何千冊の大量の本を整理して残した千冊くらいの一冊『中谷宇吉郎随筆集@岩波文庫』/どっちに転んでもシメタを探す!

 活字中毒だった頃集めた本が家を占領して大変なことになってしまったので泣く泣く大量の本を処分したのが二、三年前のこと。
今は『これだけは捨てられない』と残した本たちが千冊くらい残っています。

 その一冊が『中谷宇吉郎随筆集@岩波文庫』。
 寺田寅彦と中谷宇吉郎 師弟の作品は何冊も残されています。

 すでに著作権が切れていてデジタルで読むことができるのだけど、紙の本の貴重さは次元が違います。


 はじめのエッセイ「雪の十勝」には雪の結晶写真が載っています。
 〈日本人〉として初めて雪の撮ったのが中谷宇吉郎です、みごとな写真です。

 エッセイは「初めは慰み半分に手をつけて見た雪の研究も、段々と深入りして、えて見ればもう十勝岳へは五回も出かけて行ったことになる」とはじまります。

 師の板倉聖宣(たのしい教育研究所 初期から支援者/仮説実験授業研究会初代代表/元文科省教育研究所室長/元日本科学史学会会長)が「中谷は留学先のX線の研究に挫折して雪の研究をはじめたんだ」と語っていました。

 中谷宇吉郎は師の寺田寅彦の影響でイギリスに留学しチャールズ・ウィルソン(Charles Thomson Rees Wilson)に学びました。ウィルソンは霧箱(cloud chamber)の開発者として知られ、1927年にノーベル物理学賞を受賞した人物です。

 留学先で思うような成果が出せず、日本に戻ってからも予算をはじめ必要な実験環境を整えることができず、挫折して雪の研究に入ったという話は中谷宇吉郎を取り上げたサイトとうで読みました、いずれしっかりとした基礎資料が見つかると思います。

 いずれにしても中谷宇吉郎は「慰み半分で手をつけた」という雪の研究で世界的な成果をあげました。

 世界ではじめて人工雪を作ることに成功し気象条件と結晶が形成される過程の関係を解明したのです、1936年のことです。

 挫折の中でもシメタを探し、画期的な成果をあげたと言ってよいでしょう。

 そういうことを知らずに読んでも心を動かしてくれるのですけど、それを知ってから読むとさらに心を揺さぶります。
青空文庫に感謝して、中谷宇吉郎『雪の十勝』を引用させていただきます。短いですから、ぜひ読んでみてください。

