〈紙で読む方が質の高い読みになる〉というのは私の個人的な現象か?@ ITと紙の楽しい面白い自由研究

 新しい教育プログラム『文字の力』〈授業書@たの研〉を作成しています。 今回は全体的に早めに進んでいるので、紙に打ち出しての校正やブラッシュアップをするゆとりがあります。

 紙で読むと、単純な校正作業だけでなくて、全体を把握した中で「ここはさらにこう書いた方がよい」「これはカットした方がよい」というようなブラッシュアップが遥かに早く進みます。

 忙しさの中で逆に遠回りになっていたことを再認識しました。

 

 さてそれは本好きの私の個人的なスタイルに合っているからなのか?

 みなさんはどう思いますか?

問題
一般的に言って、紙で読む方が〈読みの質が高くなる〉といってよいのか?

予想

 ア.それは個人的なもので人それぞれ違う

 イ.一般的にそう言える

 ウ.その他

 

どうしてそう予想しましたか?

 

 こういう研究は注意してみないといけません。デジタル機器を広めるために大量の資金を投与している企業がたくさんありますから、その企業に有利なように結果を出す研究もあります。
 一つ二つの確認では間違ってしまうことがあります。

 大量の研究をサーチして結果をみなくてはいけません。
 それに適しているのはA.I.です。

 二つのA.I.&webサイトでトリプルチェックしてみました。

 結果として「明らかに紙で読む方が質の高い読みになる」といって間違いないようです。

 軽く整理してみると…

 

視点 紙の方が優位になる主な理由 典型的な効果 参考ソース
視覚・生理 紙は反射光で高コントラスト/ちらつきゼロ。画面はブルーライト・グレア・ピクセル間隔が眼球運動を細切れにし、疲労を早める。 読字スピード低下・誤字見落とし増加 researchgate.net
注意制御 紙は通知・タブ・スクロールがなく、視野内の情報量が限定されるため“深いモード”に入りやすい。 集中維持時間↑、読み飛ばし↓ phys.orghechingerreport.org
空間マッピング 紙面は「物理ページ位置」「指先の触覚」で脳内に立体的マップが形成され、誤植や論理飛躍に気づきやすい。 文脈想起・段落間の整合性チェックが容易 wired.com
ワーキングメモリ スクロールは情報が流動し、直前の文脈を保持しづらい。紙は固定されているので保持負荷が軽くなる。 文法ミス・重複表現の発見率↑ snexplores.org
身体性(Embodied Cognition) ペンで囲む・書き込む・折るといった手指運動が、前頭前野を刺激し再評価を促す。 発想転換・追加アイディアの発生率↑ cambridgeassessment.org.uk
メディア意識 画面→「暫定ドラフト」感、紙→「最終版」感という心理的緊張差。 校正モードへの切替が鮮明 cambridgeassessment.org.uk

 

 たくさんの人たちを研究したもの、国際的なものなどがたくさんあるのですけど、読みやすい記事として、こういうものがあります⇨ https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/health/370003

 けれどそれはある程度の年齢に達した人たちに言えることで、若い人たちとは違うのではないか?
 とも考えられます。

 あなたはどう思いますか?

問題 若い人たちなら紙で読むのもデジタルで読むのも大差ないのか?

 予想
 ア.子どもの段階なら大差ない
 イ.子どもの時はデジタル機器のようが読む質が高くなる
 ウ.子どもの時も紙の方が読む質が高くなる
 エ.その他

どうしてそう予想しましたか?

 

 

 簡単にいうと「年齢にかかわらず紙の方が誤り検出・理解・発想で優位」という結果 です。長くなるので興味のある方は自由研究しください。

https://yuchrszk.blogspot.com/2024/01/vs.html

 ということで「古い」と言われようが、〈より質の高い知的作業〉を目指すなら「紙」で読むことです。

 私の楽しい面白い自由研究結果でした。

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たのしい教育の発想法『程度を高くして学びたくなる授業を』@板倉聖宣

 はじめの頃、「たのしい教育」を面白おかしい教育だと勘違いする人たちがいました。教科書に入る前に、お笑いネタを披露するとか、手品を見せてから授業に入るとか、そういうものをイメージしていたのでしょう。

 たのしい教育は本格的な教育です。
 友だちと遊ぶこともたのしいけれど、勉強はやめられない。
 もっと学びたいと感じるようになる。
 夏休みより学校がたのしい、となる。
 そういう教育です。

