楽しい先生たちが増えていく@『たのしい教育Enjoy-cafe』の様子/この先生たちが楽しい未来を拓く

 子どもたちにとって、先生たちにとって、そして保護者の方たちにとって、学校はなかなかたのしい場所にはなっていないようです。
「いやいや、それは違う、たのしいと言っている子どもたちはこんなにいる」という方たちもいるかもしれません、それは限定的なことで、《登校を拒否する子どもたちの数》の増加一つとっても、はじめの1行は支持されるでしょう。
 もしも「私の周りには笑顔がたくさん生まれている」という方がいたら、ぜひ〈たの研〉と一緒に活動しませんか。そういう人たちが広がっていくことで、きっと学校は夢と希望あふれる処になるはずです。

ChatGPTで画像生成すると昭和の絵になるのはなぜ?

 そんな中でも〈たの研〉の若手中堅の先生たちはたのしく元気です。

 これは4月の『たのしい教育Enjoy-Cafe/たのcafe』の様子です。
 こういう先生たちがいろいろな学校で、たのしい教育を実践して、ゆっくりと学校を変えていくのでしょう。上からの改革ではなく最前線にいる先生たちから変わっていく変革です。

 会場は〈第3たの研〉です、奥のほうにも先生たちがいます。

こっちが奥の方です、もちろんみんなで同じプログラムをたのしんでいます。

 私が教師になった頃、右を見ても左を見ても、転勤していろいろな学校に移っても先生たちは「教科書をどう深めるか」に力を入れていました。私は体育系だったのですけど、自由そうな体育の研究授業でも基本型があって、指導案(先生たちの授業設計図)もとても似ていました。

  こうやって〈たの研〉に集まる先生たちを見ていると「時代が進むと才能と笑顔が広がっている」という思いを新たにします。こういう素敵な先生たちが、自分の才能を生き生きと伸ばせるような学校になることが、結果的に子どもたちの笑顔と可能性を広げていくことになるでしょう。

 リードする先生たちの動きも魅力的です。

 これは絵本の紹介です、本の世界はたのしい教育と切り離すことができません。

 こういうシーンにも笑顔がいっぱいです。

 

ゲームも欠かせません。

 もちろん「A先生が言うからたのしいに違いない」というのではなく自分で《体感すること》が基本です、そういう子どもの感覚をもった先生たちが、たのしい教育をリードしていくことになるでしょう。

次回のたのcafe、今日から受け付けています。

⭐️たのしい教育enjoy cafe⭐️
日時 2025/5/29(木) 18時半~20時 場所 たのしい教育研究所
会費 1200円(軽食込み)
内容 資料発表、ものづくり、ゲームや教材紹介など
申し込みメール⇨ ride.i.tanoken@gmail.com
タイトルに「5月のたのしい教育Enjoy-Cafeの申し込み」と書いてください

〈たの研〉にはイタリアの老舗デロンギの珈琲メーカーがあって、美味しい珈琲が味わえます、おいしい紅茶もあります。
 たのcafeではミエ先生の手作りの軽食も味わえます。

 

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文学の力@楽しい国語 辻邦生著「西行花伝」

 教師を辞めたら吉野の桜の頃に訪ねてみたいと思い始めて、いつの間にか10年以上経ってしまいました。
 これから吉野の桜はみごとに咲き乱れるのだろうけれど、訪ねたいのは「如月の望月の頃」です。

願はくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ

武士から出家し、西行と名乗って多くの歌を残した人物が残した歌です。

 如月は太陰暦2月、望月とは満月のことです。太陰暦は月の満ち欠けをもとにした暦(こよみ)で、15日がちょうど満月になるにるように設定されています。
〈如月の望月の頃〉は太陰暦2月15日です。

 新暦では何月何日か?  3月25日ごろです。

 吉野の桜の満開は4月中旬ごろだと言われているので、如月望月というと桜の咲き始めの頃でしょう。もしかすると、西行のいた頃(西暦1100年頃)は暖かさが早くきていた可能性もあるので、かなり桜の花が開いていたかもしれません…

 いずれにしても、まだまだ先のことになりそうです。

 そんな中、以前から読みたかった辻邦生(つじ くにお)著『西行花伝』という本を読んで、その圧倒的な筆力に魅了されています。今は小次郎が読めないようにしていますが。


 作品は西行を師と慕う 藤原秋実が、西行亡き後、語り始めた設定です。

 はじめのところを書き抜きましょう。

# 序の帖   藤原秋実、甲斐国八代荘の騒擾を語る こと、ならびに長楽寺歌会に及ぶ条々

 

 あの人のことを本当に書けるだろうか。あの人――私が長いこと師と呼んできたあの円位上人、西行のことを。

 しばらく前から時雨が檜皮葺きの屋根を鳴らして過ぎてゆく。その幽かな音を聞いていると、そんなことはと ても無理だ、あの人のことなど書けるわけはない、と誰かがつぶやいているような気がする。

 たしかに私にとってあの人―――わが師西行はあまりに大きな存在だった。私はどんなに努力してもあの人に達 することができなかった。それに私たちが生きてきた時代は変転極りない狂乱の日々の連続であった。すべての 人々が、洪水の荒れ狂う波間につかの間に出遇い、つかの間に別れて、二度と遇えない宿命に翻弄されて生きて いた。私はそうした日々、師西行と共にいることだけを願った。願いつづけなければ容易に私たちの絆は絶ち切 られてしまいそうな、そんな切羽詰まった気持で生きていた。私は正直言って自分がどんな人間であるか、わが 師が何を考え何を感じて生きているか、じっくり思いめぐらすことはできなかった。私はただ師のそばで生きる こと、師の歌を浄書し、師のために使い走りをし、師のあとについて歩くことだけで、すでに精いっぱいであっ た。肝心なことは師西行の近くにいていかに生きるかだけであった。

