間から昼の時間を計算します。
  2. 夜の時間は24時間から昼の時間を引きます。
  3. 昼の時間と夜の時間の差を計算します。

昼の時間の計算方法

昼の時間 = 日の入りの時間 – 日の出の時間

夜の時間 = 24時間 – 昼の時間

昼と夜の時間の長さの差 = 昼の時間 – 夜の時間

札幌

  • 日の出:03:54:13

  • 日の入り:19:18:31

  • 昼の時間:19:18:31 – 03:54:13 = 15時間24分18秒

  • 夜の時間:24時間 – 15時間24分18秒 = 8時間35分42秒

  • 昼と夜の長さの違い:15時間24分18秒 – 8時間35分42秒 = 6時間48分36秒

青森

  • 日の出:04:04:55

  • 日の入り:19:12:18

  • 昼の時間:19:12:18 – 04:04:55 = 15時間7分23秒

  • 夜の時間:24時間 – 15時間7分23秒 = 8時間52分37秒

  • 昼と夜の長さの違い:15時間7分23秒 – 8時間52分37秒 = 6時間14分46秒

東京

  • 日の出:04:24:43

  • 日の入り:19:00:33

  • 昼の時間:19:00:33 – 04:24:43 = 14時間35分50秒

  • 夜の時間:24時間 – 14時間35分50秒 = 9時間24分10秒

  • 昼と夜の長さの違い:14時間35分50秒 – 9時間24分10秒 = 5時間11分40秒

福岡

  • 日の出:05:08:14

  • 日の入り:19:32:07

  • 昼の時間:19:32:07 – 05:08:14 = 14時間23分53秒

  • 夜の時間:24時間 – 14時間23分53秒 = 9時間36分7秒

  • 昼と夜の長さの違い:14時間23分53秒 – 9時間36分7秒 = 4時間47分46秒

那覇

  • 日の出:05:36:31

  • 日の入り:19:25:30

  • 昼の時間:19:25:30 – 05:36:31 = 13時間48分59秒

  • 夜の時間:24時間 – 13時間48分59秒 = 10時間11分1秒

  • 昼と夜の長さの違い:13時間48分59秒 – 10時間11分1秒 = 3時間37分58秒

 

以上の計算結果をまとめると以下の通りです:

 

地域 昼の時間 夜の時間 昼と夜の長さの違い
札幌 15時間24分18秒 8時間35分42秒 6時間48分36秒
青森 15時間7分23秒 8時間52分37秒 6時間14分46秒
東京 14時間35分50秒 9時間24分10秒 5時間11分40秒
福岡 14時間23分53秒 9時間36分7秒 4時間47分46秒
那覇 13時間48分59秒 10時間11分1秒 3時間37分58秒

これにより、各地域の昼と夜の長さの違いが計算されました

 どうでしょう。

 沖縄で3時間半くらい、北海道札幌で、6時間50分くらい。

 二倍近くの差があることがわかります。

 北海道は昼が短く夜が長いというイメージがあります。

 でも夏至の日は昼が沖縄より二時間弱、長くなっています。

 そうなのか~、そうだったのか~。

 何年経っても何十年経っても、真理に行き着くことはたのしくてなりません。

 あの頃の子どもたちに集まってもらって、また授業したいなぁ。

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たのしい授業「二十四節気:夏至」(1)@楽しい授業@楽しく島言葉

 最も昼が長い日が夏至の日、この記事は今年の夏至の日=2024年6月21日(金)に書いています。

 夏至の日は太陽が最も高い位置に来る日、そして太陽が姿を見せている時間(昼時間)が一年で最も長い日です。この〈太陽が高い位置〉という表現は、子どもたちがうまくイメージできない言葉の一つです、そのことを詳しく書きたいのですけど、サイトのボリームの関係で、今回は先に進みます。

 夏至を島言葉・琉球言葉で「カーチー」と呼んでいます、この「カー」は春夏秋冬の〈夏:か〉から来ているのかもしれません、ご存知の方はご教示ください。

 夏至と真逆、、夜時間が最も長くなる日を「冬至」といいます。太陽が姿を見せている時間が最も短くなる時間です。
 琉球・沖縄の島言葉では「とぅんじー」といって、沖縄の伝統的な食事「じゅ~し~:沖縄風炊き込みご飯」を食べる慣わしがあります。けっこう美味しいですよ。

 地球創生の歴史をみても、そして科学的に研究をすすめても、動物・植物にとって生命維持のよりどころといえるのが「太陽」だというのは間違いないでしょう。
 明日からは太陽がのぼりません、となったら、植物たちが枯れていき、その進行と同じように動物たちの命が失われていきます。しだいに氷の世界になって、菌類たちも滅びていくでしょう。

