保護中: 【会員用】楽しいコショウの実験/メルマガ第604号(2024-05-22)【会員用】
たのしい科学:猫にまたたび
ネコはマタタビという植物が大好きで、香りをかいだり舐めたりかじったりするうちに顔を擦り付けたりゴロゴロと地面を転がったりする不思議な行動をとります。マタタビに酔っている、と言われている現象です⇨https://ja.wikipedia.org/wiki/ ※wikipediaに感謝
最近その行動がマタタビに酔っているのではない、という研究結果がでていることを知りました。岩手大学農学部の宮崎雅雄教授チームの快挙です。
ネコはハンターですから、草むらにじっと身を伏せて獲物を狙うことは少なくありません。
草むらには蚊が多く、刺されることは避けられません。
それでも動かないようにしなくてはいけません。
マタタビの中にあるネペタラクトールは蚊を近づけない作用があって、それを身体に擦りつけているのが、あのゴロゴロした行動だというのです。
マタタビをかじることもネペタラクトールの放出量を増やすことと関係しているとのこと。
wikipediaにこうあります。
岩手大学は2021年1月21日、科学雑誌『Science Advances』に、名古屋大学・京都大学・英国リバプール大学との共同研究で、ネコのマタタビ反応が蚊の忌避活性を有する成分ネペタラクトールを体に擦りつけるための行動であることを解明したと発表した。
本研究では、まずマタタビの抽出物からネコにマタタビ反応を誘起する強力な活性物質「ネペタラクトール」を発見。さらにこの物質を使ってネコの反応を詳しく解析し、マタタビ反応は、ネコがマタタビの匂いを体に擦りつけるための行動であることを突き止めた。
また、ネペタラクトールに、蚊の忌避効果があることも突き止め、ネコはマタタビ反応でネペタラクトールを体に付着させ蚊を忌避していることを立証した。ネペタラクトールは、蚊の忌避剤として活用できる可能性があるとしている[19][20][21][22]。
この研究チームによる2022年6月の発表によると、マタタビ反応で葉を噛むことにより、葉からの蚊の忌避物質(ネペタラクトールとマタタビラクトン類)の放出量が10倍以上に増えることも判明した[23]。
なるほど・・・
ネペタラクトールはネコさんたちの身体に害はないようです、今度試してみようと思います。
もしかすると、すでに人間の虫除けスプレーにも利用されているかもしれません。それはみなさんで自由研究してみてください!
① 毎日1回の〈いいね〉クリックで「たの研」がもっと元気になる!⬅︎応援クリック
② たのしい教育を本格的に学ぶ〈たのしい教育メールマガジン-週刊/有料〉を購読しませんか! たのしい教育の実践方法から発想法、映画の章ほか充実した内容です。講座・教材等の割引もあります(紹介サイトが開きます)
③ 受講費、教材費、スーパーバイズなどの費用は全て、たくさんの方達へのたのしい教育の普及、ひとり親家庭など困窮した方たちへの支援に利用されています
⭐️ 「いいね」と思った方は〈SNSや口コミ〉でぜひこのサイトを広げ、応援してください!