 1991年に板倉聖宣先生(たのしい教育研究所 初期から支援者/仮説実験授業研究会初代代表/元文科省教育研究所室長/元日本科学史学会会長)が、こういう話をしてくれています。

 メルマガの最新号で紹介したところ、すでにいろいろな反響が届いています。
 初めの部分を紹介します。

程度を高くして学びたくなる授業を

東京・江東区中学校研究会1991-11

板倉
 私たちが子どもの時代には先生に権威があって刃向かうことはできませんでした。
 私は、それでも先生に刃向かえる友だちはえらいなぁと思っていました。
 私は刃向かいませんでした。
 ところが今は社会的にいろんなことが低下してきて、学校の先生の権威も低下してきました。子どもたちは以前よりたくさん反抗するようになりました。そのうちに〈反抗すること自体がおもしろい〉となっていって「学校の先生も大変だ」と思います。
 そういう中で「子どもたちに自分が教えている勉強に熱心になってもらう」「もっと勉強を好きになってもらう」ためにはどんな授業をすればいいのか?
 たとえば〈自然科学の教育〉ということを考えた時「教えている内容が難しいから子どもたちは勉強がわからないんだ」といわれます。
 昔は中学校には試験を受けて入りました。試験を受けて合格した子どもたち、頭のよい子どもたちが入ってくる、ある種のエリート校でした。しかし今は頭がよくない人も中学校へ入ってくる、だからそういう子どもたちに合わせて程度を下げなければいけない、という考えがあります。正面切ってそういうことはいわないまでも、実際にはそう思っている人たちがいます。
 ところが、いくら程度を下げていっても成績が上がらないという状況が起こっています。
 私はそもそもそういう〈程度を下げる〉といった考えが間違いではないか、と考えています。

 今では多くの子どもたちが「学校がおもしろくない」と思っています。それに対して「授業が分からないからだ、分かれば面白くなる」という人たちがいます。しかし私は「子どもたちが分かっても仕方がない」と思っているからではないか、と考えています。
 子どもたちに「分かりたい、知りたい」と思うような内容を教えること、これが現在の教育の改善の一番の問題だと私は思います。
 そう考えた時に、今の教育内容全体は全体的に程度が低すぎると思っております。
 だからもっと程度の高い内容を教えたらいいではないかと思っています。程度が高いとか低いとは一体なにか?
 テストに出てくる内容が程度が高いのだという人がいるかもしれません、でも必ずしもそうとはいえません。
 突然「私の名前をいってみなさい」なんて問題を出してもみんなできません、これはくだらない問題だからですね。(私の板倉聖宣という名前を覚えなきゃない)なんてのはこれは低級な問題です。みんなできませんけれども、できたとしても別に偉いわけではない。
 けれども本当に知るに値する人間のことを知るとなったら、これは楽しくなったりします。
 私は去年「電子レンジの授業」を開発致しました。「電子レンジ」っていうとこれ、難しいのか易しいのか分かりませんね。
 電子レンジで料理するんだったら簡単です、食べ物を入れてチンとすればいいんです。簡単に料理できるわけですから難しくはありません。
 しかし電子レンジの原理となるとなかなか分かりません。「そんなものは自分たちにわかりっこないんだ」と考えている方が多いですね。
 中学校あたりの理科の先生でも、電子レンジの原理はちゃんと理解できていない人が大部分じゃないかと思います。
 言葉では「あれはマイクロ波というのが出て中のモノが温まるんだ」というように説明はできるわけですけれども、言う方も聞く方も十分納得できてない。
 今、電子レンジはほとんどすべての家庭にありますよね、だけど電子レンジの原理は教えていませんね。
 皆さんの専門が必ずしも理科でない。いや理科はまったくごめんだということを承認した上で、これから電子レンジのお話をさせて頂きます。

 ここに電子レンジを持って参りました。
 電子レンジで料理を作るのは不思議じゃない、おいしいかもしれないけれど面白いというわけでもありません。
 でも電子レンジに入れちゃいけないもの、変なものを入れると、これはおもしろいんです。
 中に水を入れると温まります。
 なぜでしょうか?
 一つの答えは「温まるようにできているから」ということです。温まらなかったら電子レンジじゃないですよね。
 ではたとえばこれに卵を入れたらどうでしょう?
 水と一緒に油を入れたらどうでしょう?
 だいたい電子レンジに油を入れる人ってあんまりいないですね。