 沖縄のように、それほど寒くならない地域に住んでいる人たちはそれほど感じていませんし、さらに日差しの強い国々、たとえばイスラム地域、砂漠地方の人々は、太陽より月をありがたく感じてして、国旗にも月のマークを入れています。

 けれど寒い地方では、太陽が上らないと大変です。

 一年で最も大切な日は〈冬至〉つまり「さぁ、これから太陽の日差しが少しずつ長くなっていくぞ」という日でした。

 古代北欧では、冬至の頃に「ユール」という祝祭が行わてたくさんの人たちの大切なお祝いの日でした。その日は太陽の力が最も弱まる日です、つまりこの日を境に太陽の力が復活していくわけです。「太陽復活祭」というお祝いです。
 キリスト教普及の戦略としてイエス・キリストが生まれた日をユール(太陽復活祭・ユール)の日に重ねて庶民にお祝いを広めたのがクリスマスです。

 地球が傾いた状態で太陽の周りを回っているので、私たちの祖先は経験則で、陽の光(熱)のあたり具合を次の四つにわけて大切に伝えてきました。

冬至:北半球では、1年のうち、昼の時間が最も短くなる日
春分:夏にむけて昼と夜の時間の長さがほぼ同じになる日
夏至:北半球では、1年のうち、昼の時間が最も長くなる日
秋分:冬に向けて昼と夜の時間の長さがほぼ同じになる日

 はじめに書きたいことに行きつくまで、けっこう時間がかかりました。
 ここで問題です。

問題1
 今みてきたように、夏至の日は昼が一年で一番長い日、夜が一番短い日です。
 では、どれくらい昼が長いのでしよう。

 何なに「そんなの調べてみたらすぐわかるよ!」ですか。
 いやいやそれはとてももったいない、推理小説の犯人を調べてから続きを読み続けるようなものです。
「え~、あいつだったのかぁ!」
「さすが、わたしの推理は正しかった!」
という感動が激減します。
間違うことは恥ずかしいことではありません、間違ってもたのしく賢くなる、当たってももちろんたのしく賢くなる、それがたのしい教育です。
 さぁ、まず予想を立ててみてください。

 1日は24時間ですから、昼夜の長さがほぼ同じになる〈春分〉〈秋分〉の日は、昼と夜がほぼ12時間ずつです。

 では夏至の日、昼時間が一年で最も長い日はどれくらい昼夜の差があるのでしょう、予想してみてください。
 〈たの研/たのしい教育研究所〉は琉球・沖縄にありますから、沖縄の場合で考えてみましょう。

選択肢
 昼は夜より
 ア.数分長い

 イ.30分くらい長い

 ウ.一時間くらい長い

 エ.2~3時間長い

 オ.その他

 

どうしてそう予想しましたか?
あなたの考えを聞かせてくだささい。

 もう一つ問題を考えてみてください。

問題2

夏至の昼と夜の長さの違いは、日本中どこでもほぼおなじくらいの差でしょうか?

たとえば沖縄では昼と夜の長さは二時間違っているけれど、北海道ではその差は一時間、というようなことがあるでしょうか。

予想

 ア.日本中、その差はほぼ同じ

 イ.場所によって違う
  a)南に行くほど差が広がる
  b)北に行くほど差が広がる

 ウ.その他

 

どうしてそう予想しましたか?
あなたの考えを聞かせてくだささい。

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楽しい教育の発想法@板倉聖宣「この教育の曲がり角は、いつからの曲がり角なのか?」月刊『たのしい授業』②

