どきどきコップタワー、どこでも笑顔いっぱい『あきさみよ~』

 〈たの研〉の総会は笑顔に溢れています。
 そこではミムラ&さくら先生が工夫開発した新作ゲームが披露されるのが定番になっていて、みんなの声がひときわ大きく響きます。

 今回は、今年二月の講座『OPTIONS/オプションズ』で披露した《どきどきコップタワー》の様子です。

 崩れる時はみんなでいっせいに『あきさみよ~/琉球沖縄方言〈たいへんだぁ~〉』と声を出すので、さらに笑い声が大きくなります。崩す人も気が楽です!

 電子出版もまだまだビギナーながら、スピードがアップしてきています。
 月一本ずつ出版しても10年以上かかるくらい、書きたいテーマにあふれているのですけど『たの研版ゲーム読本』も早く出したい一冊です。

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豆腐づくりはとっても簡単①

 シンプル豆腐づくりに凝っています。スーパーでみる四角い豆腐として固める豆腐の普通の姿、沖縄琉球で〈ゆしどうふ〉、大和言葉の〈寄せ豆腐/よせどうふ〉です。

これは「住吉屋」さんの寄せ豆腐

 あまりにも簡単で、とても美味しいので、豆腐屋さんが潰れるのじゃないかと心配になるほどです。

 これも以前書いた「紙作り」と同じで、学校にきてティーチする先生たちや、私が知っている紙づくりに堪能な人の話によると

「かなり複雑な工程を微妙な調整の中で作成して、やっと紙ができるんだ」

ということになのですけど、実は信じられないほど簡単に紙ができることを紹介しました⇩

とっても簡単 和紙(和紙風の紙)づくり@紙づくりはシンプル2工程/とっても楽しい自由研究

楽しい自由研究・面白い自由研究(楽しい環境学習) オリジナルの紙づくり/読者の方から届いたたよりから

 それと同じで、人間が豆腐づくりをはじめた時はとてもシンプルだったものを、専門の豆腐屋さんとか工場などが手掛けてコストや旨みを複雑・微妙な調整が出てきたのでしょう。

 子どもたちに伝えたいのは、そういう複雑難解なものではなく、人間がその過程・工程を発見した時の楽しさ・面白さ、感動です。それが大きかったから、いろいろな人たちにそれを伝えてきた、伝わっていったわけです。

 簡単豆腐づくりを〈たのしい教育メールマガジン〉で紹介したところ、「これは簡単ですね」と、いろいろな人たちが真似てくれました。その元ネタは『月刊たのしい授業』でした。

 紹介しつつも「微妙な温度調整が本当に必要なのか」と気になって、その後、ある方法を試してみました。

 「ニガリと豆乳をまぜたものを火にかける」⇨「沸騰をはじめたら火を止める」

の2工程です。

 できるんです、〈寄せ豆腐・ゆしどうふ〉が。

 私はすでに10回以上作っているのですけど、失敗なしです。

 次回、写真でおとどけしましょう。

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〈授業書@たの研〉たのしいレンズの世界=たの研式けんび鏡= が間もなく出版されます

〈たの研〉の授業書「たのしいレンズの世界=たの研式けんび鏡= の出版準備が整いました。〈たの研〉出版2冊目になります。前回の「たのしい教師生活 していますか? 板倉聖宣に学ぶ たのしい授業入門」ともども、よろしくお願いいたします。

 いろいろな講座で実施してきて受講満足度90%以上の、おすすめのプログラムです。

 学校や家庭で、そのまま使ってたのしむことができます。小学校三年生くらいから大人までを想定して作成されています。わたしの講座には小学校一年生も参加してしていました、丁寧にすすめれば一年生も大満足してくれると思います。

 子どもの居場所、フリースクールなどでもたのしめます。

 レイアウトも中身もシンプルな作りです。
 横版にして、学校の大型モニターなどに映してそのままたのしめるようになっています。


 今は仮説実験授業の授業書は1500円くらいするのですけど、私が仮説実験授業を始めた頃は同じものが800~1000円くらいで手に入りました。「それでクラスのみんながたのしく賢くなるなら安いものだ」と感じたものです。当面880円で販売する予定です。

 ぜひご利用ください。

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文学の力@楽しい国語 辻邦生著「西行花伝」

 教師を辞めたら吉野の桜の頃に訪ねてみたいと思い始めて、いつの間にか10年以上経ってしまいました。
 これから吉野の桜はみごとに咲き乱れるのだろうけれど、訪ねたいのは「如月の望月の頃」です。

願はくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ

武士から出家し、西行と名乗って多くの歌を残した人物が残した歌です。

 如月は太陰暦2月、望月とは満月のことです。太陰暦は月の満ち欠けをもとにした暦(こよみ)で、15日がちょうど満月になるにるように設定されています。
〈如月の望月の頃〉は太陰暦2月15日です。

 新暦では何月何日か?  3月25日ごろです。

 吉野の桜の満開は4月中旬ごろだと言われているので、如月望月というと桜の咲き始めの頃でしょう。もしかすると、西行のいた頃(西暦1100年頃)は暖かさが早くきていた可能性もあるので、かなり桜の花が開いていたかもしれません…

 いずれにしても、まだまだ先のことになりそうです。

 そんな中、以前から読みたかった辻邦生(つじ くにお)著『西行花伝』という本を読んで、その圧倒的な筆力に魅了されています。今は小次郎が読めないようにしていますが。


 作品は西行を師と慕う 藤原秋実が、西行亡き後、語り始めた設定です。

 はじめのところを書き抜きましょう。

# 序の帖   藤原秋実、甲斐国八代荘の騒擾を語る こと、ならびに長楽寺歌会に及ぶ条々

 

 あの人のことを本当に書けるだろうか。あの人――私が長いこと師と呼んできたあの円位上人、西行のことを。

 しばらく前から時雨が檜皮葺きの屋根を鳴らして過ぎてゆく。その幽かな音を聞いていると、そんなことはと ても無理だ、あの人のことなど書けるわけはない、と誰かがつぶやいているような気がする。

 たしかに私にとってあの人―――わが師西行はあまりに大きな存在だった。私はどんなに努力してもあの人に達 することができなかった。それに私たちが生きてきた時代は変転極りない狂乱の日々の連続であった。すべての 人々が、洪水の荒れ狂う波間につかの間に出遇い、つかの間に別れて、二度と遇えない宿命に翻弄されて生きて いた。私はそうした日々、師西行と共にいることだけを願った。願いつづけなければ容易に私たちの絆は絶ち切 られてしまいそうな、そんな切羽詰まった気持で生きていた。私は正直言って自分がどんな人間であるか、わが 師が何を考え何を感じて生きているか、じっくり思いめぐらすことはできなかった。私はただ師のそばで生きる こと、師の歌を浄書し、師のために使い走りをし、師のあとについて歩くことだけで、すでに精いっぱいであっ た。肝心なことは師西行の近くにいていかに生きるかだけであった。

 それだけに師西行に世を去られてからは、私は、師が占めていたひろがりのなかを、まるで無人の伽藍の内部 をほっつき歩くようにただ歩きまわるほかなかったのだ。私はひたすら空虚だった。

 雨につけ風につけ、心を締めつけるあの孤独な寂しさが、胸を鋭い髪でえぐるように疼いたが、それ以上に、師とともに、私が生きていた 生活そのものがそっくり立ち去っているのを感じた。当時私は自分を喪った虚脱者のように京の街を俳徊した。

 どこをどう歩き、どこで何をしていたか、何一つ覚えていなかった。日が照ろうが雨が降ろうが、そんなことは 私にはどうでもよかった。ただ師の持っていたあの温み、重さをもう一度全身で味わい、それが乾鯨に水が滲み るように私のなかに滲みて、心が昔のように蘇ってくるのを、身体のどこかで待ちつづけていた―――もちろん私 ははっきりそう気付いていたわけではないけれど、そうした渇いた願いのなかで、ひたすら生きつづけていたのは事実だった。

 だが、あの桜の散りやまぬ望月の夜から一年たち二年たつうち、私は、無人の伽藍に似たこの空白なひろがり を師西行の重さで満たす以外には、心の渇いた河床に水を流しこむことはできないのだと次第に気づくようにな った。

師西行の重さ――それを私はどこから手に入れるべきだったか。

 こういう文章を読むと、「小説を書きたい」と簡単に言えなくなってしまいます。
 10年くらいは本気で文章の修行をしなくてはいけないかもしれません。

 紙の本としてはすでに廃版になっている作品ですけど、kindleで読むことができます⇨https://amzn.to/4jLYuxY

 

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