楽しいブックレビュー@ボタニストの殺人

 趣味の読書は〈たの研〉を作ってから封印しているのだけど、抑えられずに読んでまう作品は何冊かあります。

 気に入りのミステリー小説家〈M・W・クレイヴン〉の『ボタニストの殺人』もその一冊です。

 2020年の『ストーン・サークルの殺人』以来、全て読んでいます。

 
 あえてこのサイトに書こうと思ったのは、今回の作品が、たのしい教育プログラムの一つ『毒と薬』のテーマから始まっているからです。


 さらに嬉しかったのは、なんと我が琉球『西表島』から始まっていることです。

クレイヴンはイギリスの作家で、これまでの作品の舞台もイギリスです。

 取材に西表島まで足を運んだんだろうか…

 それにしても「足止めの木」って何だ?

 西表の森に何度も入ったことがあるし、〈たの研〉の応援団のヨネゾウさんから植物のことをいろいろ教えてもらったけど「足止めの木」なんて聞いたことがない。

  文章からすると、一番近いのは「モダマ」かもしれない。モダマに6インチのトゲはないけど、モダマのダイナミックな蔓をみて、何となくすごいトゲがあるかのように見えたのかもしれないぞ。あるいは、どうせイギリスの読者は知らないだろうからと、写真からどんどんイメージをふくらませたのかもしれない。

 モダマの実は豆ファミリー(科)で世界最大の実です。
 このサイトのトップで子どもたちが手にしている大きな実がモダマです。

 というわけで『ボタニストの殺人』は〈たの研〉のとても近い作品です。

 今回もクレイヴンの作品に欠かせない刑事ワシントン・ポーと天才分析官ティリー・ブラッドショーが活躍します。

 ミステリー好きの方はどうぞ⇨ https://amzn.to/43qP2un

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楽しい花さんぽ〈アジサイ/紫陽花の季節〉で楽しい面白い自由研究@楽しい原子論

 出張で飛び回る日々、遠くに見える鮮やかな彩りに惹かれて近づくと、アジサイ(紫陽花)の花が咲いていました。アジサイは日本原産の植物です、写真に見える「ガクアジサイ」がアジサイの原種です。※「ガクアジサイ」と「ヤマアジサイ」を加えていねるサイトもあります、どちらも全体的な作りは似ています

 手毬のように丸く膨らんだアジサイは、日本のガクアジサイが海外で品種改良されて、逆輸入されたものです。

wikipediaに感謝して引用

 以前「アジサイの花に見えている部分は植物学的にいうと花ではない」という記事を書きました。未読の方はどうぞ、たくさんのお便りをもらった記事の一つです。

楽しい理科・楽しい植物学@ガクアジサイは面白い

 今回はその時に個人的に宿題にしておいた、アジサイの色の話を書きたいと思います。ちょうど今「原子論と楽しい人生」をテーマに執筆しているので、その一つのテーマにしてもよいと考えています。

 アジサイの色は大きく〈青〉と〈赤〉の系統に分かれます。

 知っている人もいると思います、土壌の酸性度・アルカリ度によって色が違ってきます。
 アジサイの色はリトマス紙の反応と逆になる、とイメージすると覚えやすいとおもいます。リトマス紙の判定でアルカリ性は〈青〉反応を示します、アジサイは逆で、アルカリ性の土壌で花が〈赤〉くなります。

 アジサイを漢字で書くと「紫陽花」、紫の陽(ひなた)の花です。

 アジサイの花にある〈アントシアニン〉という分子は、土壌にあるアルミニウムと結びつくと青系に発色します。

 地球上に存在する原子を多い順に並べると〈酸素〉〈ケイ素〉〈アルミニウム〉です、アルミニウムは土壌にもたくさん存在しています。

 火山ガスには酸性のものが多く、火山の多い日本の地質は酸性に傾くようになります、もちろん全てではありません。

 もともとアルミニウムは地中に多いので、その酸性に傾いた土壌の中で、植物に吸収されやすい状態(イオン)になるものもたくさんでてきます。それで青系のアジサイが多くなります。

 そこで考えてみると、アサガオも青系と赤系があります。

 ブドウの色も青系、赤系があります、ほかにもあるでしょう。

 それもアジサイの反応のような仕組みがあるのではないかな。

 みなさんはどう思いますか?

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勘違いの日々「映画色の街…」/楽しい国語

 勘違いはいっぱいしていて、時々「あれは間違いだったのか」と気づく度に笑ってしまったり、「実は、あれはこれこれで、私の間違いでした」と周りに伝えたり… そんな日々です。
 今回は歌詞の勘違い編です。
※歌詞の勘違いでいえば日本人の多くが「重いコンダーラ」の間違いが有名です、ご存知ない方は検索してみてください

 以前、カラオケでA先生が「映画色の街、美しい日々が、切れ切れに映る・・・」と歌ったとき

「え、〈いつか固形に変わったの〉じゃなかったのか」と笑ってしまいました。
 正しくは

 です。※松田聖子「瞳はダイアモンド」

 映画好きの私は、「映画」とつくと何でもアリという感じがするので、「固形に変わるというのもアリだ」と思ってしまったのでしょう。

 もう一つ、伊勢正三の『なごり雪』は何となく、地方の駅での別れの情景だと思っていたのに、実は「東京の駅での別れ」だったと気づいた時もへぇ~、そうだったのかと驚きました。
 はじめの方でちゃんとそう言っているのにね・・・

