理科教育でもトップとなりました〔3冠達成〕教師教育・生涯学習も連続一位/トマトの発芽

 理科教育カテゴリーを〈人気ブログランキング〉の新たなエントリーに加えて約1ヶ月、みなさんのお陰で一位を獲得することができました。〈教師教育〉〈生涯学習〉の2つを加えて、これで3冠達成することができました。こころから感謝致します。
 このサイトを伝搬させていただいている方もたくさんいてくれることがとても心強いです。今後とも応援をよろしくお願い致します。

 さて「理科教育」でもトップになったところで、少し〈理科教育〉について考えてみたいと思います。
 理科教育という場合〈科学教育〉との違いが問題になることがあります。
 理科の専科を長く担当したこともあって、教員研修の中で時々〈観察と実験を合わせたものが理科である〉という説明を聞かされてきましたし、インタネット上のサイトを読んでもその様な書き方をしているものがいくつも見つかります。

 しかし科学でも〈観察〉を扱うことがたくさんあります。観察を抜きにしてペニシリンが開発はできませんでしたし、動物の生態を研究するにも観察は欠かせません。〈医学〉という科学では、例えばある薬を処方した時の〈経過観察〉が重要になります。

 理科なのか科学なのか、という場合には「学校システムの中で取り扱う〈科学的な内容〉を整理したものを理科と呼んでいる」と考えた方がよいでしょう。

 理科も科学ですから〈仮説・実験〉が必需です。

 研究所の仲間たちと作成している〈キッチン〉をテーマにした予想チャレンジ授業があります。
 その中にこういう問題があります。

サラダに乗っている(あなたが食べている)トマトのタネを取り出して、水も温度も空気も適した状態で発芽するか実験してみます。
さてそのタネは発芽するでしょうか?

 

予想 ア.発芽する
     イ.発芽しない
    ウ.その他

どうでしょう・・・タネというのは一旦乾燥させて、来年のトマトのなる季節にまかなくてはいけないのでしょうか?
それとも、食べているトマトのタネをとって育てても発芽成長するのでしょうか?

みなさんも予想を立ててみませんか。
次回、この結果をおとどけします。

そうやって予想を立てて確かめることが科学です。

それらを繰り返しているうちに「発芽とはどういうことか」が科学的にわかる様になれば、たのしい教育の教材として価値あるものになっていきます。

 そうやって出来上がった〈たのしい教育プラン〉がいくつも出来上がりました。この夏も、そのプランをたずさえていろいろなところで授業してきます!

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たのしい教育の熱意と実力のある先生たちが教育の未来を明るく元気にする

 自由研究、教科教育、たのしいものづくり、教育カウンセリング、講演・講座、企業研修、事業企画など〈たのしい教育研究所〉の活動は多岐に渡っています。その中に、たのしい教育への熱意と実力のある先生たちを育てる活動があります。

 おかげさまで、たのしい教育研究所にはたくさんの教育関係者の皆さんが足を運んでくれます。今日は、若い先生方を育てるための企画準備会をしていました。何しろ試験を突破してもらうことも肝心なので、今回は二次試験・面接の質問項目に関して一つずつ取りあげながら〈実際の試験官はどこを評価するか〉について数名で確認しているところです。暑い中、アイスティーを何杯飲んだことでしょう。その成果を元に、また今年も実力ある先生たちを学校現場に送りたいと思っています。

 現場に入った先生たちも、研究所で学び、あるいは一緒に活動しながら、どんどん成長しています。これは採用2〜4年目の先生たちが〈道徳〉の授業をしているところです。「9割以上の子どもたちが〈その授業を受けてよかった〉と評価してくれるか」と問いかけ、実際に授業を受け、具体的に意見を交わす中で、ブラッシュアップされた授業が出来上がっていきます。

 たのしい教育研究所には保護者の方達からの相談も入ります。その中には担任の先生に関する相談も少なくありません。
 誤解している方もいるかもしれませんが、ほとんどの保護者の皆さんは、はじめのうち担任の先生に協力的です。子どもたちが担任の先生に背を向け批判する様になっても、しばらくは担任の先生の肩を持つ保護者の方がほとんどです。
 そのベクトルが逆に向かうのは、子どもたちが反抗・反乱を始めても、担任の先生が打つ手を持たない、あるいは逆効果の働きかけをする状況がはっきりしてからです。

 教育をたのしく賢く、子ども達がたとえ体調が悪くても〈学校に行って授業を受けたい〉という気持ちになる様な教育にシフトしていくことが、そういうことの根本的な解決にもなるでしょう。
 つまり学校現場に、たのしく実力ある先生たちが少しずつ増えていくことで、教育は確実によくなっていくということです。

 もちろん、たのしい教育研究所で活動を共にする中堅からベテラン、そして管理職の皆さんもとても元気に活躍しています。その人たちはまた、若い先生たちの可能性をどんどん伸ばしていくことでしょう。たのしい教育を守り、ますます発展させたいと思う日々です。