----- 青空文庫の偉業に感謝して掲載させていただきます -----
 初めは慰み半分に手をつけて見た雪の研究も、段々と深入りして、かぞえて見ればもう十勝岳とかちだけへは五回も出かけて行ったことになる。落付おちつく場所は道庁のヒュッテ白銀荘はくぎんそうという小屋で、泥流でいりゅうコースの近く、吹上ふきあげ温泉からは五ちょうへだたっていない所である。此処ここは丁度十勝岳の中腹、森林地帯をそろそろ抜けようとするあたりであって、標高にして千六十メートル位はある所である。 雪の研究といっても、今までは主として顕微鏡写真を撮ることが仕事であって、そのためには、顕微鏡は勿論もちろんのこと、その写真装置から、現像用具一式、簡単な気象観測装置、それに携帯用の暗室などかなりの荷物を運ぶ必要があった。そのほかに一行の食料品からお八つの準備まで大体一回の滞在期間約十日分を持って行かねばならぬので、その方の準備もまた相当な騒ぎである。全部で百貫位のこれらの荷物を三、四台の馬橇ばそりにのせて五時間の雪道を揺られながら、白銀荘へ着くのはいつも日がとっぷり暮れてしまってからである。この雪の行程が一番の難関で、小屋へ着いてさえしまえば、もうすっかり馴染なじみになっている番人のO老人夫妻がすっかり心得ていて何かと世話を焼いてくれるので、急に田舎の親類の家へでも着いたような気になるのである。 この白銀荘は山小屋といっても、実は山林監視人であるO老人の家であって、普通には開放していないので、内部は仲々立派に出来ている。階下が食堂兼居室で、普通の山小屋の体裁に真中まんなかに大きいまきストーヴがあって、二階が寝室になっている。この小屋の附近は不思議と風当りが少いので、下のストーヴの暖みに気を許して、寝室の毛布にくるまっていると、自分たちにはこの小屋の二階が何処どこよりも安らかな眠りの場所である。着いた翌日はず階下の部屋の一隅にむしろを敷いて隙間風すきまかぜを防ぎ、その上に携帯用暗幕を張って急造の暗室を作る。その中に器械を入れて来た木箱を適当に配置して現像装置だの、乾板かんぱんの出し入れの用意などをととのえる。それから食卓を一つ借り切って、これはそのまま実験台とする。雪の結晶の撮影は小屋の入口の白樺しらかば造りのヴェランダで行うことにして、此処にも木箱を持ち出して実験台を作る。顕微鏡写真の撮影にはかなり丈夫なちゃんとした実験台がるのであるが、それには前にも書いたように雪のコンクリートという極めて重宝なものがある。木箱の周囲を雪で固めて、ばけつに一杯の水を流しかけると、五分もたぬうちにすっかり凍りついてしまって、立派なコンクリートの実験台が出来る。顕微鏡写真装置も同様にしてこの実験台の上にくっつけてしまうのである。 十勝岳のこの附近は、雪の結晶の研究には先ず申分のない所であろう。あるいは世界でも珍らしい所ではないかという気もする。第一結晶が極めて美しく、繊細を極めたその枝の端々までが手の切れそうな鮮明な輪廓りんかくを持っていることである。自分たちが白銀荘で見たような美しい結晶は世界中のどの観測者の写真にも見られないものであった。それから結晶の種類がまた極めて多い。普通に雪の結晶の代表と思われている六花ろっか状のあらゆる種類の結晶は勿論のこと、余り知られていないところの樹枝状の結晶の枝が立体的に伸びているもの、それからめずらしいとされている角錐かくすい状の結晶、鼓型つづみがたの結晶、それが数段になっている段々鼓型などの結晶が惜しもなく降って来るのである。この二月には針状の結晶がそればかり三十分も続いてかなり激しい降雪となって降って来たこともあった。それから全く世界中の今までの文献に知られていないと思われる側面結晶という不思議な雪も数回観測することが出来た。
 
