はてなマーク(?)の巨大植物/楽しい自由研究

 読者の方から新年のあいさつと一緒におもしろい写真が届きました、巨大な〈はてなマーク〉のような植物です、みなさんは見たことがあるでしょうか。

 心動かされたものごとは、予想を立てて調べてみることです。
 予想を立てずに調べるだけでもいろいろなことを知ることができます、でも予想を立てて調べると、もっとたくさんの発見をすることができます。
 さてこの植物、何の仲間なんでしょう?
🟠木というよりサボテンの仲間じゃないかな・・・
🟠え、木とサボテンって違うのか・・・
🟠サボテンは木じゃなく草の仲間なのか?  というか、サボテンってバラファミリー(科)とかいうようにサボテン科(ファミリー)なんだろうか、もしかするとニックネームかもしれない。
🟠そういえば、そもそも木と草って何が違うんだろう・・・
 知的好奇心がどんどん動かされていきます。
 みなさんは木と草の大きな違いは何だと思いますか?
 大きさでしょうか、硬さでしょうか。

無料素材集に感謝して引用

 予想を立てて調べると、間違っても賢くなります、もちろん当たっても賢くなります、そしてどちらもとてもたのしくなります!
 木と草の違いは大きさか?
 ブルーベリーの木よりずっと大きな草もありますから、そうではないでしょう。

ブルーベリー https://www.homes.co.jp/life/cl-spot/cm-nature/21614/ に感謝

セイタカアワダチソウ https://www.bousou-sheet.com/docs/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%82%A2%E3%83%AF%E3%83%80%E3%83%81%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%BB%E3%82%93%E3%81%A8%E8%83%8C%E3%81%8C%E9%AB%98%E3%81%84/ に感謝

 そうやっているうちに「硬い部分(木質)を多く持つか持たないか」が木と草の大きな違いだと発見するでしょう。
 さて冒頭のハテナの植物はどうでしょう。
 木質中心の硬い木には見えません。
 かといって草の葉のように風にそよぐ感じもありません。
 やっぱりサボテンのような植物なんだろう、と画像検索⇨https://images.google.com/?hl=ja で調べてみると・・・

 アガベ・ア.ナータ(Agave attenuata)という植物でした。
 アガベは〈リュウゼツラン〉と呼ばれている植物です、なるほどそれでデカいんだ。
 100年に一度咲く花だと書いてあるサイトもあります、ほんとかなぁ。
 調べてみると「二、三十年に一度咲く」とありました、かなり貴重な花です。しかも一度咲くと母株は枯れるとあります、この花が咲いたら寿命を終えるわけです。

琉球新報社に感謝して引用

 さて、リュウゼツランは多肉植物の一つ、たっぷり水分をためるしくみがあるグループです。多肉植物というのはファミリー(科)や属などの〈正式な分類〉ではありません。
 サボテンも多肉植物の仲間です、アロエも多肉植物です。
 リュウゼツランも多肉植物です。
 調べるとサボテンというのはファミリー(科)の名称でした。
 サボテンファミリー(科)というのがあったんだな。
 一枚の面白い写真から、たくさんのことがわかりました。めずらしい花の写真を送ってくださったAさんに感謝。

 

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新年も歩いてたのしむ@サツマイモの実とタネの話

 年末に続いて新年も歩き初めでスタートし元気に過ごしています。夜の冷えた中を暖かくして歩くのもたのしいのですけど、昼は昼で植物や虫たちをたのしむことができます。
 これは今年はじめて見た『リュウキュウコスミレ』です、二人仲良く咲いています。

ジャガイモの花も咲いていました、鮮やかな花です。
ジャガイモの実とタネの話を以前書いた記憶があります、興味のある方はぜひサーチしてみてください。

大きな畑にさつまいもがたくさん植えられていて、花も咲いています、アサガオに似た花の形をしています。

 そういえばサツマイモの実やタネってどんなのだろう?
 みなさんはご存知ですか?

