新しい書籍「シネマの扉を」に書いた アニメ監督〈細田守〉

「シネマの扉を(仮題)」の原稿がすすんでいます、今月中には出版の計画です、映画好きの方は楽しみにお待ちください。
 本の後半にアニメ作品「サマー・ウォーズ」を取り上げました、細田守監督作品です。

 本は〈たのしい教育メールマガジン〉に書いた記事を基本にしているので、その頃書いた文章を紹介します。

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 私は最近、その細田監督に凝っています。
 TV番組の「トップランナー』『プロフェッショナル 仕事の流儀』などに出演している彼の映像を観ることができます。

wikipediaに感謝して引用

細田守(ほそだまもる、1967年9月19日~)は、富山県中新川郡上市町出身のアニメ監督、アニメーター

 彼は『プロフェッショナル 仕事の流儀』の中でこう語っています。


「小学校低学年の頃、どもりというか、今もあるんだけど ちょっと言語障害があって、小学校の低学年の時から特殊学級(特別支援学級)に行ってたんですよ。言いたいことがなかなか言いづらかったりとか、というような子どもだった」
「こいつらとは一瞬でも(一緒に)いたくないと思ってた。それこそまさに居場所がなくなって、ってやつでさ クラスの中に」

 番組8分くらいあたりで、黙々と絵コンテ作業を続けながら語ったこの言葉で、細田守にグイと惹きつけられてしまいました。

「映画ってさ、イエーって感じで人生を謳歌してる人のものじゃないと思うんだよね。むしろ、くすぶってる人のためのものだと思うんだよね、自分も含めてさ。
 〈世の中、もっと面白いよ〉とかさ〈これから生きていると、何かいいことあるかもよ〉とかさ、〈体験するに値するようなことがあるよ〉ってことを…」

 学校になじめなかった細田守は、その頃、母親がみせてくれた、宮崎駿の『カリオストロの城』に感動し、その後アニメーターを目指すことになります。

 自分でいろいろな作品を作りながら、憧れのスタジオ・ジブリの入社試験を受けます。
 ところが結果は不合格。

 その後「東映アニメーション」で才能を発揮し、ジブリから逆指名で「ハウルの動く城」の監督に抜擢されます。

 しかし結果的にうまくすすまず、プロデューサー(おそらくジブリの鈴木さん)から「細田くん、これはもう無理だね」と告げられることになります。

 細田さんは「2002年4月21日のことです」と、鮮明な記憶をもとに語っていました。作品は結局、宮崎駿が監督をすることになりました。

 東映に戻ったものの、周りから「細田は終わった」と言われながら過ごし、結果的にフリーになる道を選びます。
 波乱万丈の人生です。

 子どもの頃のハンディや、社会に出てからのこういう挫折を経た細田監督が送り出す作品は、不思議なことに、明るく元気の出る作品です。
 フリーとなった一作目のアニメ 筒井康隆原作『時をかける少女』が高い評価を受けました、カラッとした面白い作品です。いろいろあってもさすが実力は輝いてくるんですね、よかった。

 原稿はまだ続くのですけど、ここまでにしておきましょう。

 特別支援クラスから日本を代表するアニメーターになった細田さんに、特支クラスの先生向けの講演をしてほしいなぁ。
 たのしい教育の視点で、いろいろな先生たちや保護者の方たちが元気になるような話にコーディネートする役が必要なので、それは私が担当しましょう。
 沖縄の特支の団体がお金を出してくれたらいいのだけどな ´ー`)

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楽しいブックレビュー@賀十つばさ『ドゥリトル先生のブックカフェ』/ドリトル先生=Do Little 先生

 賀十(かとう)つばささんの『ドゥリトル先生のブックカフェ』を読んでいたら、こんな話が出てきました。

有名な児童文学「ドリトル先生」シリーズは、訳者の井伏鱒二が、 Do Little を日本人が発音しやすいようにドリトルと名付けた。
Do Little先生の本来の意味は「ほとんど何もしない先生」、ドリトル先生はお医者さんだから『ヤブ医者』という意味なんだ。

 私も子どもの頃ドリトル先生シリーズを読みました。

 でもヤブ医者的なイメージはなかったけどなぁ・・・

 そもそも動物たちの先生というのがメインだった気がする。動物たちと言葉を交わすことができると、けっこう名医だったんじゃないだろうか?

 気になって、井伏鱒二が訳したドリトル先生シリーズの第一作『ドリトル先生アフリカゆき』を読んでみました。はじめの部分を書き抜いてみしましょう。

1 パドルビー

 むかし、むかし、そのむかし――わたしのおじいさんが、まだ子どもだったころのこと――ひとりのお医者さんが住んでおりました。
 そのお医者さんの名まえは、ドリトル――医学博士、ジョン・ドリトルといいました。
 医学博士というのは、ちゃんとしたお医者さんのことですから、とてもいろんなことを知っているということです。

 この先生の家は、「沼のほとりのパドルビー」という小さな町にありました。
 その町の人たちは、年よりも子どもでも、だれでもみんな、先生の顔を知っておりました。
 先生が、シルクハットをかぶって通りをゆくと、だれかれとなく「ああ、あそこを、お医者さんが歩いてなされる。あれは、えらい先生だ。」とほめそやすのが、おきまりでした。

 そうして、子どもたちばかりでなく先生のあとから、ぞろぞろついてゆくのでした。教会の塔に巣を作っていたカラスさえ、カアカアとないて、先生におじぎをしたということです。