「平面樹枝状の結晶 ×13.5」のキャプション付きの写真平面樹枝状の結晶 ×13.5
 
「段々鼓の側面」のキャプション付きの写真段々鼓の側面
 
 今一つこの十勝岳の観測地点は気温も全く申分ない条件をそなえているのである。冬の真中で大体最低零下十五度最高零下十度位の所を毎日規則正しく変化しているのであって、気温の変化が非常に少いために、観測者の身体からだぐそれにれてしまって仕事が非常に楽なことである。普通に考えて零下十度というと、全く細かい研究などの出来ない寒さと思われるのであるが、此処での体験によるとこれ位の寒さが雪の研究には丁度良い気温であることが分ったのである。自分たちは別に寒さに対して特に強いとは思われないにもかかわらず、不思議とこの白銀荘で四、五日仕事を続けていると、戸外に朝から夜の十二時近くまで立って仕事をしていても別に大した寒さを感じなくなるのである。勿論一時間置き位に室内へ入って、ストーヴで暖まっては出て行くのであるが、それにしても少し妙だと我ながら感心する。生中なまなか煖房だんぼうの設備などがないと身体の方が自然の方に適応して行くらしいのであるが、そのためには気温の変化が少いということが一つの有利な条件のように思われるのである。零下十度位になると、雪の結晶は全く安全で、どのようにいじっていてもける心配はないので、勝手に切ったり細工したりして調べることが出来る。一つの結晶を色々に引っ張ってこわして見るという簡単な操作だけで、昨年の冬は二かくから成る結晶の存在が確められて、従来多年の懸案となっていた三花や四花の結晶の成因がすらすらと解決出来てしまったのであるが、これもよく考えてみると、普通の地点では一番困難な実験であったのかも知れない。 雪はさすがに実によく降る。冬中何時いつ行って見ても、大抵毎日少しも降らないという日は滅多にない。朝起きると一面の青空で、朝日が白銀の世界をあかね色に染めているような日でも、夕方になると大抵は美事な樹枝状の結晶が細雨さいうのように音もなく降って来る。このような時は大抵写真を撮るには最適の条件のことが多く、つい遅くまでもひきずられがちとなるのである。 朝目を覚まして青空が見えるような日には、一同大変な元気で早くから起き出してしまう。そして急にパンを切ったり、スキーにろうを塗ったりして山登りの準備にかかる。何時のにか、天気がよくて雪の降らぬ日はふりこ沢のあたりまでスキーに乗って、積雪上の波型を見に出かけるということにきまってしまったのである。そして特に晴れた日にはそのまま十勝の頂上まで行程を伸ばしてしまうのである。それを楽しみにして特に助手を志願して出る学生も出て来て、大抵いつも十勝ゆきに人手が足らなくて困るということはない。 O老人もよく一緒に行くことが多い。かんじきを穿かしたら誰もこの老人にかなうものはないが、スキーはまだ始めて二年にしかならぬというので、丁度良い同行者なのである。この老人は全く一生を雪の山の中で暮して来たという実に不思議な経歴の人である。この人の話などを聞いていると、雪の山で遭難をするというようなことはあり得ないという気がするのである。一昨年の冬にも犬の皮一枚と猟銃と塩一升いっしょうだけを身につけて、十二月から翌年の二月一杯にかけて、この十勝の連峯から日高ひだか山脈にかけた雪嶺せつれいの中を一人で歩きまわって来たというのである。この老人の話をきくと零下二十度の雪の中で二カ月も寝ることが何でもないことのようなのである。もっともその詳しい話を聞き出して見て驚いたのであるが、この老人はわれわれのちょっと及ばぬような練達の科学者なのである。 雪の中で寝るのに一番大切なことは焚火たきびをすることであるそうである。それは極めてもっともな話であるが、厳冬の雪の山で焚火をするのは決して容易なわざではない。ところがこの老人は三段のスロープのかげに自分たちを連れて行って、何の雑作ぞうさもなく雪の上で大きい焚火をしてわれわれを暖めて見せてくれたのであった。風の当らぬ所を選んでこれだけの焚火があったら、なるほど雪の中で寝ることも事実普通の生理学と少しも矛盾しないのである。のこぎり手斧ちょうなとマッチが食料品と同様に雪の山では必需品であることを実例で教えてくれたのはこの老人であった。 感心したことは、この老人は出来るだけ文明の利器を利用しようとつとめることであった。魔法瓶だの気圧計だのというものには特別の興味を持ち、かつそれを利用したがるのである。とうとうその思いが一部叶って魔法瓶を買うことの出来た時の無邪気な喜びようには誰もが心をかれた。気象の見方、保温の方法、器具の取扱い法、食料としてのうさぎり方から山草の料理法など、すべての事柄について、すみの隅まで行き届いた細かい注意が払われていることが、聞き出すごとに分って来た。このように自分一人の体験で作り上げた科学の体系を持っていて初めて山の生活が安全に遂行されるのであろう。 今年も初霰はつあられのたばしる音を聞くと、十勝の生活とこの老人のことが思い出される。結晶の研究にもまだ抜けた所が沢山ある。特に粉雪の結晶構造の研究にはまだ一冬はどうしてもかかる。そのほかにも昨年の冬から初めて手を付けて見たスキー滑走の物理学の完成にも十勝は最も良い聖場の一つである。まだまだ数年は冬ごとに十勝へ通わねばなるまい。クリスマスの木のようなあの十勝のたちに会うことも、この老人からストーヴのまわりで「カムチャツカへ歩いて行った話」を聞くことも皆楽しみの種である。

(昭和十年十二月一日)
 
----- 青空文庫の偉業に感謝して掲載させていただきました -----
 

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科学はたのしい@板倉聖宣の発想

 30年あたり前から仲間たちと協力して、板倉聖宣先生(たのしい教育研究所 初期から支援者/仮説実験授業研究会初代代表/元文科省教育研究所室長/元日本科学史学会会長)が語ったものを文字起こししたり、ガリ本など手に入る紙媒体をデジタル化して分類保存する作業をはじめました。
 ザラ紙を筆頭に劣化が激しくなってきます。デジタル化しておくと、半永久的に保存できるだけでなく、場所をとらないということ、検索が瞬時にできるということ、大量の資料をどんどんながめることができることなど、そのアイディアは今でも〈すばらしい発想と行動だった〉と思っています。

 今回はデジタル化した資料を元に〈たのしい教育メールマガジン〉の初期に紹介したものから、切り取ってみましょう。

 板倉先生が1991年2月3日、愛知県での講演「女性のための科学」というタイトルで語った中から、個人情報や、特定の誰が傷つく可能性がある内容を避けて〈いっきゅう文責〉として掲載します。