 ちなみにサツマイモそのものは実ではありません、中にタネもありません。

 花の散ったあとの部分をいろいろ探してみたのですけど、まだ膨らんできていませんでした、次のチャンスをたのしみにしておきたいと思います。

 寒さの中でも歩けばたのしさいっぱいです。
 みなさんもたのしんでみませんか。

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鳥をみてたのしむ@サシバ・トビ(トンビ)・タカ

 今年は鳥をたのしもうと考え始めていると、これまで撮った写真でも鳥が目につきます。

 これは以前の出張で的川先生を訪ねる時、海岸で撮った動画です。
 翼の長さが軽く1mを超える鳥たちが群れをなして頭上を飛んでいました。
              ※容量の関係で画質を落としてあります 

 

 頭のすぐ上を飛んでいる時にうつした写真があります。

 沖縄では見かけないのですけど、県外でキャンプなどをすると比較的よく目にします、トビ(トンビ・とんび)です。 ※トビが正式名称、トンビは愛称

 トンビはタカ目タカファミリー(科)です。

 沖縄にもタカ目タカファミリー(科)の鳥がいます、ご存知でしょうか?

 

 1~3月頃に渡ってくる鳥、サシバです。

 普通のタカやトビより体が小さいのですけど、姿形はとてもよく似ています。

 鳴き方はそれぞれ特有のメロディーがあるのですけど、声の質や高さは似ています。

 トビ・とんびの姿・鳴き方

 サシバの姿・鳴き方

 タカの姿・鳴き方

 外を歩く時には、鳥たちの声に耳を澄ませています。

 とりあえず、スズメとウグイスとカラス、アカショウビンくらいは聞き分けられるくらいです、だからこそ、たのしみがいっぱいです。

 今回でサシバとトンビも加わりそうです。

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牛の呪い@読み物授業書@たの研/小学校高学年以上

 つい最近の記事〈中谷宇吉郎のエッセイ〉について綴っていた時、〈国語の読みもの授業書@たの研〉にしようと思っていた中谷の文章を思い出しました、『犬がなくとガラスがこわれるか」というエッセイの中に入っています。

 読み方プログラムのタイトルは『牛の呪い』にしようと思っています。

 青空文庫に感謝して引用させていただきます。
 短い文章です、読んでみてください。

 ある山奥に美しい盆地があって、周囲の山々は、うっそうたる原始林におおわれ、盆地のなかは、緑の牧草が毛せんを敷いたように密生している。

 水にも恵まれていて、水晶をとかしたような流れが、この牧草の原のなかをゆるやかにぬっている。

 気候も申しぶんなく、春さきになると、雪は早く消え、太陽がきらきらとこの流れに映えている。
 中国の昔話にある武陵桃源とは、こういうところのことだったのであろう。

 ここでは、人々も、家畜も、みな幸福に暮していた。

 ただこの別天地には一つ不思議なことがあった。

 それは、この土地ではどうしても牛が育たないことである。

 なんとかして酪農をやりたいとおもって、丈夫なよい牛をたびたび入れたのであるが、数カ月のうちに、しだいに弱ってきて、やがて死んでしまう。
 いろいろ手をつくしてみても、どうしても、牛が育たない。

〔しつもん〕どうしてこの美しい山奥の盆地では牛が育たないのでしょう?

 ア.気候が悪い

 イ.牧草がよく育たない

 ウ.その他 思いつくことがあったら出し合いましょう 

 中谷宇吉郎の文章の続きを読んでみましょう。

 気候が悪いせいでもない。

 また牧草が悪いせいとも考えられない。

 りっぱな牧草ができるところで、現に馬や羊は非常に発育がよい。

 念のために、大学へ牧草を送ってしらべてもらったが、栄養価満点という折紙がついてきた。
 それで村の人たちは、すっかり弱ってしまって、とうとう牛を飼うことはあきらめることにした。

 しかし念のために、いろいろ昔のことを調べてみたら、一つおもいあたるふしがあった。

 

 馬や羊は非常に発育がよいのに、牛が育たないという村があって、昔のことを調べたらこういうことがわかったというわけです。
 いったいどういうことがわかったのでしょう・・・

 ※ 

 それは大昔に、この村に気の荒い庄屋がいて、外からつれてきた牛を残酷な方法で殺したことがあるという記録が出てきたことである。その牛の怨霊おんりょうがたたって、その後この土地には、牛は育たないことになったのであろう。