 先生の家は、町はずれにありました。小さな家ですが、庭だけは、とてもひろびろとして、いちめんに芝生が植えてありました。
 石のベンチのかたわらには、しだれ柳がありました。先生の家のきりもりは、妹のサラ・ドリトルという婦人にまかされていましたが、庭だけは、先生御自身で手入れをしていました。
 先生は、生きものがだいすきで、いろんなものを飼っていました。庭のすみかの池にキンギョを飼っていたほかに、お勝手には、ウサギがいました。またピアノの中には、白ネズミがいました。戸棚の中にはリス、地下室にはハリネズミがいました。それから子持ちの牛もいました。年とった足の悪い馬や――これは二十五歳です――ニワトリ、ハト、ヒツジが二ひき、まだそのほかにも、いろんなものがいました。
 その中で、とくに先生のかわいがっていた動物は、ダブダブという名まえのアヒル、ジップという犬、ガブガブという子ブタ、ポリネシアというオウム、それからトートーという名まえのフクロでした。

 先生の妹さんは、いつもこの動物たちが家の中をよごしてこまる、といってこぼしていました。
 ところが、ある日、リューマチをわずらっているおばあさんが、病気で診断を受けにやってきました。そのおばあさんは腰をかけた椅子のうえに眠っていたハリネズミをお尻にしいてしまいました。
 それからというもの、このおばあさんは二度とふたたび、先生のところへやってこなくなりました。おばあさんはそのかわりに、毎週土曜日になると、馬車に乗って、十六キロもあるオクスンソープという、べつの町のお医者に、診察してもらいにゆくようになりました。

 動物が大好きで、次第に人間より動物たちと付き合うようになっていったのがドリトル先生です。人間の診療に関しては Do Little. だけれど、動物に関しては Do More. の先生で、決して力のないヤブ医者というわけではありません。

 動物がいっぱいの病院から、しだいに人間の患者が減っていって、ドリトル先生はお金がなくなっていきます。動物たちの食べもののために貯金をおろし、ピアノを売り、ドリトル先生は穴の空いた靴下を履くくらいになっていきます。

 また読みたくなってきました。

 そのきっかけになった賀十さんの本は、ドリトル先生の話だけでなく「長靴下のピッピ」とか、たくさんの作品が出てきます。読んでみようと思います。

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〈たの研〉子ども未来スクール『じゆうけんきゅう祭り』を講師が楽しむ

 たのしい教育とたのしい福祉に全力投球のたのしい教育研究所の夏の講座は『未来スクール〈楽しい自由研究まつり〉』です。昨年より大きな会場を準備し、参加可能人数を増やして募集しているのですけど、数日で満席となりました。

〈たの研〉の講座は嬉しいことに、毎回大人気です。参加者満足度がとても高いことが、直結しているのでしょう。

 現在はキャンセル待ち受付で、今現在もどんどんその数が増えています。
「ぜひ参加したいです」という声も大きく、運営側としては申し訳ない気持ちですが、参加者の安全とプログラムの充実を優先しての枠です。ご理解ください。
 早めに申し込んでいただいた皆さんへは、都合が悪くなった場合にはできるだけ早めに連絡をくれるよう、お願いしています。キャンセルが出次第、速やかにキャンセル待ちの皆さんにつながせていただきます。

 さて、講師は募集制ではなく〈たの研〉の講師の方たちから「この先生、とても魅力的ですよ」という推薦制で揃えています。
 楽しいプログラムをワクワク実施できる魅力ある人たちです。

 その講師陣は、当日の参加者の笑顔に向かって、プログラムのバージョンアップに全力投球しています。

 会場で実施後は〈たの研〉に場所を移して、たのしくアイディアを出し合いました。

 魅力的なメンバーがたのしい教育と福祉に全力投球する講座をたくさんの人たちに体験してもらいたいと考えています。
 ⇨http://tanokyo.com/me-ru

 

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楽しい昆虫さんぽ@沖縄のナガサキアゲハは県外の種より(  )だと思う!/進化の話

 野山を歩くといろいろな生き物たちに出会うことができます。

 大きなチョウで有名なのがオオゴマダラです。

wikipediaに感謝して引用

 その次あたりに大きいのではないかと感じているのが今回紹介する『ナガサキアゲハ』です。

wikipediaに感謝して引用

 この間、サンタンカ(山丹花/沖縄ではサンダンカと呼ぶ人が多い)の蜜を吸っているナガサキアゲハをみつけました。サンタンカ・サンダンカはブーケのようになっていいて大きな花のつくりをしています。

 沖縄のナガサキアゲハは県外の一般的なものより、色がくっきりして美しい感じがします。

 どうして形質が違ってきたのでしょう?

 ナガサキアゲハが沖縄に入ったのは何万年前、というスケールです。

 生体や卵などが気流に乗って沖縄に入ったり、船などに乗った野菜などにまじって入ったり、なんらかの条件が整って沖縄に入ったのを、少なくみつもって1万年前だとしましょう。

 沖縄のように一年を通して温暖な地域では、ナガサキアゲハは春先から晩秋まで4-5回「卵→幼虫→さなぎ→成虫」のサイクルを繰り返します。
 それを単純に一万年繰り返すと、入ってきた個体から4~5万世帯の、新しい個体が生まれてきたと考えることができます。もちろん気候的な変動もあるので、単純に何万世代を経てきたとはいえないところもあります、そこで少なめの数値で見積もっています。

 人間で考えてみましょう。
 〈おじいちゃん⇨お父さん⇨わたし〉というように三代経ると、身長や目鼻だちなど、けっこう違っていきますね。
 ナガサキアゲハの場合、それが何万世代くりかえされていくわけですから、海に閉ざされた沖縄の中で、独特の形質を残していくわけです。

 進化というは、その環境に適した形ですすみます。

 沖縄の気候、自然環境の中で、くっきりした色立ちにどういう意味があったのか、みなさんも想像のハネを広げて考えてみませんか。

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