板倉
 10年前くらいに、子どもの教育に関心があるお母さん方の前でお話をしたことがあります。

 今日も比較的そういう方がおおいのではないでしょうか。

 そういう方々の中に「私はいまさら科学に強くならないくていい。でも子ども達はこれから科学の時代に生きるのだから科学に強くなってほしい」という感じの人が多いのが、私は気になります。

 それは「私は人参が嫌いだけれど、子どもには人参を食べて欲しい」というのと同じですね(笑)。

「ちょっと食べてみなさいよ、私は嫌いだけど…」とか「私は嫌いになっちゃったんだけど、あんたは食べたらどう?」と軽く言うならいいけど、あんまり強くいったらおかしいでしょ。

 だって「それならお母さんだって人参食べてよ」ってなりますからね。

 お母さんたちが「私は今さら科学なんて勉強したくない」というとき、その理由は2つあります。

「今からじゃもう遅い」という事。
 もう一つは「もともと科学なんておもしろくないものだから、だからイヤだ」という事。

 これは後ろの方が大部分ですね。

 しかし実は「お母さんはもう年だから科学は勉強できない」というのも言い訳で、「科学なんてあんなにイヤなものはない。やっと学校を出て、それを勉強しなくてすんだ」と思っているようです。

 そのイヤな科学をを子どもには押し付ける。私は「自分がイヤな事を子どもにやらせる」という事は推奨致しません。

 科学は嫌いというお母さんが「子どもには科学を好きになって欲しい」と考えるのは「科学が出世の手段、儲けの手段」だからと考えている事になりますね。
 私はそうではなく、科学という者はとてもたのしいものだから子ども達に伝えたいのです。

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地球という星の歌、星唄/ほしうた として 
松本隆作詞、平井夏美作曲『瑠璃色の地球』
に一票を投じます ※ただし単語を一つ変えて

 たの研恒例〈季節の変わり目に気づいた時の唄祭り〉で仲間たちとマイクを握っていた時、常々考えていたアイディアを披露して全員が賛同してくれたのが、タイトルの「地球という星の歌(星唄/せいか・ほしうた)として 松本隆作詞、平井夏美作曲『瑠璃色の地球』に一票を投じます、ただし《単語を1箇所変えて》」です。
 悲しいことに今この世界では「どこどこにミサイルが落とされて◯◯人の命が失われた」というような悲惨なニュースが飛び交っています。そういう時でも、いつか必ず来る〈この星全体が平和になる日〉を夢見て一歩ずつたのしい教育を拡めていく、それが〈たのしい教育研究所〉の活動です。子どもたちと私たち大人が少しずつ智慧と可能性、そして周りの人たちのを笑顔とたのしさを広げていくことで、100年後、400年後、いつかわからないのですけど、必ずその日が来るでしょう。必ずその日が来るでしょう。

 そうやって、すべての国々が一つの星として統合することができる頃、「この星を統合する象徴としての歌をどうしよう」という議論も必要になるでしょう。

 強い国家の歌が星歌になるというのは困ります。以前「いろいろな国の国歌を学ぼう」というプログラムを作ろうと調べていたとき、国歌には「戦うぞ」とか「国を守るんだ」というような戦いの文言や、特定の宗教を強く主張しているものが多くて驚きました、星歌には適しません。

 その時に政治的リーダーに議論してもらうより、今ここで出しておこう、というのが、私の提案、そしてたのしい教育研究所の提案です。まずこの地球上で一番先に〈星唄〉を提案したということで、たのしい教育研究所のアイディアをここに記します。
 このアイディアがいつか玉手箱のように、できるだけ早い未来に誰かの手で開かれますように…


 世界中の人たちが賛成してくれると嬉しいのですけど、もちろん、この提案をきっかけに、いろいろなアイディアが生まれてくることも期待しています。
  気に入ってくれた方は、子どもたちに「ねぇねぇ、この地球を象徴する歌を一つ決めるとしたら、みんなは何を選ぶ?」というように、学級で「星歌 総選挙」をたのしんでみてはどうでしょう。その時にはぜひ〈たのしい教育研究所〉の一票も紹介してくださいね。

 国際的に利用するには日本語は難しいので、国際語としての英語に訳してみました。メロディーにうまく乗せるためにさらに少し時間をかけて練っていきたいと思うのですけど、まず記念の一歩として併記します。

(提案)星歌:瑠璃色の地球 
    地球という星の歌として最小限改変

          源作詞 松本隆 英訳 いっきゅう
   

There’s no night that won’t turn into dawn,You say softly.