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仮説実験授業研究会 板倉聖宣〈仮説実験的な生き方〉

 先ごろ、ある管理職の方と懇談している時、学校教育をめぐって「自分が先輩たちから学んできた頃、常識だったことがどんどん変わっていく」というお話がありました。昔の頃が正しかったのか、今が正しいのかといった時には〈仮説実験〉でいくしかありません。以前、仮説実験授業研究会の代表 板倉聖宣が語った「〈生き方〉も〈仮説・実験〉で行くしか無い」という話を〈たのしい教育サークル〉用にレポートにまとめたことがありました。2001年のグランドフェスティバルで語った内容です。教師だけでなく一般の方たちにも通じる話だと思うので、少し紹介させて頂きます。

 未来のことだけではなくて、自分の知らないことはいっぱいありますね。ですから間違えるのは当たり前なのです。
 そういう場合「間違えたときには軌道修正をする」ということが大事なのです。
 しかし、今までの人たちは軌道修正をすることがほとんどできませんでした。
 小説などにも、若くて死んだ人は「最期まで立派だった」とほめてもらえます。

 長く生きた人はどうかというと「あの人は頑固おやじだったから素晴らしかった」とか「ずっと若い時の心情のままで頑固に生きた」と、ほめるような伝記がたくさんあるような気がいたします。

 しかし「そんなほめ方はしないでほしい」と思っています。

 はた目で見ていると「あの頑固おやじは立派だ」と見えるかもしれません。しかしその周りの人は「とても困ったな」と感じているのです。

 年をとってから〈頑固おやじ〉の状態だと、周りに被害を及ぼすのです。

 

〈年をとっても若い時の情熱をそのまま持って生きている〉という生き方は、これまでは、もしかしたら人生論的に、仕方がなかったのかもしれません。
 しかし仮説実験授業の考え方としては、そういう生き方は受け入れられません。

 仮説実験授業というのは〈軌道修正のできる生き方〉とつながっているのです。

〈仮説実験〉というのは、それまでは「真理だ」と思われていたことの間違いを明らかにしていく生き方です。

 ですからはじめは少数派です。
 〈仮説実験〉によって、少数派が多数派になることもあります。
 しかし「少数派の自分の意見が、もしかして間違っているなら、勇気をもって自分の意見を変える」という生き方をしてほしいのです。
 だいたい世の中で一般的なことは多数派です。ごくごく一般的なことは多数派が正しいことが多いのです。

 しかし、未来のことになると少数派が正しいことがたくさんある。

 そういうことも〈仮説実験〉で決まるのです。

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楽しい読書生活/星野道夫の魅力

 星野道夫の文章も写真も生き方も好きで、彼の作品を見かけたら全て買って研究所の本棚に収めています。チェックしたわけではありませんが、国内で出版されてものなら雑誌も含めて全て持っているはずです。海外でたまたま見つけた彼の本もありますから、しっかりしたボリュームです。

星野道夫

 作品を持っているとはいえ、たのしい教育の広がりにともなって、それらを手にする時間はなくなってきました。

 都会での仕事の時間調整で本屋さんに入ることがあって、星野さんの本を本屋さんの書棚から抜きとって読みはじめるという読書生活、〈本の居住地を持たない〉という意味でいえば正にホームレス的な本読み暮らしをしています。

 星野道夫は既に他界し、彼の新しい文章が紡がれることはありません。雑誌などに特集されるものたちの中には、何度も引用されているフレーズが出て来ます。しかしそれも、読むたび身体にしみいってくるようです。

 この文章はわたしが最も好きなエッセイ集「旅をする木 (文春文庫)」の中にある一節です。

 ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。
 日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。

 公立学校の教師を辞めて早6年目、仕事をしなかったという日は1日もありません。かなり先まで予定が入り、結婚式すら行くゆとりもない日々の中で、彼のその言葉は、いつもわたしの中に生きています。

 彼が他界した翌年だったか、その次だったか、彼が暮らしたアラスカに旅立ったことがありました。
 テントを背にデナリの山々を眺めながら歩く日々の中で、オオカミに出会い、クマに出会い、ムースに出会い、地リスたちに出会い、白頭鷲や渡り鳥たちを眺めながら日々を過ごしました。

地リス 星野道夫撮影

ムース 星野道夫撮影

 日本に居ても、あの時に出逢えた世界はわたしの中に根を下ろしています。都会で珈琲を味わいながら “フー” と息を吐きながら、ベリーだらけのアラスカの大地に座って珈琲をたて、大空と山なみとをバックに味わった時の味を想い出すことができます。そのかわいた冷たい空気の肌ざわりもしっかりと想い出すことができます。

 出逢ったのは若いクマで、もう彼・彼女もずいぶん大きくなって、きっと子どももいる頃だろう。

クマ 星野道夫撮影

 あの頃とてもおいしそうに頬張っていたベリーを、今もたっぷりと味わっていることだろう。
 同じ地球という星の中で、彼らが悠久の時を生き続けていることが嬉しくてなりません。

 夏休みも始まります。
 まだ読んだことがない方は、星野道夫のエッセイ集「旅をする木」を手にしてみませんか。装丁が驚くほど地味なので見過ごしてしまうかもしれませんから注意して探してみてください。


 写真集をという方は、縮小版ではなく、もと版の大きなサイズを手にしてください。わたしのおすすめは〈風のようなものがたり 小学館〉です。

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