 前回からの続き

はじめての大きな曲がり角
この問題を解くカギは、曲がり角といわれるものが「いつからの〈曲がり角〉なのか」というところにあるように思います。

の後の話です。

 今から40年くらい前、「月刊たのしい授業」が創刊された当時の内容からです。

 今も発行されています、興味のある方は手にしてみませんか⇨ https://amzn.to/4cmHpH0https://amzn.to/4epAXkm

はじめての大きな曲がり角
 この問題を解くカギは、曲がり角といわれるものが「いつからの〈曲がり角〉なのか」というところにあるように思います。

 組合の集会などでは「敗戦後最初の大きな曲がり角である」というようなことがよくいわれるようですが、私の意見は違います。
 私も「曲がり角」であることは認めますが、それは「明治以来、日本で近代的な学校教育が始まって以来の最初の大きな曲がり角だ」と考えているのです。
 敗戦のとき〈天皇制教育がなくなった〉とか〈民主教育が始まった〉とかして、かなり曲がったともいえますが、私は「大きく曲がろうとしたが、結局曲がらなかった」と思うのです。
 明治末から大正期にだって〈自由教育〉というのが起こって変わったといえば変わったのですが、これも敗戦後の曲がり方と同じような意味で、変わり方が小さいのです。現在の曲がり角は、明治初期の大転換に匹敵するものだと思うのです。
 明治の初めには「欧米の先進文化を全面的に学びとる」という方針で、大転換が行なわれました。民主主義も学んだし、専制主義も学んだんです。これは外国にも例を見ないほど徹底したもので、そのパターンは以後ずっと続いてきました。
 そのための弊害も生じましたが「知識が大衆のものになった」ということはハッキリしています。
 知識人だけが学ぶならドイツ語でもフランス語でも英語でも学べるんですが、「全面的に学ぶ」というときには大衆が学べるようにしなければならないし、そうしてきたわけです。
 たとえば東南アジアの人が日本に留学して日本の大学の研究室にならんでいる本を見てまず驚くのは「これ、みんな日本語の本ですか」ということです。
 東南アジアの国々で少し専門的な勉強をしようと思ったら、みんな英語かなんかの本を読まなければならない。知識人と大衆が分離しているのです。
 日本の知識人というのは外国の本も読むでしょうが、たいてい翻訳されてますから日本語で読めるんです。
 今翻訳されていなくても、いい本なら、ちょっと待ってれば日本語に訳されて出ます。
 それは大衆も読もうと思えば読めるのですから、大衆と知識人といっても連続的です。
 これは明治の、一種の理想主義の成果だと思います。
 ただ、これほど急速にその成果をあげられたのは「いいものは外国にある」「外国のいいものを学べば「いいのだ」という徹底した考え方があったからでです。
 それは大正期の自由教育の時代にも変わらなかったし、敗戦後の教育改革でも変わりませんでした。

 ところがしばらく前から、とうとう日本が外国に追いついてきちゃって、どこを見まわしても「全面的に学べばよい」というような対象がなくななってきました。
 昔は、人によって理想の国がちがってましたから、イギリスなりフランス、アメリカ、ソ連、スイス、スウェーデン、西独、中国、など、いろいろな「理想の国」がありました。ところがいまはどこを見ても、部分的にはともかく、「全面的に学ばなければならない」というものがなくなってきているでしょう。
「あっちの方がいいに決まってる」ということがなくなったのです。
 これまでは、その時代の若い人たちはいつも「すでにある社会、文化、生産というものを超えたもの」を、単なる夢ではなく、どこかの国で実現されているものを日本に移し植えようとしてがんばってきたんです。
「それを学びとれば、必ず日本の社会がよくなる」という明るい展望がもてました。
 そうすることで確実に「自分のやっていることが日本のみんなの役に立つ」と考えることができたんです。

 日本が外国に追いついて、それができなくなったらどうなるか?
 年輩の人たちは「過去いつでもどこかに目標とするものがあったのだから、今でもどこか外にあるのじゃないか」という気でいますが、若い人たちはむしろ敏感に情況を感じとっているのではないかと思います。
 小学生はともかく、中学、高校生になれば、なんとなく「自分は将来どういうことをするのだ」ということを考えるでしょう、そういうことを考えはじめる時期ですね。
 ところが、かつてのおとなたちのような模範がない、ということに気づくわけです。
 それにもかかわらず、おとなたちは相変わらずの価値観を押しつけようとしたり守ろうとしている。
 「子どもの反乱」といわれるものの背景には、こういう情況があるのだと思います。

 

手さぐりで切り拓く時代
 子どもたちが学ぶことを拒否するようなことは、これまでの価値観からすれば悲しむべきことのようでもありますが、しかし日本人が「これまではなぜ学んできたのか」というと「外国に追いつこう」として学んできたのです。
 だから、これまでのような学び方では、これからはダメなんです、学ぶべきお手本がないのですから。
 では、どうしたらいいか?

 ここまでにしておきましょう。

 みなさんなら「これまでのような学び方では、これからはダメなんです、学ぶべきお手本がないのですから・・・」の後になんと続けるでしょう、考えてみませんか?