 これでわけがわかったので、村人もなっとくして、酪農はあきらめてしまった。

 なんと「牛のたたり/牛の呪い」のせいで、この土地には牛は育たなくなったというのです。

 みなさんはそういうことが本当にあると思いますか。

予想

 ア.たたりはあるだろう

 イ.それはないだろう

 ウ.その他

 中谷宇吉郎は、それを無茶な考えだと言わず、「この村の人たちにも、ちゃんと因果律の考えがあったのだ」と続けます。

 この村の人たちの頭のなかにも、ちゃんと因果律の考えがあったのである。※因果律(いんがりつ):原因と結果を結びつけて考えること

 牛が育たないという結果があったので、その原因をいろいろと考えてみた。

 しかし原因は、気候にも、牧草にも、水にもないことがわかった。

 そこへ牛の怨霊という、原因と考えられるものが出てきたので、それを原因として、この問題に一応の解決を与えたわけである。

 中谷宇吉郎は科学者です、「怨霊のせいという原因がわかってよかったね、めでたしめでたし」と終わるわけではありません。続きを読んでみましょう。 

 ただ、この素朴な村人の因果律は、科学で使われる因果律とは、少しちがったところがある。前にもちょっといったように、科学の世界での因果律では、原因も、結果も、ともに観測しうるものであることが必要である。牛が死ぬという結果のほうは、観測というまでもなく、明白な事実である。

 しかしその原因とされた怨霊のほうは、観測にはかからないものである。

 したがって、この結論は、広義の因果律にはかなっているが、科学にはなっていない。怨霊だから非科学的であるというのではなく、観測あるいは測定にかからないものを、原因とする点が、非科学的なのである。

 しかし、ほかに考えうる原因がないのに、牛が育たないという結果は実在している。これは事実である。

ではどうしたらよいのでしょう?

怨霊のせいにしてあきらめる以外に、何か方法を思いついた人はいませんか、あったら出し合いましょう。

 何かアイディアが出ましたか?

 牛に「たたりで災いを起こす力」があるとしたら、世界中でたくさんの災いが起こっている可能性がありますよね・・・

 それはさておき、中谷宇吉郎はこう続けます。

 この事実を科学的にはどう説明したらよいかというに、それは簡単である。「なにか原因はあるのだろうが、わからない」と、これだけでよいのである。というよりも、それよりほかにいいようがない。

 なにか科学らしくこじつけると、かえって非科学的になる。

 中谷宇吉郎はあっさり、原因を牛のたたりにしてしまうのではなく「原因は〈わからない〉以上!」でよいのだと語ります。

 そう言った上で、さらにつきつめて考えてみよう、と語ります。
 ここから本格的な科学の話に入っていきます、もちろん「たたり」のせいだとはいわず、「わからない」と終わることもありません。

 これはおもしろい問題なので、もう少しつきつめて考えたいが、それには、原因および結果という言葉を、いま一度整理しておいた方がよい。

 前に、自然界には、原因そのもの、あるいは結果そのものはないといった。その点には、まちがいがない。
 しかし自然界には、二つの現象を、原因結果的にならべてみると、その関係がはっきりすることがらが、たくさんある。

 以下本書では、こういう場合に、一方を原因といい、他を結果ということにする。そして両者をならべてみて、それから新しい知識が得られることを、「原因結果的に扱える」ということに定義する。
 ところで科学の話をする場合は、どうしてもいくつかの術語を知っている必要がある。料理の話をきくときに「三枚におろす」とか、「油でいためる」とかいう言葉を知っている必要があるのと同じことである。その術語の一つに無限小および有限という言葉がある。ここでその言葉の意味を、ちょっと説明しておく。
 物理学では、無限小という言葉をよく使うが、これは「ない」という意味ではなく、観測にかからないほど微小または微弱という意味である。無限小のものは、ないとはいわないが、取扱いではゼロと同様にみなす。それに対して、観測にかかるものは有限という。一ミリグラムの百分の一ていどの微量でも、測定にかかれば有限である。

これで半分くらいです、書き始めてみたら、ずいぶん長くなってきました。

〈たのしい教育メールマガジン〉で紹介したあと、機会があればここでも紹介しましょう。
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