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〈たの研〉の元気な植物たち@楽しい面白い自由研究

沖縄はすっかり夏模様です、朝の庭仕事でも肌がジリジリと焼けてきます。〈たの研/たのしい教育研究所〉の実験ガーデンの様子をご覧いただきましょう。

 これは〈たのしい植物シリーズ〉のプログラムとして取り上げる予定の『挿し木』の実験で育てたミニバラです、すくすく成長しています。

 中には花を開かせたバラもあります。
 バラは挿し木で満足度が高いものの有力な選択肢になりますね。

 もしかすると「いろいろなサイトに挿し木のやり方が出ているから、あらかじめそれでわかるのではないか?」と考える方もいると思います。
 このサイトを熱心に読んでくださっている皆さんなら理解してもらえると思うのですけど、ネット上にはいわゆる〈コタツ記事/自分で試さない孫引き記事〉が散乱しています。また読者受けうるようにと、大げさに語ったものがとてもたくさんあります。

 お菓子づくりのプログラムで大ヒットした「オカキの作り」の時も、ネット上にたくさんある「これこれこうすれば簡単に美味しいおかきができます」という記事通りにやって、どれだけ遠回りしたことか・・・

 ネット上のフェイク(偽り)がこれからの大きなテーマです。

 以前、読者の方から届いたたよりに「ネット上にあって、誠実にウソなく綴っているこのサイトは貴重です」という言葉がありました。

 二つの桜に挟まれてわずかな日光しか届かなかった真ん中の桜の木は、枝をどんどん伸ばし、矢印のところまで伸びています。まず両方の桜の背丈あたりまで葉を広げて光合成をさらに促進させて、幹を太くしていく作戦でしょう。

 捨てる紙でつくった年度状の土でくるんで土に埋めたヒマワリの種は、すくすく育ち、花を咲かせました。

 東北の唐辛子は生き生きと元気に育ち、たくさんの実をつけています。


 問い合わせの多かった、桜の挿し木は、二週間くらい経っても、植えた時とほとんど同じ様子です。
 1ヶ月くらいしたら変化がはっきりすると思います。

 植物たちとたのしくつきあうにも〈予想⇨実験〉です。
 みなさんも予想を立てて、植物たちとつきあってみませんか。

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板倉聖宣のものの見方・考え方研究@たのしい教育の発想法『動機でなく結果でみる』

 メルマガで紹介した板倉聖宣先生(たのしい教育研究所 初期からの強力な支援者/仮説実験授業研究会初代代表/元文科省教育研究所室長/元日本科学史学会会長)の〈ものの見方・考え方〉は毎回いろいろな反響が届きます。今回は
板倉先生が1990年12月27日 三河で語った話を載せます。私が仮説の大会でとってあった資料で板倉先生に関わるページを部分スキャンしたもので、正確な出典をたどるのは難しいのですけど、時期的なものをみると年末の「板倉発想法講座」で語られた内容だと思います。

板倉聖宣
 歴史家は『戦争』にしろ『社会主義』にしろ『禁酒法』にしろ『生類憐れみの令』にしろ、あとになってみると馬鹿げたことだと思われるような歴史的事実はすべて「あれは動機が悪かったから結果も悪かったのだ」という話にしてしまうんです。「ですから、これからは動機を良くしましょう」という結論になるのです。
 では、正しい動機とは何か?
 動機をもとに考えてしまうと、正しい動機は単にその時代の倫理規定に合ったものでしかなくなるのです。
 社会主義の時代だったら社会主義がいい動機となり、資本主義の時代になったら資本主義がいい動機、その次に〈何とか主義〉の時代になれば、それがいい動機となってしまいます。
 それさえやっていれば正しくて、それ以外の動機をもつ人間は全部間違いということになってしまいます。
 そうではない。
 歴史というものを「人間が犯さざるをえなかった間違いを犯した歴史」と捉える。
 もう2度と同じ過ちは犯さないようにしようと思うのであれば、これはもうなんとしてでも、歴史を〈動機〉で判断するのではなく《結果》で判断しなければならないのです。
 たとえ動機の段階でみんなが正しいと思ったことことだって、「実験」の結果によって判断すれば、だめだったということもあるのです。
 だからこそ「用心に用心を重ねていきましょう」ということを教えるために『生類憐れみの令』や『禁酒法と民主主義』という授業書があるのです。そしてそれが、私のあらゆる仕事の基礎となっているのです。

 

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