夜明けの来ない夜は無いさ あなたがポツリ言う

Standing on the cape where the lighthouse stands,
We watched the dark sea.

燈台の立つ岬で 暗い海を見ていた

There were days of worry, times when sadness almost broke me.

悩んだ日もある哀しみに くじけそうな時も

But because you were there, I made it through.

あなたがそこにいたから 生きて来られた

As the morning sun shoots rays of light from the horizon,

朝陽が水平線から 光の矢を放ち

It wraps everyone in its glow,  On this Lapis lazuli blue Earth.

みんなを包んでゆくの 瑠璃色の地球

Tears, at the moment they turn into smiles,

泣き顔が微笑みに変わる 瞬間の涙を

I want to quietly share them with people all over the world.

世界中の人たちに そっとわけてあげたい

People fight and hurt each other, we can be weak,

争って傷つけあったり 人は弱いものね

But we also surely have the power to love.

だけど愛する力も きっとあるはず

Beyond the glass-like sea lies the vast galaxy,

ガラスの海の向こうには 広がりゆく銀河

And everyone on this ship called Earth is a traveler.

地球という名の船の 誰もが旅人

I want to protect this one and only planet of ours.

ひとつしかない 私たちの星を守りたい

As the morning sun shoots rays of light from the horizon,

朝陽が水平線から 光の矢を放ち

It wraps everyone in its glow,  On this Lapis lazuli blue Earth. On this Lapis lazuli blue Earth.

みんなを包んでゆくの 瑠璃色の地球 瑠璃色の地球

 

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災害について予想を立てて調べる〈地震・雷・火事・台風〉

 江戸時代から、恐ろしくて、いつ起こる(怒る)かわからない、逆らえないというものを「地震・かみなり・火事・親父」と並べました。「島言葉」の取り組みの中でも伝えてきたことなのですけど、言葉には、その頃の人たちの価値観・想いなどがハッキリと残されています。過去の認識博物館のようなものです。
 「地震・かみなり・火事・おやじ」という言葉から、日本では伝統的に父親の暴君的な立ち位置がわかります。チャンスがあったらいずれ書くとして、今回は災害の話。

 今ふつうに考えると「地震・かみなり・火事・台風」と並べるでしょう。かつての日本で〈台風〉は大して恐ろしいものとは捉えられていなかったのでしょう。日本の中心の江戸・東京にはほぼこないものだったのでしょう。

 では「地震・かみなり・火事・台風」の中で、最も人的災害が大きいものは何でしょう、過去100年の死者数で予測してください。

「ケガをした人の統計でもいいのでは」と思う人もいるでしょう、でも時代の流れをさかのぼっても統計的に確かだ、と考えられるものは〈死者数〉です、詳しくは機会があればいずれ。

質問:地震・かみなり・火事・台風の中で、過去100年の死者数をみて、もっとも大きな災害は何だと思いますか? 2位以下も順位で並べてみてください。

あなたの予想

一位は〔        〕
二位以下の順位は 〔    〕>〔    〕>〔    〕

どうしてそう予想しましたか?

お 話

 台風は毎年のように来て命を奪っていくのですけど、地震は毎年ということではありません。ところが過去100年間の地震による死者数を考えると、大規模な地震の破壊力は大変なものです。※関東大震災はほぼ100年前だということで算出

    • 1923年の関東大震災: 約142,800人の死者​(Wikipedia
    • 1995年の阪神淡路大震災: 約6,400人の死者​(Wikipedia
    • 2011年の東日本大震災: 約19,747人の死者​((Wikipedia
    • 2024年の能登半島地震  死者281人(NHKニュース

 これらの大規模な地震だけで年間の平均死者数は約2,000~3,000人程度となり、災害の死者数でみると地震がトップです。それにしても関東大震災の被害者は桁違いだったのだと驚かされます。

 残念ながら「地震は予知できない」というのが現時点での科学的な見解です。地殻内での岩盤の急激な動きによって発生する地震が、どのように始まり、どの時点でエネルギーが放出されるかを予測するのは極めて困難だからです。

 とすると地震予知、予測ではなく「この地域にはこの程度の地震が50年以内に発生する確率が70%程度」という《長期的な地震リスク評価》で、その程度の地震が来た時に、できるだけ被害を減らす対処に取り組むことが大切でしょう。

 二位からについては、〈たのしい教育メールマガジン〉でプランとしてまとめようと考えています。興味のある方は調べてみてください。

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