平和について考える/アインシュタイン@映画「オッペンハイマー」 を超えて ②篠原正瑛という人物の思想
20世紀最大の頭脳と称されることもあるアインシュタインが「私は常に日本に対する原爆の使用を非難してきました。けれど、その致命的な決定をとめるためには何もできませんでした」と送った相手、日本人の篠原正瑛(しのはらせいえい)という人物について書かせてください。
まず概略をいつもお世話になっているフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に感謝して引用させていただきます。 https://ja.wikipedia.org/wiki/
篠原正瑛 来歴
東京府出身[1]。1939年に上智大学文学部哲学科を卒業後、フンボルト財団の奨学金によりドイツに留学した[1]。これは「日独交換留学」によるものであった[2]。ベルリン大学哲学科およびイェーナ大学哲学科を修了してドイツ国立ヨハヒムスタール・ギムナジウム教授となる[1]。
留学中はカール・ヤスパースやエドゥアルト・シュプランガーに指導を受けた[2]。
ドイツ降伏後、連合軍による抑留と、スイスでの療養生活を経て1949年3月29日に空路で日本に帰国した[1][2]。帰国の際、シュプランガーから日本国民へのメッセージを預かり、帰国直後は療養生活を続けていた[2]。その後は改造社に勤務。
1952年、『アサヒグラフ』の原爆特集に刺激を受けて、物理学者のアルベルト・アインシュタインに原子爆弾開発への関与と使用の是非を問う公開質問状を『改造』誌上に掲載し、それをきっかけに数度アインシュタインと書簡を交換した(書簡は篠原の没後の2005年に妻から広島平和記念資料館に寄贈されている)[3][4]。この往復書簡については、その途中までが『アインシュタイン平和書簡 3』(みすず書房、1977年)に掲載されている(pp.680 – 685)。
1963年11月から1年間、東ドイツに在住した[5]。この在住時に、森鷗外がベルリンで滞在した下宿の一つが現存していることを確認した[5]。
哲学者としては近代ドイツ思想、中でもナチズムを主に研究した[1]。原水爆禁止日本国民会議委員も務めた[1]。1983年2月には、西ドイツの緑の党が主宰した、核兵器を被告とする国際裁判で、陪審員(6か国から合計7人)の一人を務めた[6]。
※
webというのは明らかに画期的な情報革命です、哲学者 篠原正瑛の写真をみることもできます。
アインシュタインが篠原正瑛に書いた手紙の実物写真も公開されています、奥さんが原爆資料館に寄贈したものです⇨ https://hpmm-db.jp/list/detail/?cate=artifact&search_type=detail&data_id=36485
※
哲学者篠原正瑛(しのはら せいえい)は、原子爆弾による惨劇を報じたアサヒグラフの写真に大きなショックを受け、雑誌を通してアインシュタインに公開質問状を書きました。
その内容についてアインシュタインを中心にした紹介文はいくつかのサイトで目にすることができるのですけど、東海大学の板垣先生が篠原さんの反論にも触れてくれています⇨ http://www.sp.u-tokai.ac.jp/~bentz/symposium_itagaki.pdf
篠原正瑛(1912-2001)とAE(アインシュタイン)激論を交わす 1952 (占領政策後の原爆被害写真公開に対して)
篠原
「人類の福祉と幸福に奉仕すべき科学がなぜこのように恐ろしい結果を生み出す手段となったのか」
AE
「ドイツが原爆製造に成功する見通しありとのことで大統領宛の手紙に署名した。
私は絶対的平和主義者ではなく,確信あるüberzeugter Pazifist 平和主義者であり暴力の使用を認める場合がある」
篠原「絶対的平和主義者でないならヒットラーも平和主義者になってしまう」
篠原さんがアインシュタインに投げ返した
「絶対的平和主義者でないならヒットラーも平和主義者になってしまう」
という言葉は痛烈です。
ロシアとウクライナ、イスラエルとガザ地区、現在も戦争の惨劇は続いています。仕掛けた国も平和のために戦うと語っています。
「絶対的平和主義者」という思想が唯一〈未来の戦争〉を止める合言葉になるのかもしれません。
P.S. このサイト(篠原・アインシュタインレター)の内容にも触れられるかと思ったのですけど、今年度の新しい取組に没頭しているので、いつか書く日のためにアドレスのみ掲げています。http://akaboshi07.blog44.fc2.com/
① 毎日1回の〈いいね〉クリックで「たの研」がもっと元気になる!⬅︎応援クリック
② たのしい教育を本格的に学ぶ〈たのしい教育メールマガジン-週刊/有料〉を購読しませんか! たのしい教育の実践方法から発想法、映画の章ほか充実した内容です。講座・教材等の割引もあります(紹介サイトが開きます)
③ 受講費、教材費、スーパーバイズなどの費用は全て、たくさんの方達へのたのしい教育の普及、ひとり親家庭など困窮した方たちへの支援に利用されています
⭐️ 「いいね」と思った方は〈SNSや口コミ〉でぜひこのサイトを広げ、応援してください!