汽車を待つ君の横でぼくは

 時計を気にしてる

  季節はずれの雪が降ってる

 

東京で見る雪はこれが最後ね」と

  さみしそうに君がつぶやく

 

なごり雪も降る時を知り

 ふざけすぎた季節の後で
今 春が来て君はきれいになった

  去年よりずっときれいになった

 そんな勘違いの話を友人にしていたら

 井上陽水の『白い一日』のフレーズ「真っ白な 陶磁器を 眺めては 飽きもせず」を

真っ白な 掃除機を 眺めては飽きもせず…

と勘違いしていた人もいるというので笑ってしまいました、すぐ飽きるでしょ (´ー`

 勘違いというのは、けっこうたのしめます。

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文学の力@楽しい国語 辻邦生著「西行花伝」

 教師を辞めたら吉野の桜の頃に訪ねてみたいと思い始めて、いつの間にか10年以上経ってしまいました。
 これから吉野の桜はみごとに咲き乱れるのだろうけれど、訪ねたいのは「如月の望月の頃」です。

願はくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ

武士から出家し、西行と名乗って多くの歌を残した人物が残した歌です。

 如月は太陰暦2月、望月とは満月のことです。太陰暦は月の満ち欠けをもとにした暦(こよみ)で、15日がちょうど満月になるにるように設定されています。
〈如月の望月の頃〉は太陰暦2月15日です。

 新暦では何月何日か?  3月25日ごろです。

 吉野の桜の満開は4月中旬ごろだと言われているので、如月望月というと桜の咲き始めの頃でしょう。もしかすると、西行のいた頃(西暦1100年頃)は暖かさが早くきていた可能性もあるので、かなり桜の花が開いていたかもしれません…

 いずれにしても、まだまだ先のことになりそうです。

 そんな中、以前から読みたかった辻邦生(つじ くにお)著『西行花伝』という本を読んで、その圧倒的な筆力に魅了されています。今は小次郎が読めないようにしていますが。


 作品は西行を師と慕う 藤原秋実が、西行亡き後、語り始めた設定です。

 はじめのところを書き抜きましょう。

# 序の帖   藤原秋実、甲斐国八代荘の騒擾を語る こと、ならびに長楽寺歌会に及ぶ条々

 

 あの人のことを本当に書けるだろうか。あの人――私が長いこと師と呼んできたあの円位上人、西行のことを。

 しばらく前から時雨が檜皮葺きの屋根を鳴らして過ぎてゆく。その幽かな音を聞いていると、そんなことはと ても無理だ、あの人のことなど書けるわけはない、と誰かがつぶやいているような気がする。

 たしかに私にとってあの人―――わが師西行はあまりに大きな存在だった。私はどんなに努力してもあの人に達 することができなかった。それに私たちが生きてきた時代は変転極りない狂乱の日々の連続であった。すべての 人々が、洪水の荒れ狂う波間につかの間に出遇い、つかの間に別れて、二度と遇えない宿命に翻弄されて生きて いた。私はそうした日々、師西行と共にいることだけを願った。願いつづけなければ容易に私たちの絆は絶ち切 られてしまいそうな、そんな切羽詰まった気持で生きていた。私は正直言って自分がどんな人間であるか、わが 師が何を考え何を感じて生きているか、じっくり思いめぐらすことはできなかった。私はただ師のそばで生きる こと、師の歌を浄書し、師のために使い走りをし、師のあとについて歩くことだけで、すでに精いっぱいであっ た。肝心なことは師西行の近くにいていかに生きるかだけであった。

 それだけに師西行に世を去られてからは、私は、師が占めていたひろがりのなかを、まるで無人の伽藍の内部 をほっつき歩くようにただ歩きまわるほかなかったのだ。私はひたすら空虚だった。

 雨につけ風につけ、心を締めつけるあの孤独な寂しさが、胸を鋭い髪でえぐるように疼いたが、それ以上に、師とともに、私が生きていた 生活そのものがそっくり立ち去っているのを感じた。当時私は自分を喪った虚脱者のように京の街を俳徊した。

 どこをどう歩き、どこで何をしていたか、何一つ覚えていなかった。日が照ろうが雨が降ろうが、そんなことは 私にはどうでもよかった。ただ師の持っていたあの温み、重さをもう一度全身で味わい、それが乾鯨に水が滲み るように私のなかに滲みて、心が昔のように蘇ってくるのを、身体のどこかで待ちつづけていた―――もちろん私 ははっきりそう気付いていたわけではないけれど、そうした渇いた願いのなかで、ひたすら生きつづけていたのは事実だった。

 だが、あの桜の散りやまぬ望月の夜から一年たち二年たつうち、私は、無人の伽藍に似たこの空白なひろがり を師西行の重さで満たす以外には、心の渇いた河床に水を流しこむことはできないのだと次第に気づくようにな った。

師西行の重さ――それを私はどこから手に入れるべきだったか。

 こういう文章を読むと、「小説を書きたい」と簡単に言えなくなってしまいます。
 10年くらいは本気で文章の修行をしなくてはいけないかもしれません。

 紙の本としてはすでに廃版になっている作品ですけど、kindleで読むことができます⇨https://amzn.to/4jLYuxY

 

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