 それだけに師西行に世を去られてからは、私は、師が占めていたひろがりのなかを、まるで無人の伽藍の内部 をほっつき歩くようにただ歩きまわるほかなかったのだ。私はひたすら空虚だった。

 雨につけ風につけ、心を締めつけるあの孤独な寂しさが、胸を鋭い髪でえぐるように疼いたが、それ以上に、師とともに、私が生きていた 生活そのものがそっくり立ち去っているのを感じた。当時私は自分を喪った虚脱者のように京の街を俳徊した。

 どこをどう歩き、どこで何をしていたか、何一つ覚えていなかった。日が照ろうが雨が降ろうが、そんなことは 私にはどうでもよかった。ただ師の持っていたあの温み、重さをもう一度全身で味わい、それが乾鯨に水が滲み るように私のなかに滲みて、心が昔のように蘇ってくるのを、身体のどこかで待ちつづけていた―――もちろん私 ははっきりそう気付いていたわけではないけれど、そうした渇いた願いのなかで、ひたすら生きつづけていたのは事実だった。

 だが、あの桜の散りやまぬ望月の夜から一年たち二年たつうち、私は、無人の伽藍に似たこの空白なひろがり を師西行の重さで満たす以外には、心の渇いた河床に水を流しこむことはできないのだと次第に気づくようにな った。

師西行の重さ――それを私はどこから手に入れるべきだったか。

 こういう文章を読むと、「小説を書きたい」と簡単に言えなくなってしまいます。
 10年くらいは本気で文章の修行をしなくてはいけないかもしれません。

 紙の本としてはすでに廃版になっている作品ですけど、kindleで読むことができます⇨https://amzn.to/4jLYuxY

 

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楽しい島言葉@「うりずんの季節」/楽しい野山さんぽ

 琉球おきなわの島言葉で「うりずん」と呼ばれる季節があります、寒さが過ぎた新暦3月後半のあたたかくなった頃から梅雨あたりまでをさすことばです。

 はじめてその言葉を意識した時「売り損」とイメージしてしまったのですけど、実は大和言葉の『潤い初め』が変化した言葉だといわれています。

 沖縄の月別の雨量はどうなっているか?
 確かに3月からの雨量の伸びが大きくなっています。

気温などいろいろなデータが加わったグラフがほとんどだったので、少し古くなりますが、那覇空港観測所が公表しているグラフを利用いたしました。那覇空港観測所に感謝。

 これは最近の野山さんぽで撮った写真、小雨の中の桑の木です。

 熟した実もたくさん咲いています。

 ちなみに少ない雨なら、水を弾くジャケットと帽子で歩きます。広がる景色たちを眺めるためです。

《第一たの研》の庭では、冬の頃から大切に育てた岩手花巻産の〈トウガラシ〉には花が開き始めました。

 大地が潤う季節は、はっきりと植物の成長を見ることができます。
 虫たちも成虫になって、どんどん姿を見せてくれるでしょう。

 みなさんも近くの野山を歩いてみませんか。

 深いところには入らず、まず公園からはじめるとよいと思います。

 地図を開いて、「公園」と打ち込んでみてください、けっこう見つかると思います⇨https://www.google.co.jp/maps/

 その中で比較的、山に近いところを選んでみてください。
 長くて1時間くらいで終わるくらいの距離にしておくとよいと思います。

 行き時は〈帽子、傘、飲み物、スマホ(カメラ)〉を忘れずに!

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太陽の力に驚いた話@一年前に植えた木の姿

 春になって〈第一たの研〉の庭の手入れをしていて驚いてしまいました。太陽の力の大きさ、それを受けて生きる命たちの話です。

 ほぼ一年くらい前のこと、桜の苗木が手に入ったので、もともとあった桜と桜の間に植えることにしました。その後、気づかないうちに2本の桜が枝をどんどん伸ばし葉を茂らせて、小さな苗を覆い隠してしまい、忙しくしている間にその存在を忘れてしまいました。

 庭の手入れをしていると桜の葉の多さが気になって、ノコで枝を落としていました。

 するとビックリ、大きな桜の木と木の間から一年前に植えた小さな桜を発見。
 高さ50cmくらい、幹の太さも1cmくらいでまだまだ小さいままです。
 植えた時よりほんの少しだけ成長したくらいです。
 一年経ったのにこんなに小さい・・・

 ごめんねごめんねと、隣の桜たちの枝葉を払って、近くのバラの枝葉も束ねて太陽の光が当たるようにしました。

 電柱のすぐ左に50cmくらいの小さな木が見えると思います、それが一年前に植えた桜です。

 左側の桜は三年くらい前に小さな苗をもらって植えたものです。
 日当たりが良ければ、それくらいでしっかり成長します。
 小さな桜には太陽の光が届かず、わずかな木漏れ日で光合成をして、なんとかがんばってきたのでしょう。
 これ以上大きく育つための太陽光を受け取ることができはないので、これくらいの大きさのまま生命を維持してきたわけです。
 よくがんばった!

 忘れてしまってごめん。
 一年順調に太陽の光を受けて、水と土のミネラルを吸っていたら、両側の桜たちをおしのけるように育っていたと思います。

 これからたっぷり世話をしてあげようと思います。

 それにしても〈太陽の光〉というのはすごいものだととても感心してしまいました。

 前に書いた「太陽光発電」で電気を作り出す力にも感動したのだけど、地球上のたくさん生命は、太陽の力のおかげなのだということを実感したできごとでした。

 春です、たくさんの植物たちを育てようと思います。
 みなさんも植物たちの世話をたのしんでみませんか。

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