 その答えは、このサイトにたくさんちらばめられています。

 興味のある方は、さかのぼって読んでみてください。

 

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楽しい教育の発想法@板倉聖宣「この教育の曲がり角は、いつからの曲がり角なのか?」月刊たのしい授業から①

 今からほぼ40年前、板倉聖宣が「せっかく正月なんだらか〈十年先、百年先のこと〉を考えてみよう」と書き始めた話があります。
 長い歴史の流れの中で今の教育を眺めるという意味で、今でも全く古い内容ではありません。
 1984年1月の「月刊たのしい授業」からです。

 今でも古くない話だと思います。それはつまり、日本の教育があいかわらず同じ問題・課題を抱えたままだということ、あるいはその問題・課題がどんどん膨らんでいるということなのでしょう。

 ものの見方・考え方はあまり必要ない、「ノウハウ」を知りたいんだと考える人がいたとしたらもったいないことです。実践力に〈理論〉が加われば、未知の状況へ対応する力も高まるからです。
 読んでみてください。前半部を校正し「楽しい教育の発想方@板倉聖宣「この教育の曲がり角は、いつからの曲がり角なのか?」と題して二回に分けて紹介します。

 個人的な話を加えさせてください、板倉先生のこの話の3ヶ月後、私は自然豊かな小学校に採用されることになりました、個人的にもエポックとなる年です。

追記:『月刊たのしい授業誌』は私が座右にしていた頃とだいぶ違ってきたようですけど、刊行は続いています。興味のある方は手にしてみてください https://amzn.to/4epAXkm

板倉聖宣 1984.1
 1年にいっぺんぐらいは、十年先、百年先のことなども考えてみるといいのではないかと思います。そんな大風呂敷はふだん考えてもしょうがないのですが、せっかく正月というのがあるのですから少しのんびりと考えていただけるといいと思うのです。
「新年だとかなんだとか、そういう行事にとらわれるのはけしからん」という意見もありますが、私は「行事も行動のキッカケとして大いに活用すればよい」と考えているわけです。

 

曲がり角のむこうは……
 最近いろんな所によばれてお話することが多いのですが、そこに集まる人たちの多くが、教育の未来をきわめて暗いものとしてイメージしているように思われます。
 500人とか1000人といった幅広い人たちの集まる集会にもよばれたりするのですが、そういう所の主催者のあいさつなどを聞いていても「教育は今、重大な曲がり角にきている」と考えられていること、そして「曲がったその先は暗い」という感じをいだいていることがわかります。
 みんなが未来を暗いものとしてしか考えられない時に『たのしい授業』なんていう雑誌を出したりするのは馬鹿みたいに思われたりもするでしょうが、しかし「こんな時だからこそ少しは明るい話を聞きたい」という期待もあって、私なんかがよばれるのかもしれません。
 そのせいか「これからの教育」といった題を、しばしば与えられます。
「教育が大きな曲がり角を曲がろうとしている」あるいは「すでに曲がったのかもしれない」ということは、はっきりとではなくとも多くの人が感じていると思います。私もそう思います。しかし多くの人は、「曲がった先が見えない」ということで大きな不安をいだいているように思われます。自分たちが曲がるという心配よりも「子どもたちが曲がらされる」という心配ですね。
 年配の先生たちは「戦後、自分たちが築いてきた民主教育というものが崩されてゆくのではないか」という不安、また若い人も意欲的な人たちは、民主主義の流れを守ろうという気持ちから、同じような不安をもっています。
 そして、現在の不安が深刻なのは〈これまでのような論法では未来を明るく展望することができない〉というところです。いろいろな問題に対して「政治の中枢が悪いのだ。社会全体に問題があるのだ。これらから子どもたちを守るのは、大変だけれどもそれは可能だ。がんばろう」ということで、かろうじて未来に明るさを見出してきました。
 そういう先生も親も「自分たちこそ本当に子どもたちの立場に立っていいことをしてきた」という誇りをもってきたんです。
 ところが最近の情況はちょっと違ってきました。
 子どもたちは、政治や社会に対しての抵抗もあるわけですが、もっと直接的に学校とか先生や親に対して抵抗を示すようになってきた。それが校内暴力とか家庭内暴力とかいわれるものです。
 今まで「いいことをしてきた」と思っていた人々にとって、この問題はショックです。
「それもやっぱり政治や社会のせいだろう」といってもまじめに考えればそれだけではすまない問題だということがわかりますから、それで自信をうしなってしまう人が沢山いるわけです。「どうしていいかわからない」ということになれば、曲がり角の先は一層モヤモヤして、暗いものにならざるを得ないわけです。

 

はじめての大きな曲がり角
 この問題を解くカギは、曲がり角といわれるものが「いつからの〈曲がり角〉なのか」というところにあるように思います。

次回に続く

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